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【#読書の秋2022】「自分の意見で生きていこう」を読んで、自分のnoteを反省した

反省って悪い意味だけじゃないらしい。

地下アイドルオタクのかべのおくです。


今回も「 #読書の秋2022 」の投稿です。

今回は、ちきりんさんの「自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ」を読みました。

SNSが発達した現代においていかに自分の意見を発信していくか?そもそも、意見とは何なのか?ということを問いかける内容でした。

普段からnoteを投稿している僕としては、自分の発信内容について考えさせられました。そこで、この本の内容を簡単に紹介したあと、自分なりに考えたことを書きたいと思います。


内容

ここでは書籍の中身を網羅的に説明するのではなく、感想を述べるにあたって必要な部分の説明にとどめます。

反応と意見を区別すること

この本の大きな特徴は、「反応と意見の違い」を明確に説明していることです。意見とは「その人がどのポジションに立っているのかが明確な発言」のことで、そうではない発言はすべて反応であると定義しています。著者は本の中で、接触確認スマホアプリ「COCOA」の厚労省の対応という非常に具体的な例を出して、意見と反応の違いを説明していますが、世の中に「反応しかしていない人」がどれだけ多いかということに気付かされました。


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たとえばこのnoteを書いている時点では、とある大手事務所の対応について多くの人が発信しているので、今回はこれを例に上げて考えてみましょう。Twitterで見つけた一部のツイートを、情報を伏せて引用します。

ツイート①

本当に汚すぎて酷すぎる
ファンをバカにしてる

脱退して欲しくない
でも、こんな最低な事務所
辞めて他で歌を歌って欲しい
って気持ちもある
とりあえず歌うことやめないで

ツイート②

後輩タレントが皆揃って一言だけコメントして(タレント名)のアカウント貼ってるの何か違和感があるんだけど

ツイート③

錚々たる(事務所名)の好意の矢印が(タレント名)に向いてるの出来すぎた少女漫画みたいだけどコレ現実なのよね

ツイート④

出る杭は打たれるというか頑張って改革を試みる人達がどうにもならなくなっちゃって離れていく。
私は(グループ名)っぽい立ち位置でのらりくらりなが〜く穏便に過ごすのが一番得策だと思っている。

ここでツイート②・③は自分の立ち位置を明確にしていないから反応です。一方でツイート①は「事務所は悪いが本人は悪くない」という立ち位置が伝わるので意見です。ツイート④も同じ「出る杭が打たれるような体制の事務所が悪い、メンバーは悪くない」という立ち位置は見て取れますが、少しひよっているので反応とも言えます。

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上記のような答えの無い問題に対しては、ポジションが明確になる意見を述べよう、というのが著者の意見でした。


現代において意見を述べる必要性

また著者の「なぜ意見を述べることが重要なのか・どんなテーマに意見すべきなのか」についての説明も印象に残りました。意見が持たなくてはいけない理由、それはSNSの発達によって「ネット人格」が重要になってきたからです。

現在は誰もがスマホを持ち、何らかのSNSで発信活動が行えるようになりました。そうしてその発信は、さっき僕が行ったように誰にでも閲覧できる形でネット上を漂っています。そうして、この無数の発信によって形作られるネット人格の利用は、これからも高まってくるでしょう。だから未完成品でも構わないので、自分がやっていることのプロセスを意見として発信することが重要になっているのです。


そしてもう一つ以外だったのは、自分にはまったく関係のないことに意見を持つべきということです。これは、自分に関係の無かったことが、ある日突然考えるべき問題になることがあるからです。本を読み進めながら「なんでこの人(著者)は政治問題に意見を述べているんだろう?そんなの普通の人は無理じゃない?」と思っていたら、その疑問にしたたかに答えてくれました。

僕自身の体験としても、まったく興味が思っていた政治問題が、2020年以降に突然自分ごとになった感覚があります。当時はまだ学生気分が抜けきっておらず生活が急変したのもあって、思ったように対応できなかった覚えがあります。ですから「イザというときに『意見がない』では、自分や自分の大切なものを守れません」という筆者の主張は本当にそのとおりだと思いました。


感想

ここからは、本を読んで僕が考えたことをまとめておきます。

意見は表明すべきなのか

この本において、著者は「反応ではなく意見を」「関心の無いことにこそ意見を」と強く主張していたように感じられますが、僕はその意見に賛同します。しかしその一方で、何にでも首を突っ込んで意見を述べる人にある種の気持ち悪さを感じるのも事実です。この根本には、「意見は表明することだけが正解なのか」という問題があるからなのではないでしょうか?

僕は、何にでも意見を表明するのは危険だし、やめておいた方が良いと考えています。これには大きく2つの理由があります。


第1に、人生の大抵の問題はそもそもどっちでもいいものだと思うからです。もちろん年金や社会保障、政治などの問題は誰もが関心を持ち、関わるべき問題ではあると思います。そうではなく、「今日のお昼ごはんはラーメンかカレーか」「きのこの山かたけのこの里か」みたいなのは、どっちでもいい問題にあたります。

どっちでもいい問題なら、「意見を持たない」もしくは「関わらない」という行動を選択するのもありでしょう。もちろん多くの人は、お昼ごはんやきのこたけのこで悩んだりしても、「そんなのは本当はどうでもいい」ことを分かっていると思います。しかし、芸能人のゴシップや他人の噂話なども本質的にはどうでもいいはずなのに、それに関わりたくなるのはなぜなのでしょうか?

例えば、「アイドルは恋愛禁止にすべきかどうか?」も本質的にはどうでもいい問題に入ると思います。これは芸能人の恋愛を取り沙汰してあーだこーだ言っている週刊誌とか民放の報道番組と変わらないからです。僕たちオタクは消費者として、「推しが恋愛をしていたとしたらどうする?」みたいな、もっと自分ごとに落とし込んだ問題を考えるべきなのです。


第2に、偉そうに意見を述べるとハブられることがあるからです。たとえば、大学に入学したて、会社に入社したての時は、何にでも口出ししたくなる、いわゆる「イキッてる」時期があります。もちろんこれは誰しもが通過する時期なので、サークルや職場の先輩も多めに見てくれることでしょう。しかし、集団に馴染んで自分の領分が分かるにつれて、そんなに意見を言わなくなるものです。そんななかで何年経っても集団になじまず、ずっとイキッてる人はウザがられるでしょう。

著者は集団においても自分の意見をはっきり持つことを主張しているわけなので、これは自然にイキッている人のポジションを取ることになります。しかし、イキッた発言は偉い人のプライドを傷つけ、地雷を踏んで居場所を失うことにつながりかねません。それでもすぐに新しいコミュニティが見つけられる人なら問題ないかも知れませんが、世の中はそんな人ばかりじゃありません。やはり生き残り戦略として「意見をあえて言わない」という選択は知っておく必要があると思います。


以上のように、「そもそも意見を持つべき問題なのか・意見は持っていても口にすべきかどうか」を見極める必要があるでしょう。口にせずとも行動で示すことはできるでしょうし、発信できるチャンネルを選ぶという手段はこの本でも触れられています。


自分にあったnote発信スタンスとは?

前述の「発信できるチャンネルを選ぶ」という意味で、僕はnoteをその場所に選びました。noteを始めるきっかけは、オタクをやっていると「考えて選ぶこと」が多くなったからです。

アイドルオタク・アニメオタク・鉄道オタクなどのジャンル問わず、オタクが固執していることはオタクでない人からみたらそれほど重要でないことが多かったりします。これは、先ほどで言うところの「どっちでもいい問題」に対して、いつも決まった選択をし続けているようなものです。そして、何かにこだわり続けていると、絶対に「そっちを選ばない方が良くない?」という場面がやってきます。そういったときに「じゃあ自分はどうしてこっちを選ぶんだろう?」と自分の中で折り合いを付け、納得感を持って選択するためのロジックが必要になるのです。

そしてこれを発信するのに、Twitterという場所は適切ではありません。140字で書けることには制限がありますし、それは即時的なものとして消費されてしまうからです。そこでもっと固まった思考の塊を残しておくために、リアルな自分から考え続けるオタクである「かべのおく」という人格を切り離し、noteで発信活動を始めたのでした。


そして、ここまで1年半くらいnoteを書く中で自分なりのスタンスが分かってきたので、以下の4点についてまとめておきます。

  1. どんなスタイルでnoteを書くのか

  2. どんな話題を選ぶか

  3. どういうふうに意見を語るか

  4. 出口戦略はどうするか


①スタイルは他の発信者と被らない、自分が得意なものを心がけています。たとえば、ライブレポやオタク論みたいなものはアイドルオタクnoteの典型です。しかしライブレポは文量が長くなったり、オタク論を語るには事前調査が必要だったりと、ズボラな僕には向きません。

しかし一方で、僕は普段からあまり人が気付かないようなところに気付いたり、妙な勘が働くところがありました。また本を読むのが好きなので、意味もなく色んなことを考えることは苦になりません。これを生かすため、日々のアイドル現場で気づいたことや思ったことを綴るエッセイ調のスタイルを確立しました。


話題は二元論にならない、新しい視点を提案できるものにしています。これは賛成・反対が簡単に言えるような問題を扱うことは、誰かの船に乗っかっているだけだからです。そういった問題を取り上げて論じるのは火のないところに煙を立てるようなもので、自分のnoteでやるべきことではないと考えます。

僕がやりたいのは、「地下アイドルオタクはどうすれば病まないか」みたいな、正解が100個くらいあって一定数には役立ちそうなテーマです。こういった意見はTwitterの140字ではまとめにくく、noteで等身大のオタクが発信する価値があると思います。この話題選択は、noteを始めた当初の目的である「一瞬一瞬の思いを書き留める」にも合致します。ただしそれにしても、もう少し意見をしっかり述べる必要を感じ始めているところです。


③意見は論理がいかに自分らしいものになるかを重視しています。つまり、結論自体はあまり重要視しません。なぜなら「こう考える人も世の中にはいるんだよ」ということを示すのが、僕がnoteで発信する価値だと思うからです。

たとえば、「アイドルのライブは、すべて声出しOKに戻すべきか?」という問いは、正解のない題です。これに対しての議論を深めるには、ただ「賛成」「反対」の2文字で意見するだけでは不十分です。「こういうライブは声出しにしたほうが良い」「こういうオタクは声出しを好まない」みたいな知見がたくさん求められるはずでしょう。できるだけ多くのケースを考慮して最適な結論を出すためには、意見に加えてその人なりの考えも一緒に提供する必要があると思います。


最後にnoteを投稿する、つまり④出口の段階では「これを読んで傷つく人が一人でも出ないか?」という観点で読み直すように心がけています。中にはnoteを「誰も言えないようなことを言う場所」などと豪語する人もいますが、だとしても最低限のマナーは必要でしょう。ましてや僕は自己紹介で推しを公開しているので、推しや同じ現場のオタクが読んでも不快に感じない内容になっていた方がいいはずです。

だからネガティブな内容に行きそうな話にはnoteで触れないのが賢いんだと思います。じゃあどうしてもネガティブな意見を持ってしまった場合どうしているかというと、その意見は出さずにしばらく自分の中で寝かせるようにしています。そうすると大抵は論理が破綻していることや、自分の思い違いに気づけます。また、ときには同じ考えのまま、ポジティブな意見に置き換えられることもあります。


以上、「自分の意見で生きていこう」をきっかけに、自分の発信活動というものを改めて見つめ直す機会をもらえました。これからもいろんなオタクのみなさん(ときにはアイドルのみなさん)に元気・勇気を与えられるようなnoteを書き続けられたらと思います。


おわりに

まとめます。

実はいつも、このオチに命かけてる。

以上です。

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