産まれた瞬間捨てられた僕。
Part1 【小学生低学年】
父は国鉄(現在のJR)の職員だ。
寡黙なタイプであまり感情を表に出すタイプではなかったが、いわゆる『厳格な父』というわけでもなく昭和の平凡な父親といった感じだ。
人並みにタバコも吸うし酒も飲む。
仕事柄夜勤や通しでの勤務も多かった為、家事をしている姿はあまり見なかった。
アルコール依存、ギャンブル、DVは無かったので現代基準で見ても良い父である。
当然顔は似ていないのだが当時は似ていると錯覚しており、今見ても口角の上がり具合や肌の質感くらいは似ていると思っている。
母は服飾の専門学校を卒業し、自宅でパターンナーとして働いていた。
当時は珍しい業務委託、在宅ワークでメーカーがデザインと共に生地を自宅に郵送してくるのでパターンをおこし、生地を縫い上げていくのだ。
主に伊勢丹や高島屋などのブティック展示用の服が多かったが歌手の衣装も手掛けていた。
中でも石井竜也率いる【米米CLUB】を専属で担当しており、コンサート前になるとパフォーマーのジェームス小野田氏が着るのであろう奇抜な衣装が母の部屋に並んでいたのを良く覚えている。
母は父と違い良く話すタイプだ。
会話だけではなくテレビで犯人逮捕のニュースを見れば
『悪そうな顔してるわね〜』
上沼恵美子が料理をすれば
『今度これ作ってみようかな〜』
と聞いてもらいたい独り言も多い。
犯罪に関するニュースを見かけるたびに
『あんたは絶対こんなことしないのよ〜』と半笑いで言われるのは苦手だった。
そんなとても普通な両親に育てられた僕は特に問題を起こすこともなく小学期を過ごせるはずだった。
幼稚園〜小学生低学年まではあまり記憶がない。
『40過ぎてもがっつり覚えています!』って人のほうが少ないだろうから許してほしい。
僕の場合は幼稚園〜6年の小学校生活で3度も転校している為、一年一年の記憶がとても薄いのだ。
良い記憶といえば通っていた私立幼稚園のモデル児童になれたことである。
幼稚園児の写真を見ると、そのへんのジャガイモ児童や鼻垂れ児童と比べると明らかにイケメンなのである。
髪にはほんのりとブラウンが混ざっており、手脚も長い。自分で言うのも何だが気品が溢れ出ているのが写真越しに伝わってくる。
目は大きく、どの写真を見ても瞳はキラキラと輝いていた。
当時のカメラ精度の低さが原因なのかレンズを見つめる瞳の中に本当に『✨』こんな白い模様が浮かんでいるのである。
幼稚園時代は女の子とぬいぐるみやままごとで遊んでいる写真が多いところを見ると当時の人気ぶりがうかがえる。
決して女好きというわけではなく単にスポーツに興味がなく、寒い日に外に出てボールを蹴ったりするよりも温かい室内でシルバニアファミリーで遊ぶほうが性に合っていたと当時から気付いていたのかもしれない。
特に問題もなくただ周りよりもモテる平凡な年少時期を過ごすことができていたと思うが一つだけハッキリと憶えている嫌な記憶がある。
僕は【性的虐待】を受けていた。
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