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2023年に向けて、これまでを振り返る (上)

どうも、ロカビリーバンドCAROLAN'S Kabaddiです。
こうやって文章をお届けするのはいつぶりでしょうか。
ご無沙汰しております。お元気ですか。

12月25日にCAROLAN'Sから発表があった通り、2023年12月はバンド結成10周年。
ライブに配信リリースに・・盛り沢山な内容でお送りする予定です。

現段階ですでに予定のボリュームが多いので、忘れないようにカレンダーも作りました。

セブンネットプリントで年明け1月1日の23時59分までダウンロード・印刷可能です。お近くのセブンイレブンでぜひどうぞ。(100円かかります)
カレンダーになれば毎日見てもらえるんだろう、と昔から大好きなアーティストが歌っていた通り、年間カレンダーにしたので毎日見て毎日CAROLAN'Sのことを思い出してくださいね。

さてさて。
怒涛の勢いで10周年に向けての情報を発表したわけですけれども。
せっかくのタイミングなので、来年の10周年に向けて、これまでの9年間をゆっくりと振り返っていきたいと思います。
記録を見ながら、思い出に残っていることをつらつらと書いていくつもりです。

2013年

当時はCAROLAN'Sとは別のバンドを動かしていて、ガレージというかパンクというか、今よりもいくぶん喧しい音楽をやっていました。
そのバンドでブッキングライブに出た際に、マミーさん(MUMMY CAROLAN'S ウッドベース担当 https://twitter.com/marcosMcarolan )やCAROLAN'S結成当時のドラマーと出会って仲良くしていた中で、当時のバンドが活動休止することになり「じゃあ俺たち3人でバンド組んでみようか」となったのが始まりだと記憶しています。

ちなみに当時のマミーさんは現在のようにウッドベース弾きではなくいわゆる普通のベースを弾くベーシストでした。
イメージ的にはオールディーズというか、堅実なプレイスタイルの中にセンスの光るベースライン、みたいなプレイヤーだったと思います。

3人で新しいバンドをやるからにはまずはスタジオから、と池袋のスタジオに集合した時、誇張でなく目が飛び出るほどびっくりしました。

マミーさんの荷物が明らかに普通のベースと違うんです。
「おはざす〜」とか言いながらゴロゴロと押してきたそれは、どこからどうみてもウッドベース。(当時は名前も正確に知りませんでした)

「・・・なにそれ?」
「え?ウッドベース。最近これしか弾いてないんだよね。」

頭の中に描いていた新バンドの構想が音を立てて崩れていくのを感じます。

CAROLAN'Sのライブを観たことがある方や音源を聴いていただいている方にはわかるかと思いますが、ウッドベースのリズム感というかアクセントのつき方、特にスラップ奏法のリズムはかなり特殊です。(そこが良いところですし、それがマミーさんらしさ、ひいてはCAROLAN'Sらしさです)

もちろん当時の自分はウッドベース弾きとスタジオに入ったこともなく。
ウッドベースの曲もほとんど聴いてこなかった人生だったので、大いに動揺しました。この特殊なリズム感に合わせられるのか?合うようなギターフレーズやメロディラインは・・?完全にパニックです。

とは言え、せっかくの機会だし、ベースラインはやっぱりマミーさんのセンスある感じもあるし、やってみっか!と半ば軽い気持ちでスタジオでセッションを始め、なぜか当日に1曲完成しました。
もちろん事前に思い描いていた曲とはまったく違う曲。
(これが、1st E.P.「YES or NO」に収録されている"GONE"という曲になりました)

やってみたら案外楽しくて、帰り道ではすでに「このバンド、なんて名前にしよっかなー」などと考えていました。

ちなみに、のちにマミーさんが語ったところによると、この日に「バンドを一緒にやるなら普通のベースにして欲しい」と言われたらバンドに参加するのは辞めようと考えていたとのこと。
彼自身覚悟を持ってこの日に臨んでいたらしいです。
むしろ当日もそんなことは思い付かず、「ウッドベースとかっこいい曲を作るにはどうしたらいいのか?」に集中していた覚えがあります。
本当にあのとき、普通のベースにして欲しいなんて言わなかった自分を誇りに思います。

なんとか初スタジオを終え、大急ぎで6曲作って初ライブを迎えます。
それが2013年12月20日。
現在の下北沢ろくでもない夜、当時の下北沢屋根裏。
当日のことは正直あんまり覚えていません。
まだ大学生で、午前中に卒業論文の中間発表を終えてそのままライブハウスに直行しリハーサル、本番・・と勢いで乗り切って、帰り道に「今日は論文発表とライブの2ステージだったなあ」とアルコールの混じった頭で思いながら帰ったことは覚えてます。

あの日から来年で10年。
感慨深い思いもありますし、これまでもこれからもマミーさんの横でギターを弾いて歌っていられることに誇りを感じます。
10周年のライブは同じ場所でどうしてもやりたかったので下北沢ろくでもない夜に相談して日程を確保していただきました。本当にありがとうございます。

2014年

2013年末の初ライブを終えた後、いくつかのライブハウスから声をかけていただいて3本くらいライブに出演。
その後3月にいきなり活動休止に突入します。

今だから言える話ですが、2014年4月から就職することを決めていて、その配属先が大阪になったという知らせが届いたのです。

まだバンドと生活のバランスもよく考えられていない年頃で、愕然としながらメンバーふたりに大阪に行く旨と、しばらくバンドは活動休止にしてほしい旨を伝えました。
残念ではあるもののしょうがないよね、やれるときにやってこうぜ的な会話をしたような気がします。
正直、当時は悩みすぎてあまり記憶がありません。

4月以降、なんやかんやいろんなことがあって結局は東京で働くことになり、バンド活動を再開。わずか4ヶ月の活動休止でした。
7月からライブ再開して、月2本ペースくらいでライブをしながら、年末には初めてのレコーディング。
いま廃盤になっている「手を鳴らせ/求愛のダンス」ですね。懐かしい。

レコーディングは当時から今までずっと同じスタジオです。
スタジオペンタ立川店Ⅱさん、お世話になっております、本当に。

レコーディング当日、全行程が終わったことでテンションが上がりすぎてメンバーそれぞれでTwitterアカウントを開設。それが今のアカウントです。
https://twitter.com/KabadieCarolan

2015年

年明け1月31日にCAROLAN'S初の自主企画&リリースパーティーを敢行。
イベント名は「ロックンロールインフルエンザ」。
・・・今のご時世なら考えられないセンスですが、当時は実家のパソコンでパワーポイントを駆使しながらイベントフライヤーを作って印刷して自分で切って・・みたいなことをしていました。
(フライヤーの素材はどこかにあるはずですが脳が拒否して探せません)

初めての自主企画を終えて、ようやく自分自身がCAROLAN'Sだという自覚が出てきたのもこの辺りだったと思います。
土日だけじゃなく平日にもライブをしながら、今現在でも付き合いのあるようなバンド仲間に出会えたのもこの年です。

いくつかの仲間のバンドの企画を中心に出演して2015年を駆け抜けていきます。
2015年4月にはロックンロール以外は全部嘘というライブバーでキャリア初の2マンに挑戦しました。
お相手はvono vomno(ボノボノ)https://twitter.com/vono_vomno 。

パンパンにすれば20〜30人くらい入れるライブバー、日曜日の19時スタートで1時間ずつの出演時間。

お客さんは全部でふたり。

今考えるととんでもないことです。
ツーマンやらせてもらって、スリーピースバンド2組でお客さんが演者より少ないなんて。
異常値です。すみませんでした。
いつかリベンジさせてください。

バンド同士、横での繋がりが自然発生的に増えながら、自分がライブをやるだけじゃなく他のバンドのライブを観にいくようになったのもこの年だったと思います。
この辺りからライブハウスが本格的に好きになっていくんですね。

2016年

ようやく第一弾のMVを公開。
レコ発から386日が経ってからだったようです。何故。

編集を担当しましたが、今見てみると謎のカット割・・音の合ってなさ・・反省点しかないですが作品は作品です。
是非ご覧くださいませ。

2016年はさらに2本のMVをリリースしています。
こちらは本職のディレクターが作ったものなので最高の出来です。

本当は1本目の「YES or NO」だけを撮影する予定で西新宿に集合したんですが、ロケで使いたかったビル(ゲリラ的に撮影しようと画策していた)が閉鎖されてしまっており、時間が空いたので急遽ハイエースを借りてきて2本目を撮影。
結局朝まで撮影していました。

MVを出した「YES or NO」を含む1st E.P.「YES or NO」のリリースを行ったのも2016年です。
この辺りからお客さん、というか毎回見に来ていただける人もちらほら出てきて、CAROLAN'Sとしてのこれからだったり、続けていくことの意義みたいなものを考え出したような記憶があります。

夏には初の野外ステージを横須賀の三笠公園で経験。
吹き出す汗と、潮風が最高でした。
野外での経験はなかなか他では味わえないことなので、またこれもリベンジというか改めてやりたいです。いろいろ考えていきましょう。

この年のトピックはもうひとつ。
月9に出ました。
本当です。
当時の月9「ラブソング」にて、宇崎竜童さん演じるマスターがいるライブバーで菅田将暉さんの会話を邪魔するバンド役として出演しました。

大雨の中湾岸スタジオに始発で行き、他のエキストラの皆さんの脇で楽器を抱えて待機して呼ばれた本番。
カメラリハーサルや音響(バンドは生音でした)の確認など物凄い数のスタッフの皆さんが走り回る現場はまさに戦場。
立ち位置の確認がすんだところで役者さんたちがセットに入ってくる。その中には宇崎竜童氏も。

人生で一番緊張したと言ってもいいでしょう。

あれだけの人数の大人が本気で作り上げている作品のひとかけらとして、役者さんたちの魂の入った演技を無駄にはできない。最高のタイミングで最高の音量と音質とテンションでぶち上げなければいけない。

この文章を書くまですっかり脳のどこかにしまわれていましたが、今思い出しても緊張して手足が冷えます。

どうにか本番を終え、オンエアを確認して安心しました。
役割は果たせたんだ・・という初めての感慨が胸を襲います。

あとやっぱりテレビに出ると、親孝行ではないのかもしれないけれど、こうやってやってますよ、その結果2秒だけでもテレビに出れているよ、という意味でテレビという共通のメディアで話すことができたのはいいことだったと思います。

さらに、ここからCAROALN'Sの数年間の活動の軸となり自分自身のライブハウス通いの中心となるTHE JIVE NIGHTに出演し始めたのもこの年、2016年。
バンド同士で共謀しながらイベントを作っていくという経験を初めてしながら、それまで考えていたぼんやりとしたバンドの展望やバンドでやりたいこと、さらには自分自身のやりたいことをどこに置くか、ということを考えなきゃな、と思いながらアルコールに身を預ける夜が続きました。

今回はここまで

案外書き始めてみると細かいことまで思い出してしまって文字数が嵩んでしまいます。まだたった3年、時点は2016年だというのにすでに4,000字を大きく超えて5,000字に迫る勢いです。
10年の歴史のうちの9年を語るというのはなかなか大変なことなんですね。

歴史の振り返りは上・中・下の3回に分けてお届けします。
次回をお楽しみに。

今日はこの辺で。

Twitter:https://twitter.com/KabadieCarolan 2019年9月より毎日更新継続中。日常の何かを切り取って考察や分析をしてみたり、提言したりしています。よければ読んで、よければスキを押して、フォローしてリアクションメッセージをご確認ください。