【FACTFULLNESS】オタクと分断本能
普通に生きてるだけなのに、気づいたら普通じゃなくなってました。
かべのおくです。
今度、NHKで「推し活の流儀」という番組が放送されます。
どうやら僕の主現場、FES☆TIVEのオタクが特集されるようです。
正直、世間の反応がとても気になります。
世間からは、認められるのでしょうか?
認められないのなら、それもそれでFES♡TIVER(FES☆TIVEのオタクの総称)らしいなと思います。
別に世間に認められたかったらオタクなんてやらない方が良いんですから。
はじめに
オタクやってると時々、「自分だけが特殊な趣味を持っているのでは?」と思うことがあります。
実際僕の場合、推しメンの名前を言ったところで知っている人は本当に限られます。
しかしだからといって、「オタクか、そうではないか」と切り捨ててしまっていいのでしょうか?
もしかしたら分断本能に囚われている可能性があるなと、最近では感じています。
分断本能とは
分断本能とは、『FACTFULLNESS』で紹介されている、人間の誰もが持つ思い込みのことです。
つまり、物事を黒白のようにキッパリと2つに区別できるものなんじゃないかと思ってしまうことです。
たとえば国際問題を考えるとき、思わず「先進国」と「発展途上国」のように2種類に区別して考えようとすることが挙げられます。
しかし実際はこのようにはっきり区別できず、大勢の人は先進国と発展途上国の中間に位置します。
これって、オタクも同じではないでしょうか?
全員「一般人以上オタク未満」
オタクをどう捉えているかは、人それぞれです。
現場に月◯回以上通っている
月◯万円以上使っている
推しの配信を毎回見ている
推しに認知をもらった
チェキを○○枚撮った
みたいに、オタクには一定の線引きができます。
しかし忘れてはならないのは誰しもそうでなかった時期もあったということです。
その頃のあなたは、オタクではないのでしょうか?
多分、「オタク初心者」「ライトオタ」「にわか」とか名乗っていたかも知れません。
つまり、「オタク」と「一般人」に明確な区別など存在しないのです。
全ての人は、その中間に位置します。
ただし、コンテンツの熱中度によっては知識や経験が大きく異なることがあるのは事実です。
この隔たりを感じた時に、便宜的に「オタク」という名称を与えられるだけなのです。
みんな違って、みんなオタク
また気をつけなくてはいけないのは、「その人は別分野のオタクかもしれない」ということです。
実際、世の中に「オタク」と呼べる人はどれくらいいるのでしょうか?
少し古いですが、旅行プラットフォームを運営するエアトリの調べによると、男性の6割、女性の7割は趣味のために旅行したことがあるそうです。
僕は、推しのために遠征したらもう立派なオタクだと思います。
つまり、あなたが出会う人の半分以上は何かしらのオタクなのです。
これはアイドルオタクという狭い世界で生きているとわからない興味深い事実に感じられます。
僕はあんなに死ぬ思いで遠征したのに、それが割と一般的だったなんて…
もちろんエアトリのデータは旅行意欲を促進するため、多少恣意的かも知れませんが。
ところで、オタクはジャンルが違うとメンタリティは変わるのでしょうか?
僕は変わらないんじゃないかと思います。
確かにAKB48オタクとアニオタ、声優オタク、鉄オタは趣味の楽しみ方が違うでしょう。
しかしその根本にあるのは「自分には好きなものがある」という誇りだと思います。
僕も色んなオタクをやって来ましたが、スタンスは変わりありません。
オタクは分かり合おうと「してない」だけ
だから、「同じ分野のオタクじゃないから、自分のことは分かってもらえない」と考えるのは間違いだと思います。
あくまでも好きの対象や、愛情表現が違うだけだからです。
しかし、表出するものが違うというだけでオタクは壁を作ります。
これは分野をまたぐ必要すらありません。
同じ地下アイドルのオタクだってこれだけの「キモい」が存在するのです。しかし本質は同じで、「推しが好き」ということになんら変わりありません。
オタクは分かり合えない、というか分かり合おうとしてもできないのでは無いかと思います。
それでも、「自分とは違う人もいるんだ」と知っておくだけでも、少しは楽になるのではないでしょうか。
おわりに
まとめます。
オタクではない知り合いにチェキツイを見られるのは、恥ずかしい。
以上です。
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