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【悪魔とのおしゃべり】FES☆TIVEと玉屋2060%の「宇宙」

気づいたら1週間投稿をしていませんでした。

僕がnoteを書くのはライブ会場に向かう電車の中だったり、特典会の待ち時間だったりすることが多いからです。
したがって現場に行かないと突如筆が進まなくなります。まさかこんな所で外出自粛の影響を受けるとは思いませんでした。


久しぶりのライブだったので、いてもたってもいられずこうして文章を打ち込んでいるわけです。
在宅期間中にオーディオブックで聴いていた「悪魔とのおしゃべり」と絡めて、玉屋2060%さんのFES☆TIVE提供楽曲について語ります。


クセが強い玉屋楽曲の数々

FESTIVEに提供された玉屋2060%さんの楽曲は4つありますが、どれも半端ない存在感を放っています。

  • ハレとケ!天晴れ!ジャパニーズ!

  • しゃかりきトップランナー!

  • 人類!WE ARE ONENESS!

  • 新・奇天烈物語


ここではその中でも印象の強い、人類!のMVを貼っておきます。

玉屋2060%さんはその他多くのグループにも楽曲提供を行っていて、もはやアイドル界の一大トレンドでしょう。
玉屋楽曲に共通するのはその世界観の大きさですが、そこで発しているメッセージは一貫していて、「生命はつながっている」だと僕は解釈しています。


一見すると浅くも感じられるものの、聴き込むごとに不思議な深みを感じられるのが玉屋楽曲の魅力です。
僕はその理由を分かりかねていたのですが、最近そのヒントを「人間スーツ論」に見出しました。


人間スーツ論とは

人間スーツ論は、「悪魔とのおしゃべり」という本の中で展開されている考え方です。
※この本独自の名称のため、一般的な理論ではありません。


この人間スーツ論を一言で表すと、

宇宙創始以来、全ての時間と場所の人間の中には「同じもの」が入っている

という考え方です。


つまりこの地球上のあらゆる時代、あらゆる国や地域の人々は、全員が自らの分身という事です。
織田信長もマーク・ザッカーバーグも藤子・F・不二雄も、僕自身であり全体であることになります。


ちょっとトンデモ理論に感じられますかね?

ただ、最近の量子力学研究によってまんざら突拍子がないわけでもないことが分かりつつあるみたいです。


詳しい思考実験については書物の方に任せます。
読むのがしんどい人はオーディオブックがおすすめです。


ひとつでありすべて

玉屋2060%さんの楽曲には、この人間スーツ論に似通った記述が多く見られます。


例えば「新・奇天烈物語」では、

Billions past future 交差した今
Billions 分かち合いたい smile, tears

とあります。

まるで未来と過去が今と同じ次元に存在しているような書かれ方をしています。
「悪魔とのおしゃべり」では、宇宙の始まりから終わりまでの全てが確定しており、時間軸は存在せずに全てのシーンが同時に進行中だと述べられています。


また、「ハレとケ!あっぱれ!ジャパニーズ!」では

メイビー ワンネス 元々一つの生命
それが溶けて分かち合う
ミステリックで洒落たフェスタにインビテーション

とあります。

歌詞中にワンネスという表現が出てきていますが、ビックバンが起こる前の宇宙には「たった一つのもの」だけがあったと言われており、それが私達の人間スーツの中に入っているとされています。


また、多くの楽曲提供を受けているでんぱ組.incの「アイノカタチ」という曲の中にも、

巡り巡るって 昔も今日も ほら円になって
いつかはさ いつかはさ 全部が一つにつながるよ

とあります。
全部が一つになるとそこには人間の区別がなくなり、全てが私、つまり”I"になると言われています。


ちなみに、僕はでんぱ組.incがあまりわからないのですが、この曲はMVもあたたかみがあってとても好きです。
なんならイントロから泣けます。

やはり、僕たちには同じものが通っているという考えが楽曲全体の世界観に大きな影響を与えていると言えます。


生きる糧となる音楽

以上、玉屋2060%の提供楽曲に垣間見られる人間スーツ論について見てみました。


もう1つ主張しておきたいのは、これらの重たいメッセージを難なく届けてしまうFES☆TIVEというグループの特異性です。
底抜けの明るいライブと、「お祭り」というなんでもありのコンセプトが、クセの強い楽曲も柔軟に受け止めていると感じています。


音楽はただ奏でられる空間に一緒にいるだけで一体感を感じるものですが、玉屋楽曲はそれをさらに強く感じられます。
僕たちは、ライブという空間を通じて、身分性別年齢関係なく多くの人間と一体になる感覚を味わっているのです。
本当は誰が何を歌っているか、踊っているかなんて意味はなくて、ただ同じ空間にいたいだけなのかもしれません。


私たちは「今という瞬間」を味わうために宇宙が作り出した人間スーツであると、悪魔とのおしゃべりでは述べられています。
最高でも、最悪でもいいから、それを自分のものとして味わうことに意味があると考えると、僕は今日も生きる勇気が湧いてきます。


たとえつらく悲しいとしても、それを感じることこそがその人の存在意義なのです。
そしてその「今」をあざやかに彩ってくれるものが、僕にとってはアイドルであり、FES☆TIVEだと感じています。


おわりに

まとめます。


noteなんて書いてないで、ライブを見た方がいい。


以上です。

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