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アウトプットできないのは、そもそもインプットが足りないからなのではないか

「アウトプットすべし!」という最近の論調には、大変同意しています。
アウトプットは、すればするだけ『身』になるから。

そして自分自身も「アウトプットが足りない…」と、半ば強迫観念のようになっている節がありまして。
このnoteも始めたはいいけれど、マメに更新できていないじゃないか…というような。

だけれどもふと1日が終わる時間になって、表題のようなことを思ったのです。

インプット不足で『出がらし』になっている…

昨日2月3日日曜は、週明けから怒涛の忙しさになる気配があるので、充電の日としました。

PCも開かず、SNSもなるべく見ないようにし、クライアントからのいくつかの質問LINEに応えたくらいで、あとは娘と犬とくっついてダラダラ(夫は出張中)。
そしてこの日のためにまとめ買いしておいたこの3冊を、合間に昼寝をしたりドラマを3本みたり、家事もしたりしながら一気に読みました。

読み終わったあと、自分の中がたぷたぷと満ちて溢れそうになっているのに気がついたのです。

言葉(文字)が出てくる。

想いが、アイディアが出てくる。

前日の夜、疲れたなあと無気力でベッドに入ったときとは雲泥の差。
本から得た情報や、それに伴う感情で心は完全に満たされていて、書きたいこと、吐き出したいことが脳内を駆け巡りはじめました。

…そうか、私はアウトプットしすぎて『出がらし』になっていたのだな、と。

ブログを書くことだけが、アウトプットじゃない。

アウトプットといえば、ブログを更新したり、SNSにそれらしきことを長々と(または端的に)書くこと、というような最近の流れ。

それもアウトプットのひとつだけれど、ではそれらをしなかったら『アウトプットしていない』ことになるのだろうか?

仕事において私は常に、コレが売れるにはどうしたら?認知を高めるにはどうしたら?と考えたり
それをデザインに落とし込んで実行したり、検証したり
お客様の悩み相談にのったり…といろいろなことをしています。

そこで働かせる『思考』や『知恵』というのは、これまで培ってきた経験の他に、多様な場所からインプットした知識から成っていて。

読んだ本、購読しているメルマガ、受講中の動画コンテンツ、チェックしているサイトの閲覧、SNSで流れてきたものの中から取捨選択したもの…
など、たくさんの情報を『バラバラにしてから組み合わせて』放出しているのです。

これも、立派な《アウトプット》なのではないか?

日常業務に忙殺されてインプットができなくなってくると、アウトプットとして絞り出そうにももう『アウトプットダム』がカラッカラ…なのではないだろうか。

そう、思ったのです。

「ブログ書かなきゃ」と、『書くことが目的』になるのは違うなと。
想いや考えが湧き出て溢れてしまう、その抑えきれなくなったぶんを、ブログなどで言葉にして残しておけばいいのではないかな、と思ったのです。

インプットばかりでその学びをどこにも活かしていないのであれば「アウトプットせよ!」と叱咤激励したらいいけれど、
普段の仕事や生活で学びを活用させているなら、それはもう立派なアウトプット。

それも、いいんじゃないかな。

今回買った本、Amazonから届いてみると全部白い表紙に黄色い帯でした。
なんだろう、この偶然!

それぞれの書評はまたの機会にするとして(どの本もよかった!)…
今回はnoteをマメに更新しない言い訳をしてみました(笑)

学んだことを文字にして残すことは、誰かに勉強を教えると理解度が深まるのと同じで、とても『身になる』こと。
これからも無理のない範囲で更新していこうと思います。



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