料理中に指を切ったことから感じたこと
料理中に誤って研いだばかりの包丁で左示指の腹を切った。
包丁はのこぎりと同じなので、垂直に圧迫するより、前後に動かした方が切れる。僕は前後に動かしてしまって、痛みが伝達する刹那でだいぶ切り進んでしまっていた。驚く程のスピードで赤い鮮血がまな板に数滴落ちた。
切っていたのはパプリカ、左手で持ち上げ、妙に立派なヘタ部分を切り取るためにV字に切り込みを入れようとして、指まで一緒に切ったということだ。パプリカと同じ赤い色が、まるで間違えたように僕の指の方から流れた。
慌てて圧迫する。ぱっくりと開いた谷を両側から押さえつける、血液の供給量が減少し、白くなった皮膚に、指紋よりはるかに深い綺麗な一本線ができていた。出血量でビビったが傷自体の深度は5mm程度だった。
応急処置としてはおそらく、汚れを落として止血するまで圧迫するはずだと考えて、傷口をティシュー越しに押さつつ、医療用のテーピングでグルグル巻きにして、心臓より上に上げた。そのまま片手と声でネットを検索し、処置が間違ってないことを確かめる。
見慣れない血に焦り、自分の愚かさを嫌悪し、いつも気を付けているのにもっと慎重にすればよかったと、取り返しのつかない後悔をする。早く夕飯を作ろうといつもより急ぐ気持ちがあった。日中にイライラを感じることがあった。そういう自分を認識していたのに。
僕には自分がイライラしているということを自覚するという習慣があった。もし対人関係で苛立ちを感じてしまった場合に、それを表面化させないための癖だ。自分の機嫌は自分でとる。他人に自分の機嫌の悪さをツールとしてではなく、制御できずに露呈してしまう人は子供だと思っているからだ。そういう大人いるよね、仕事上の関わりでそんな人間と分かった時は、相手への軽蔑などの気持ちより、むしろ自らの力不足を感じてしまった。
ある程度止血し、軟膏を塗り絆創膏をキツめに巻いて一日経過し、痛みも引いてこうやってキーボードを打てるまでに回復しました。小学生の時にも料理中に包丁を落として右足の指を縫ったことがありますが、今回は縫うまでに至らなくてよかった。
今回の事は単に不注意での事故に留めておかない、何故なら、起こるべくして起きたと思うからだ。包丁が僕の指を切り裂くその瞬間に繋がる心の動きがあった。反省すべきは包丁の取り扱い以上に、そこに至るまでの情動のさざ波の乗りこなし方だ。思い出すために、久しぶりに感じたこの痛みと後悔をここに残しておく。
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