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【短編小説】買って帰って食べるだけのことなのに。

去年の冬のことだ。
いつもの時間、いつもの帰り道。
いつも通りの場所のはずが、私の目に留まった一つの自動販売機。
赤を基調とした鮮やかな色彩にインパクトのある文字。
『自宅でお店のラーメンの味が楽しめる・・だと・・』
気付けば私は財布を取り出していた。
この高揚感は少年に戻ったようだった。

新しいゲームソフトを買ってもらい、
帰りの車で意味のない説明書を読んでいる時の、あのワクワク感があった。

『1000円か、、』
しかしながらなかなかの金額だった。
そう。お小遣いが6000円の私にはハードルが高かった。
もし外れたら、美味しくなかったら。
6分の1を使う価値があるのか。Sサイズのコーヒー10杯も飲めるぞ。と。

大人になると様々な経験から、マイナス面を考えてしまう。
いやいや、今は少年の心だ。失敗を知らない!純粋なんだ!
恐れることはない。そんなことを考えていると10分が経過していた。

自販の前におじさんひとり。
動くことない10分間。
自分自身とにらめっこ。

傍から見ると超優柔不断人間だ。
なんなら不審者と言われてもおかしくない状況だった。
買うか買わないかで10分も使ってしまった。
『よし!買うぞ!!』と心で決めたあと
『さて、どれにしようか、、』
と、そこから商品選びが始まった。

その日、外の気温は2℃だった。
いつも通り自転車で家路をたどっていた。
昨日までここにはなにもなかったのだ。
今日の私の人生はこの自販機に狂わされた。
ああ、お腹が空いたなぁ。時間は20:30を過ぎていた。

『どれでもいいか。』と、一番好みに近い見た目の商品を選ぼうと思った。
寒さも厳しかったが、既に空腹加減も限界に近かった。
やっぱりこってりだよな、いや、つけ麵もうまそうだ。
今日はあっさりでもいいな。
空腹状態では、どれでも美味しそうに見えた。
空腹すぎて写真だけでは決めかねるため、食べた時の想像をした。

あっさりラーメン・こってりラーメン・つけ麺があった。

それぞれの理想の味を想像して頭の中で食べた。
『ふふっ、そうか・・』やはり今日は好きなこってりの気分だった。
ふと自販機を見ると、こってりラーメンが3種類もあった。

想像した結果、余計にお腹が空いただけだった。
今の自分が食べたい物を選ぶために、こってりの3種類を頭の中で食べ始めた。
2種類目に行くときに、
限界を迎えたのは膀胱だった。
私は急いだ。近くのコンビニへと。

1分ほどの距離にコンビニがある。
とりあえず用を足してから戻って来よう。
そう心に決めて、コンビニへと自転車を漕ぎだした。

コンビニに着き、トイレを求めた。
幸い使用中ではなかった。
用を足しながら、3種類の想像食事を終えた。
よし!決めた!あれを買いに行こう!

・・・しかし、トイレだけの使用はお店に申し訳ない。
『何か買わないとな。』
そうして私はトイレを出た。
時間は20:40を指していた。

とにかくお腹が空いた。
トイレを出るとカップラーメンが目に入った。
自販機ラーメンの魅力には到底敵わなかった。
缶コーヒーだけを取り、レジへ歩みだした。

レジには1人並んでいた。
若いイケメン風の男の子だった。
店員と笑顔で話している。『あははは!』
早くしてくれ。少し苛立ちながら待っていた。
たばことホットスナックを買って笑顔で去っていった。

ん?ホットスナック?
暖かい光に包まれたショーケースに目を引かれた。
いやいや、私には自販機が待っている。
心に決めた相手がいるんだ。
ダメだダメだ、と頭を振る。

しかしホットスナックが相変わらず呼んでいる気がする。
『しょうがないよな。
缶コーヒーだけだと申し訳ないし、
他に買うものがなかったんだ。』
誰に対しての言い訳なのかわからない事を考えながら
レジへと歩き出した。

その時、私の中の天使と悪魔が戦い始めた。
天使『お腹を空かしてラーメン食べたほうがおいしいよ!
   1000円も使うんだよ!コーヒーだけにしときなよ!』
悪魔『ちょっとくらい大丈夫さ!
  とにかく今の空腹を満たそうぜ!
  金額も150円程度じゃないか!』

そんな小さな小競り合いがありつつも、
いやいや!今日はコーヒーだけにするぞ!
そう強い心を持ち、会計に挑んだ。
コーヒーを台に置き、スキャンしてもらった。

その時、『チキン揚げたてですがいかがですか!』
小動物のような可愛らしい女の店員から、
えげつないボディブローを食らった。
マスク越しでもわかる、可愛く愛嬌のある笑顔で。

そして、私も笑顔で
『あはは、じゃあお願いします』と言ってしまっていた。

コンビニを笑顔で出ると、手には熱々のチキンと缶コーヒー。
私は自販機に寄らず、家に帰った。

あれから約9ヶ月。
いつもの時間、いつもの帰り道。
いつも通りの場所にいつもの自動販売機。
赤を基調とした鮮やかな色彩にインパクトのある文字。
私は今日もその横を抜けて家に帰るのであった。

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