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2021.10.17 発売日は11/26





幼い頃、家族で熱海へ行ったことがある。
父母の投資虚しく幼少期にした旅行のほとんどは覚えていない。でもその旅行はひどい台風に当たってしまい、海の近くまで来て海へ遊びに行けなかったからかその悲しみだけ薄っすら残っていた。膨らませようと持って行った西瓜の風船がぺっちゃんこのまま帰ってきた、そんな記憶。
時はいまに戻り、23歳、当時のかわいげは微塵もない姿。眠る準備をしていると、洗濯物を畳みながら母がその日のことをわたしに話した。台風が来てて海に行けなかったんだよね。そうそう、楽しみにしてたのにさ。同じ記憶を持っている母にホッとしたし、やっぱりちょっと嬉しかった。それがわたしたち親子の積み重ねだと感じたから。
続いて母はわたしが、当時温泉地でよく目にしたみかんの形をした入れ物の中にみかん味の飴が入っているという意外性も物珍しさもない商品をしつこくほしがったと話した。買ってくれるまで動かないとストライキを起こし、家族や店員さんを相当困らせたらしい。話を聞いて景色が見えてくることはなかったけれど、たしかにそれは当時のわたしの“いつものやり口“だった。覚えていないけれど、実際にあったと言われても驚かないタッチのエピソード。
そんなこともあったかな。半ば恍けて返すと母は少し間を置いて、あれ買ってあげたらよかったってずっと思ってる、と続けた。
固まるわたし。元気な母の口から聞いたことがない質感の言葉。ずっとってどれくらい?もう、ずっとだよ。目線が落ちる。わたしがすっかりわすれていたことで長年悔いていたと知る。そんなどうでもいいこと、と言いかけてやめる。あまりにも無慈悲な発言のように思えて。
それだけ言って母は洗濯物を仕舞いに出て行ってしまう。ひとり残され、すこしこんがらがっていた。さっきまで同じ記憶を持っていると思えていたからか、そのズレが異常に悲しかった。たった数センチのズレだった。それ以外の記憶はだいたい一緒だった。でも、そのズレは致命的であるともいえた。
覚えていたこととわすれてしまったことの間に優劣も善悪もないはずだった。ただ少しだけ、共有していた時間のことを片方だけがわすれてしまうのは不誠実であるような気がした。どうしても思い出したいと思った。でもいくら掘り返してみても、その時なぜそんなにみかん飴がほしかったのか思い出せなかった。理由なんてなかったのかもしれない。
わたしたちには、わたしたちだけが覚えている感情や約束がいっぱいある。決して誰のことも巻き込まないけれど、たしかに体内で育てられている、ほんとうは対相手がいたはずの、感情、約束。母がわすれてしまってわたしが覚えていることだっていっぱいある。

わすれてしまえた方が楽に生きられることも多い。も、というか、の方が全然、かもしれない。器用な大人は記憶を自由自在に操る。酒や趣味で誤魔化して、ないことにしてしまう。見つめるのは怖いから、ないものにしてしまえばないものと同じだから。わすれてしまったら、後悔諸共消える。ものすごく怒ったこと、どうしても怒れなかったこと、この上なく申し訳なく思ったこと、すこしだけ好きだったこと、いつかまたねと言ったひとのこと、全部受け止めると言ってくれたひとが全部受け止めてくれなかったこと、その人は噓つきではないこと、その日雨が降っていたこと、傘をわすれたこと。
わたしたちはわすれるという選択肢を持っている。
わすれることを選んだ人は、失ったことも傷つけられたこともじぶんが傷つけてしまったことを自覚することも、すべて怖いんだと思う。疲れるんだと思う。紛れもなくわたしもそうだ。そういうことを思い出したら目を瞑って頭の中を白で埋め尽くす。そうして大きく息を吸って次の瞬間にわすれることにしている。生活に戻る方法がこれしかわからない。いつか相手にわたしが意図的にわすれたことで話しかけられるのが怖い。それはきっと、まだ受け身をとれないからだろう。受け身を取れないことを指摘されることをひどく恐れている。

受け身を取り方がわからないからわすれることにした記憶。あなたにもあるだろうか。他の解決方法を与えられないのであれば、わすれていくことを止める権利なんて誰にもない。

でもわたしは、それを加味した上で、泥酔したその人を起き上がらせて、あなたわすれてますよ、と言いたくなる時がある。これ落としましたよね、あの子まだ同じ場所で待ってますよ。なんにもならない、余計なお世話だとわかっていても。長い間わすれたことにしておくよりも一瞬バッと向き合って解決してしまった方がその後楽に生きられるケースもあるから。
そうして向き合わせた背中に、いまからでも間に合うのであればその場所まで走っていくための靴を与えたかった。水を渡したかった。間に合わないのであれば、笑い話にしてあげたい。一緒にとことん泣いてあげたい。そんなこと、大人になったらそうそう誰もしてくれない。そのなかでも、そうして背中をさすってくれた人に救われた経験が何度もある。

わすれるという選択肢を選ぶことにも勇気がいる。すごくすごく勇気がいる。行動に移せたり、受け身が取れたらわすれなくて済むのであれば、その方法を一緒に考えていきたかった。いつかわたしと一緒に考えてくれたみんなのように。

受け身の取り方を、一緒に考えさせてください。


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㊗️今年も皆さまの協力あって『○○×』が出版できることになりました!
短編集『〇〇×』はちがう人が同じテーマで書いた文章をまとめて一冊にしたもので、(去年のテーマは「ラジオ」)今年のテーマは「わすれもの」。わすれものとなにかを掛け合わせた内容の文章を14人の方に寄稿いただきました。
いろんな触感のわすれていたこと、わすれられないこと、思い出したことがまとまっています。わすれものに気づけたり、わすれものを昇華するきっかけになったらいいなの一冊です。
編集は、今年も亜沙モモカさん。イラストはyayun(やゆん)さんが担当してくださいました!
先行特典や販売方法は考え中ですが、主は昨年同様BASEでの販売になります。身近なひとはわたしから直接もぎとってください。
発売日は11月26日です。



近江路さんにアドバイスいただいて、短編集○○×情報発信アカウントも作りました!ここで、追って情報解禁していきます。
また、本を置いてもいいよ!というお店も募集しています。置いていただける方は1冊辺りいくらかお店にも利益が出るようにしたいと思っておりますのでお声がけいただけたらと思います。

年末が近づいています。お身体には気をつけて。
少しの間、お付き合いいただけますと幸いです。

かんの














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