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無敵/Young Kee (ディスクレビュー)

無敵という言葉を知ったのはいつだっただろうか。なにかの少年漫画だっただろうか。敵がいない、並び立つものがないという意味での無敵という言葉に出会ったのは、敗けることの悔しさや苦味を知らない無邪気な年頃だったと思う。
そんな誰しも通りすぎてきたであろう無邪気な時期を終えて、さまざまな感情と、それに結びつく語彙を獲得していく中で、心に悪が芽生えたときの、あの不意を突かれた感じ。自分の中にこんなものがあったのかと震えながら、今日まで過ごしてきた家族にまで向いてしまう、悪意というハイカロリーでよく燃える燃料で身体中を燃やして生きていることに気が付きながらも、もうそうやってしか彼らに接することのできない歯がゆさ。
自分の中にある悪意という怪物だけが膨らんでいって、共に暮らす家族をも食い破るのではないかという絶望。悪という言葉を知ったから見える悪。永遠という言葉を知ったから感じるすべての人との永遠の不在。笑い合った自分たちは無敵だったはずなのに、だからこそ心も胸も痛くて壊れてしまいそうになってしまう。
少年とも少女とも、達観した女性にも聴こえるような不可思議で印象強いボーカルが、そんな無邪気さと悪の狭間の懊悩を加速する。全体の進行や清潔感のあるギターアレンジからすれば、家族への感謝だとか愛だとかを真正面から歌っても成立するだろうに、そうしない。そこに、正直にすらなれないという、それこそ正直な本性を見ることができる。
「美しいものにすら気づけなくて」から始まる展開の中に、他のパートで見られるようなバンドサウンドからは一歩引いた、機械的で、上下左右に散らばった音で溢れる瞬間がある。コード進行すらも捨て去って、同じメロディーを繰り返すその様子に、まるで悩みながらスパイラルするこちらの頭の中を見透かされてるようで不安になる。大人になる。ならない。差し伸べられる手に感じる優しさと、自分の中にだけ生じる欺瞞。そんな想いでがんじがらめになりそうになった瞬間、目の前から音が消える。そしてその後に訪れるサビの言葉たちによって少しだけひらけた思考の中で、 無邪気な頃から持っている、むきだしで正直な気持ちがようやく燃え始める。
あらためて言われる「無敵だよ」の一言に、こんがらがっていた心が解けて、繰り返した胸の痛みから解放される。これまでは歌詞と合わさって心を追い詰める方向に進んでいたバンドサウンドの一挙手一投足が、前に進むエネルギーにいつのまにか変わり、アウトロで思わず走り出したくなってしまうような高揚感と、すっきりとした幸せに包まれる。
こんなことなら最初から正直になってみればよかったな、と曲がりくねった日々を思い出して苦笑いしながらも、また今日を歩き出せるような、あなたをさまざまな方向から支え肯定する一曲。

反抗期(はんこうき)は、精神発達の過程で、他人の指示に対して拒否、抵抗、反抗的な行動をとることの多い期間のことである[1]子供から大人へと成長する過程で誰もが通るものとされている。

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