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呪いをかけられて

「お前、そんなことも知らないのか」

父親から、からかい混じりに言われ続けた言葉である。いつからだったろうか。
小学生の頃までは、「○○って何?」と聞けば色々なことを教えてくれる父であったが、徐々に先のセリフを言われることが増えていった。
"そんなこと"の内容は様々であったが、歴史の話が特に多かったと記憶している。私は今でも歴史に関してあやふやな部分が多い。自分の経験さえいつのことだか忘れがちなのに、いちいち覚えてられんのである。
言われたときの私は、不機嫌に「そんなこと知らん」「どうでもいい」と切り捨てていた。
逆に父が知らないことを私が知っていた場合は、私ほど不機嫌にはならずとも、どうでもよさげな態度であった。

だが、長年刷り込まれ続けたこの言葉は、私の気が付かぬ間に影響を残していた。
私の知ってることを、他人が知らないときに、「そんなことも知らないのか」と思う自分が出来上がったのである。
私は、父の言動を思考としてコピーしていた。加えて自身の卑屈な性格が、傲慢さを生み出していた。"私程度"が知っているようなことを知らないなんて、と思うようになってしまってもいた。

父としては、ものを知らぬ我が子をからかう程度の気持ちであったろう。だが、繰り返し言われ続けた言葉は思考に堆積していった。
この手の呪いは、かける側も知らぬ間にかけているものであろう。父は、私がこんな呪いにかかっていたことも、呪いだと気がついたことも知らないはずである。

しかし、私が"知らないこと"をからかい続けてきた父が、近頃は変化してきた。
父「ワーケーションって何だ」
私「知らないの?」 
父「知らん」
と、素直に知らないことを「知らん」と認めたのである。私が大人になったからか、父の考え方が変わったのかはわからないが、ともかく知らないことを恥ずかしいこと、悪いことのように言ってくる頻度はめっきり減ったのである。

呪いはきっと多かれ少なかれ誰にでもかかっているものだろうけれど、それに気がつけば解くこともできる。私と同じように、父も、知らぬことは恥で悪という呪いを解いたのかもしれぬ。
聞くは一時の恥だが、知らぬが恥ではない。似て非なる2つを認知できただけでもよい。

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