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この世に平等は成立しない。

どうも、毎晩よもぎカイロで仙骨と子宮を温めながら寝る、でおなじみの私です。

よもぎカイロ、最高です!

今日のテーマは、この世に平等は成立しない。

私には子どもが1人しかいないので、
兄弟姉妹を持つママたちの
"子どもたちに平等に手をかけてあげられない"
という経験がない。

ただ私は脳天気な性格だから、もし子どもが複数いたとしても、だってしょうがないやん♬って脳天気にしている自信あり。笑

でも、愛情深いママほどそこに悩む。
私から言わせれば、
そこに悩んでる時点で最高に優しいママだと思うんだけどね!

左が『平等』 右が『公平』

有名な画像です。

大事なのは、行為じゃなくて目的。

左側は、全員に平等に踏み台を与えているけど
全員が野球を観たいという目的を果たせていない。

右側は、三男に2つ踏み台を渡したことで長男に踏み台を与えられないが
全員が野球を観たいという目的は果たしている。

手をかけるという行為にばかり意識がいって
その先が見えていないから
迷宮入りしてしまう。

子どもたちがママに求めているのは何か。

愛情と安心。

これって、今手をかけないといけないとかいう問題じゃない。

ママは1人しかいないのだから、
どうしても手をかけるのに時間差はある。

どうにもならないことで、
自分を責めても仕方ないよね。

だったら、そのとき自分ができることで
精一杯の愛情と安心を与えてあげることしかできない。

それに、こちらがどんなに手をかけても
相手(子ども)が100%受け取るかなんてわからない。

子どもたち全員に平等に手をかけても
長男は10受け取るけど、
次男は3しか受け取らない。
三男は全く受け取らない。

みたいなこともあり得る。

それは子どもたち次第。
これも、どうにもならないこと。

受け取る側が満足に受け取ってないのに
与える側が
『これで平等に与えられたわー!』と晴々としているとしたら
それはまさに、与えることに意識がいきすぎて
何のために与えるのか、その目的を見失っている状態。


旦那はよく家事や育児を手伝ってくれると言えば
『恵まれてるねー』と言われる。

でも、言われた本人は恵まれてると思って生活してない。
旦那が洗濯を畳めば、畳み方が違うことに不満が出て、
食器を洗ってくれたかと思うとお皿の裏側を適当に洗ってるのが気になってしょうがない。
自分がやったときを100%とするならば、
旦那がやれば6割ぐらいしかできていないのに
やってやったぞという態度をするのにもモヤモヤする。
不満もあるし、イライラをぶつけるときもある。

与えてもらっても、
受け取り方は人それぞれ違うんです。

それがいいとか悪いとかの話ではなく
そういうものなんです。

平等にさえしていれば、みんなが満足するかと言えば決してそうではない。

平等は成立しないのです。

だから、
子どもたちに平等に、なんて思わなくても大丈夫!

あなたがそのときできることを
ただしてあげればいい。

あなたのタイミングで。

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