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ガチ恋していた訳じゃない推しの結婚

推しが結婚した。
正直結婚すると思っていなかった。思っていなかったというのは余りに身勝手だけど。推しの年齢も40歳だし、いつかは結婚して欲しいと思っていたのも正直な気持ちだった。だけどまさか、こんなに早く推しが結婚するなんて。結婚したという旨のファンクラブ宛てメッセージを見て思ったのは「100%のおめでとうを言えない自分への驚き」だった。

今まで数多の芸能人の結婚報道を耳にしてきた。誰が結婚しようと「ふーん、おめでとう」と思ってきた。戸惑ったり、取り乱す人、批判する人を見ても、「それだけ好きだったんだな」「でもアナタと結婚する未来なんてないのよ」と他人事に思ってきた。まさか、自分も推しの結婚を経験する日がこようとは。
私は漠然と、推しが結婚することがあっても全力で祝えると思っていた。理由は冒頭に書いた通り、推しの年齢も40歳。いつかは結婚するだろうと思っていたし、私は別に彼にガチ恋していたわけでもなかったからである。推しのアイドルとしての姿勢が好きだった。王道なアイドル路線ではなかったけれど、何となくお茶の間で見る親しみやすさが好き。コンサートで見せる意外なオラオラ感とか、歌声、ダンス。トップアイドルでありながら、常に努力し、自分の夢や目標を叶えていく姿勢がカッコいい。私が推しに対して感じていたものは好意だけでなく尊敬も大いにあったのだ。住む世界が違う人、見るだけで元気がもらえる、そういう気持ちで推していた。
だからなぜ、心の底からおめでとうと思えないのか。それが自分でも不思議だった。

推しの結婚について思ったこと

全力で考えた。なぜ私は、失恋したわけでも、いずれ誰かと結婚するだろうと覚悟をしていたのに祝えないのか。
(様々な理由で推しの結婚を心からおめでとうと言えない人がいるだろうから、あくまでこれは私自身の場合として読んでいただきたい。)
まず辿り着いた結論として、私はある意味で、推しを「同じ人間」と思っていなかったのだと思う。私生活の不透明さ、ステージの上でしか直接見ることのない存在、私が知る推しの姿は、推しがファンに見せていい一面でしかないという事。ビビりだったり高所恐怖症だったり、欠点も見せてはいたけれども、それはあくまでアイドル・芸能人として見せていい部分だけ見せていたにすぎないという事実。それが「結婚」という多くの人が通る身近な、アイドルとしてではなく一人間としての報告を聞いて、突然「リアル人間感」を突き付けられたような感覚に陥ったのだと思う。
勿論、神様だとか宇宙人だとか思っていたわけではない。確かに人間だと思っていたけれど、「私と同じ人間」と認識していなかったんだなあと思い知った。勿論めでたい、お祝いの気持ちもある。だけど、「私と同じ人間としての生活がある」ことを心の底からは知りたくなかったのだなあと思った。もっと推しのことを知りたい、という欲はあるが、自分が知りたいと思っていない部分まで突然目の前に突き付けられて目が逸らせない状態。受け入れることを強要されているような気持ちに、勝手になった。というだけのことだと思う。
それと同時に、結婚について受け入れられない、と言っている人がみんな推しに対して恋心を抱いている人だけではないことも良く分かった。推しって何だか、「空想の人物像」みたいなものに似ている。私が推している人は現実にいるけど現実にいない。「アイドル=偶像」って本当なんだな。と漠然と思った。現実にいるけど現実にいない人の結婚って、現実にいることを突き付けてくる。良いか悪いかという話ではなくて、推し事として非日常感を楽しんでいた私には、少しパンチが強かっただけの話だろうと思う。結婚報告から数日が経った今でも、出会いとか交際の詳細とか、結婚に至った理由とか、できれば知りたくないなと思う。非日常・非現実だった推しを、日常・現実にしないでほしいなと心のどこかで思っているからだ。

これは勿論超個人的な意見で、結婚に対して全力で祝っている人もいる。私も、これをきっかけに推すのをやめようと思っていないし、今後も変わらず推し続けていく。その決意も気持ちもある。だけど、少し時間をかけながら、推しが現実世界に存在することをもう少しリアルに考えられるようになるには時間がかかるのだと思う。
今後も推しの結婚とか熱愛とかに遭遇するだろうけど、私のペースで事実に向き合いながら、自分の活力につなげていけるような推し活を続けていきたい。

今はまだ、100%の気持ちではないけれど、推しさん結婚おめでとうございます。


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