数年前、毎日怒鳴りあっていたころの私達について
数年前、私と夫は喧嘩が絶えず毎日のように怒鳴りあっていた時期があった。
私のすべてを夫に理解してほしい。
夫のすべてを理解したい。
ずっとずっとそう思い続けていた。
自分のすべてを与えながら、奪われ、夫のすべてを与えられながら、奪う、そんな生活をしていた。
たくさん泣かせて、たくさん泣いた。
加害者であり、被害者であった。
夫は、私が今まで出会った人間のなかで、一番優しい人間だ。
焼肉屋さんに行ったら、皿にタレを入れるのもお肉を焼くのも取り分けるのも店員さんに注文するのも、すべてやってくれる。
「ありがとう」と言うと「ありがとうと言ってくれてありがとう」と返してくれる。
全部が好きだから、何もしなくていいから、ただそこにいてくれるだけでいいと言ってくれる。
そんな優しい夫なのに、書ききれないほど良いところがある夫なのに、私は心から信じられなかった。
少し声色が変わった、話しながらため息をついていた。そんな些細なことで不安を感じ、突き放した。
鬱陶しがられてる?怒ってる?こんなことで怒るようなら、一緒にいられない。私のこと好きなら怒るのやめてほしい。
なんだか大事にされてない。言い返された。私の考えを尊重してくれない。
今、私との大事な時間なのに、なんでゲームするの?大して好きじゃないから?私の気持ち、何も考えてないし、そもそも考える気ないよね。
この前、直してって言ったところ直してくれない。反省してないんだ。私のこと嫌いなんだ。
こういうことをすべて伝えていた。
簡単に信用すると裏切られたときにつらくなる。いつ裏切られてもいいように、あーやっぱり私なんか愛されないよね、って思えるように、傷つかないように、疑っておかないと。
無意識にそんな考えをして、疑い続けていた。
それでも愛していると言うのなら、私に信用されたいのなら、証明できる行動をとって。そう要求していた。
夫の性質として、人の気持ちを考えるのが苦手、言葉選びが苦手、言葉を出すのに時間がかかる、口数少ない、忘れっぽい、などがある。
対して私は、人の気持ちを考えないなんてありえないし、言葉も考えて考えて選ぶし、すぐに言葉が出てくるし、たくさん話せるし、一度言われたことはなかなか忘れない。
私にできることが、こんなにも簡単なことが、なんでできないの?できるのに、しないだけじゃないの?私にはそんな価値がないから、大切してくれないだけなんじゃないの?
毎日のようにイライラして、追求して、突き放して、その度に夫に否定された。
「できるだけ直す。でも嫌いだからこうしてるんじゃない、うまく話せないのも、忘れやすいのも、全部自分なんだ、簡単にできないんだ」
よく分からなかった。理解したくてもできなかった。
私は私のダメな部分や醜い部分を受け入れてと叫ぶのに、夫のそういった部分は受け入れられなかった。
だってこれは私の求める完璧な愛じゃないから。
完璧な愛がほしかった。完璧な愛をくれる人を求めていた。完璧に、なんの疑いようもないような、綻びが一切ない愛がほしかった。
夫はよく、こんなに人を好きになったのも、こんなに人と深く話せたのも、私だけだと言った。結婚したからには、絶対に離婚したくないと言った。
猜疑心とは贅沢なもので、そこまで言われてもどうしても信じられなかった。
雛が初めて見たものを親と思うのと一緒で、初めて深く話せた私を最愛の相手と思っているだけで、夫は他の人間とも深く愛し合えるのではないか?勘違いではないか?私ではなく理想を愛しているだけではないか?
もっと優しくて穏やかな人こそが、夫を幸せにできるのではないか?
離婚しよう、と何度も言ってしまった。
私のような人間は夫に相応しくない。私のような人間とは一緒にいるべきではない。夫が不幸になるだけだ。
こんなことを毎日毎日繰り返して、二人とも疲弊していった。
完全に、試し行為だ。
夫の愛をずっと試していた。
子どものころから「たった一人の、その人だけいればいいような人」を探していた私は、今までの恋人にも試し行為をしてしまっていた。
反省し、もうこんなことは繰り返すまいと誓った。だけどまたやってしまった。この人は本当に私の「たった一人の人」なのか?と。
裏切られたくないし、粗末に扱われたくなかった、誰にも。
何もなくても、何もしなくても、何をしても、何を言っても、ただ許されつづけたい。
そうやってわめいて相手の愛情を試す私は、成熟している周りと比べるとひどく滑稽で、醜くて、子どものままだった。
私は「支え合い、分かり合えるパートナー」を求めていたのではなく「親の代わりに完璧な愛をくれる人」を求めていたのだ。
私の親は、完璧な愛をくれなかった。
だが、ふと気づいた。
そもそも「完璧な愛をくれる親」というのはこの世のどこにも存在しないと。
親というのは私や、夫や、私の友達、私の同僚などの延長線上にある。
私たちが完璧に生きられないように「親」も完璧には生きられない。
私は、そんな到底無理なことを夫に要求していた。
すぐに怒鳴って、すぐに暴れて、意見を押し通してきた自分の親のようなことをして、夫をコントロールしようとしていた。
すべてを理解してほしいと、私のために完璧な愛をくれと私を押し付けて、夫に我慢を強いていた。
私は夫を理解したいと思っていたが、本当は理解したふりをして、その上で我慢して、夫に交換条件を出したかったのかもしれない。
嫌いなところがたくさんある。夫と生きるために我慢したこともたくさんある。でも全部理解する。だから、たくさん奪われているんだから、与えているんだから、あなたも私に全部を与えて、我慢して、と。
ここ数年で、やっと分かったことがある。
私は、私の中にある孤独が苦しい。
誰かがずっと離れないでいてくれて、私のすべてを受け入れてくれたら、孤独はなくなるのだと思っていた。
実際に、夫と常に一緒にいて私の孤独が確かに和らぐことはあった。しかし、なくなりはしなかった。反対に、強まることもあった。
どんなに一緒にいても、どんなに伝えても、私の孤独は私にしか分からなかった。
そしてどうやら夫の中にも孤独はひそんでおり、それもまた夫にしか分からなかった。
私は夫と、一人になりたかった。親が子どもを分身と思って愛することがあるように、私は夫の分身になりたかったし、夫には私の分身になってほしかった。
しかし、私と夫は違う人間なのだった。
顔、体格、性別、出身地、親、血液、成育歴、情報の処理能力も、問題解決方法も、運動能力も、ものごとの認知も、言葉の使い方も、すべてが違った。
私は全部言葉にして伝えてきたつもりだった。夫の気持ちも全部聞いていたつもりだった。でも私の「苦しい」と夫の「苦しい」は違う。いくら言葉にしても、頭の中を正しく表現するのは不可能だった。頭の中のすべてを把握して、捧げ、繋げ、分かり合いたかったが、不可能だった。
夫がどういう気持ちで私と一緒にいてくれるのか、愛してると言ってくれるのか、私は正確に理解できない。
私には多少愛嬌はある。愛情表現も惜しまないし、夫のことをたくさん褒める。でも、それ以上にダメで醜い部分がたくさんある。
私は私が嫌いだ。
私は取り繕うのが異様に得意だから、出会ったときの見せかけの私をたまたま好んでくれ、そのままなぜだか愛してくれているだけ。そんな風に思ってしまう。
私が私じゃなければ、私のような人間とは恋愛関係にはならない。
しかし夫は、私と一緒にいたら幸せなようだ。
人の良い部分をみつけるのが得意で、信じやすく、一度決めたものはなかなか疑わない夫。
小さいころから周りを思いやり、我慢を我慢と思わず、誰にも怒らず、心からぶつかり合うことのなかった夫。
私との喧嘩を「こんなに深く人とぶつかり合ったのは初めて」と喜ぶ夫。
私とは正反対の人間なのだ。
理解できないのも、理解されないのも、当たり前か。
数年前と比べると、格段に喧嘩が減った。
夫に、すべてを理解して受け入れて、と言い続けるのではなく、最低限これだけは理解して、にとどめられるようになった。
夫の意味がわからない部分や嫌な部分に対し、なぜそうするのか、どういう認識でそう考えたのか、すべてを理解しようとするのを諦めた。
こういう人間なのだ、機序は分からないが愛してくれているようだ、そう思って突き放すのをやめた。
そして夫が身につけてくれた「愛情表現の頻度や多様さ」や「忘れないようにする工夫」なども加わり、なんだか最強になった。
幸せって、理解するとかされないとか、そういうことじゃなかったんだ。
そんなことは置いといて、私ではない夫がここにいて、私がいて、互いを粗末に扱わず、褒め合い、慈しみ合い、存在を許し合い、励まし合い、なんの実りもないような話をして、笑い合い、ともに悲しむ。
この日々の繰り返しに、すべてを理解するための時間は必要ない。それでいいんだ。
だが、すべてを理解はできないとはいえ、言葉にしなければ0の理解が、言葉にすれば1つだけでも理解できることも、確かにある。
私はそのたった1つの理解のために、言葉にすることをやめない。
なぜならやはり、私と夫はすべてが違う人間で、自分には思いもよらないことを考えていたりするからだ。すれ違いをなくせるからだ。
たった1つ理解できるだけで、私達は劇的な変化をとげられる。
昨日は1つ理解できていたのに今日になると0になってしまうこともある。忘れてしまうこともある。
これはもう、人間だからそういうものだ。
だから何度でも言う、毎日言う。
私はあなたを愛してして、必要だと。
そして夫にも言ってもらう、愛していると、必要だと。
一緒に幸せでいようとしてくれる夫がいる。もしかして、私はまあまあ良い人間なのかもしれない。
夫の存在、それだけで、私の今までの人生の選んできたこと、後悔していること、つらかったことはすべて「正解」になった。私も、夫のすべてを「正解」にしたい。
そんな夫と一人にはなれなくても、分身にはなれなくても、死ぬまで一緒にいたい。死んでも一緒にいたい。やっぱり死にたくない。
だから、二人で不老不死になろうね。と、そんな不可能なことを寝る前にいつも約束している。
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