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【雑感】光る君へ 第29回「母として」

久々の為時様

・為時様、なぜそんなことを……娘は宣孝様を喪い、自分は官職を失い、なりふり構っていられないはずじゃあありませんか。
越前守として和紙を献上されたときの不器用さから何一つ変わっていないんですね。良くも悪くも変わっていないようですが、個人的に今回は「ズレている」と思わずにおれないところでした。

しかし百舌彦の様子……あれは「主(道長様)の好意を無碍にされた」ことへの怒りでしょうか。
立場だけで考えたらまひろ一家を目にかけても、道長に政治的なメリットはないですもんね。あくまでも厚意で用意したポストでしょうしね……。

・賢子役の子、きちんとしたお子さん……って感じだ。
史実通りは承知の上ですが、「賢子」って名付けられたら子供側のプレッシャーすごいですよね。現代でいうなら聡子とかそれぐらいの名前なのかな。

・裏切者ーーッ! って、いとに怒られていたのはきぬ? あの辺ちょっとどうなったかわからなかった。
正直、為時の現実の見えてなさを目の当りにしたら暇乞いも無理はないなと思ってしまったり。
主人であれ夫であれ好きでついてきたとしても、好きだけじゃ食べていけないのよね(竹子)


ききょうとまひろ

・「人には影の部分もある」と語るまひろ。まひろの気持ちはわかるのですけれど、ききょうが怒るのも当然だろうなあと。「定子様に影などありません」と言い切れるのもすごい。

このドラマでは程よい距離感でやっている二人が、どうして「清少納言とかいうしたり顔で賢しらぶった女」なんて悪口を書くに至るのかも楽しみの一つでしたが、道長関連で仲たがいしていく感じですかね。

・ツイッターで「フィクション作家とノンフィクション作家なので、同じ人間を見るでも見つめる部分が違う」と指摘されていて面白かったです。

私自身は、影の部分があるからこそ魅力が深まるというまひろの考え方がしっくりきます。
あえてきらびやかな部分だけを切り取ったききょうの考え方も興味深くはありますが、自分がどちらの考え方に近いか、だとまひろ側ですね。

・一条帝に献上された『枕草子』、表紙もいい紙を使っていてきれいですね。



四十の賀

田鶴と巌君の舞

舞を披露したお二人のインタビュー

どちらも公式へのリンクです。
巌君役の渡邉斗翔さんはダンスの経験があり、それと比較してのお話もされていました。すごい。
子役の子たち、私よりしっかりしているな……。

・倫子様と明子様の目線が交わされ……セリフがなくとも迫力のあるシーンでございました。ステージママって言われてて笑っちゃった。
田鶴の悔し泣き、言われるがままに舞ってるだけじゃないんだな……この子も賢い子供なんだな……と思いました。さすが倫子様のお子。

・詮子様……詮子様も好きだったので残念です。40で儚くなっておしまいになるとは。

前回は定子様、今回は宣孝様、詮子様。わかっていたことではあるんですけれど、もう登場しないの寂しいですね……。

・題名の「母として」はまひろ、詮子様、倫子様、明子様、多くの人にかかっていたのですね。



その他

・お屠蘇って薬だったんだ……ただのお酒じゃないんですね。勉強になった。

・伊周「お前が矢を放ったせいだろう」
それはまぁそう。



次回

・おおお、ついに源氏物語が生まれる……!?

・次回予告の道長、ひげが!! ひげあると肖像画を思い出しますね……。ひげなんかはやしちゃって、えらそうに!(えらいのである)

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