見出し画像

【読書感想文】アルジャーノンに花束を

本を読んでいて、これは自分のことだ、と錯覚するとどんどん没入できる。

本書を読んでいて一番”自分ごと”に感じられたのは、パン屋の同僚たち、チャーリーに「あんたは僕を実験動物としか僕を見ていない」と言われるニーマー教授、この子は正常だと言い張る母親など、チャーリーを取り巻く人々だった。
この人たちの振る舞いは誉められたものでない部分もあったが、私がこの立場だったらどう振る舞うだろうか。読んでいてそれを考えずにおれなかった。絶対にあんな態度はとらないと、断言はできない。
読み進めていくと、術後のチャーリーが、知的障害者の少年を(知らずにとはいえ)笑ってしまったシーンがあることには驚いた。このシーンを描いた作者は本当にすごいと思う。段々「りこうになっていく」ことで、過去の自分が笑われていたことに気がついて憤っていたチャーリーだが、笑う側にもなり得たのだという事実。差別は無意識に表れてしまうものなのだと感じた。

私は健常者だが、似たような経験をしたことは記憶から消えていない。
周囲を笑わせる意図はなく、真面目にやっていて失敗した時に周囲からからかわれ、笑われる。自分も心から笑えるならいいが、みんながみんなそうじゃない。状況によって笑い飛ばせない時もある。
私が笑われた記憶では「ばかにされている」と感じながらいたたまれない気持ちになっていたが、チャーリーや少年のように「周りが自分をばかにしている」とは理解できずに笑っていることは幸か不幸か。本人にしかわかりえないが、笑う側にはなりたくない、と思う。

最後に少しだけパン屋へ戻ったシーンでは、ギンピィが自分もジョウもフランクもチャーリーの味方をする、と言っていたことが救いに感じられる。チャーリーのいきさつをドナー氏から聞いてチャーリーに同情したのかもしれないが、それまでバカにしていたり、色々あった相手への態度をきっちり改めるのも難しいことだと思う。
ウォレン養護学校でもチャーリーに友達ができることを願う。

人を傷つけるのは悪意だけではない。意図して人を傷つけようとする人もいるが、無意識の差別で人を傷つけることもある。傷つけられる立場だけでなく、自分が傷つける可能性を忘れたくはない。
夢物語とは承知の上で、できるだけ誰しもが傷つくことの少ない世界へなっていってほしいと願わずにおれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?