大盛りを残してしまった時の精神的ダメージについて
僕は相対的に育ちの良い人間に分類されると思う。これは驕りではなく、日本に生まれ、生命に不安を感じることなく生きてこれたことだけでもそうだと言えると思う。幼少期から直接的には祖母に育てられ、過度に甘やかされることも、厳しく躾されることもなかったと思う。裕福でも貧乏でもなく、人並み以上に他人を羨んだり、物欲に心を飲み込まれるようなこともなかった。
自我を認識し、精神的にも首が据わった子供時代には、『食べ物を残す』ことへの嫌悪、まではいかないが、禁忌なイメージが自然と定着していたような気がする。給食にしろ祖母の料理にしろ、目の前に出されたものは全て食べる習性ができあがっていた。もちろんフードロス問題や飢餓問題はその頃からも学校教育や社会ニュースになってはいたが、その為に意識的に完食を実行していた自負はなかった。
どういう訳か、単純に『残さず食べる』ことがルールになり、やむを得ない場合を除いて、必ずそうしてきたという実績が積み重なり、無意識の領域から顔をだして、いつしか僕の隠れた矜持になっていたと、今は分析する。
さて、時間は過ぎて、先週にまで追いつく。そんな僕はおっさんに進化し、久しぶりに会う友人に誘われ昼食を食べに行ったのである。
外食をするのに列に並ぶ経験をはじめてすることになった。何やら有名店らしく、10人程の先客が並んでいた。メインは夜営業の居酒屋で、ランチでは格安で海鮮丼を出しているお店だった。
大して待つこともなく名前を呼ばれ入店。店内はいわゆる普通の居酒屋で、10人程が詰めて座れるカウンターと、4人用の小さな座敷があり、僕らは2人だったが座敷に通された。大学時代はよくこんな雰囲気の居酒屋に行ったものだ。黒く煤けた木造の柱に燻製色のメニューが貼られ、規制の緩かった時期には、紫煙で満たされてたのだろうと類推できた。
ランチメニューは全て海鮮系の丼もので、ランク別に4種類だった。そして『ご飯、大盛り無料!』の文字が……。大盛りができるならそうしない手はないのである、無料なら尚更だ。僕はそうやって生きてきたし、軽々と完食してきたのである。大盛り自体を売りにしているお店でもなかったし、学生街でもない、小さな居酒屋で小食そうな女性客も多かったのだ。
運ばれてきた海鮮丼大盛りはずっしりと重かった。大きめのお椀に盛られた海鮮達は丘を形成し、ご飯という大海原は見ることすらできなかった。まだこの時点での僕は何の不安も感じてはいなかった。むしろ「余裕っしょ」と気持ちは大学生だった。同様に大盛りを注文していた友人も顔をほころばせ、スマホをかざしてインスタ映えだ。
残さず食べる人間だとつらつら書いてはきたが、特に僕は美食家という訳ではない、外食にしろ自炊にしろ、安い旨い多いが至高である。よって寿司といえばチェーン店で新幹線に乗って運ばれてくるものがほとんどだった。そんな庶民的な僕に、この海鮮丼はかなり美味しかった。行列ができる理由はコスパだけじゃないと思えた。そう、半分程を食べ終えるまでは……。
「あれ、おかしいな」と思うと同時に、強烈な焦燥感が這い上がってきた。賢い僕は、丼の残りの量と胃の容量とを瞬時に秤にかけて、近い未来を予測してしまったのだ。簡単に言うと『食べきれない』と判断してしまったのだ。
自分の意思で大盛りを注文したにも関わらず、食べきれずに残してしまうかもしれないという現実をひしひしと感じた。そんなことは経験したことがなかったので、実際にそうなるとここまでビビるとは思わなかった。例えるならば、世界が学校と自宅しかなかった小学生の頃に、その世界のルールである宿題をやらずに授業に参加してしまった時に感じた、あの感覚。学校のトイレに行けずにギリギリまで我慢していた、あの感覚。不安と焦燥、諦めきれない罪の意識。胸が苦しくなる、お腹も苦しい。
友人は完食していた。心の底から尊敬した。昔に流行った大食い番組、そこで活躍していた大食い選手たちも尊敬した。自分の非をまざまざと突き付けられるとその負い目を昇華するために、他の誰かを賞賛するような心の動きをするんだなと思った。
結局、かなり頑張ったが、あと二口程度のご飯を残してしまった。どうしても食べられなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。本当にごめんなさい。
人間の価値観が変わる瞬間とは、自分で信じていたことを自分の力で裏切った時だと思った。外的刺激は富士山登山でもインド旅行でもいいが、自分の信条、矜持、習慣、理、などの生き方や道しるべを『自分の力』で壊すことで、人は学ぶんだ。裏切るとか壊すとかマイナスなイメージの言葉で表現したが、もちろん良い方向への変化でもそうなんだと思う。
誰かに教わり知り、自分で見つけて学び、それを自分で壊して学び、自分を知る。僕は今回のことで自分をまた一つ知った。これからは安易に大盛りにはしないだろう。胃袋の限界値を知った以上に、得た教訓は多い。
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