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SNSから離れる

小学生、中学生の頃から暗号のように、歴史の教科書に羅列された文字を覚えてた。暗号かと思ってたものは確かにその時起こっていて、現代でも起こり得ることを思い知らされた。

疫病、災害、そして今回のこと。この先も語り継がれ、歴史に名を残す時代の中にいる僕達は、どのようにして生きることで、少しでも穏やかに生きることが出来るだろうか。



SNSのいきすぎた自粛文化は好きじゃない。
そこの追及をすることで生まれるものは少ない。

暗いニュースが流れた時に、少しでも慮りに欠けたものを見つければ、寄って集って追及、攻撃を行う。ここも、SNSの悪い文化で
餌を見つけた鯉の集団を見てるかのような、独特な不快感を覚える。本当にきしょいと思ってしまう。

そんな話を友達としている時に気づいた。
嫌なら 嫌いなら 気持ち悪いと思うなら、見なければいい。なぜその選択肢が出なかったのか。アホらしいかもしれないが、それくらい自分の中にこびりついているものだったんだと思う。

世界には様々な人がいる。SNSを見ていてそう思う。
こんな時に楽しそうなことをしていれば、「不謹慎じゃないか。」と
一方で金曜ロードショーの放送を自粛すれば、「こんな時こそエンタメが必要じゃないか。」
よくわからない。じゃあどうすればいいのかと思った。
だけど、その人たちのことを理解しようと、意図を汲む気持ちだけはずっと持っていたい。だからこそ混乱した。その時すごく疲れて、SNSから離れようと思った。


これは今回の件に限ったことじゃない。でも"実感"は大事だ。そう思う。僕は今回の件で、見て、考えて、実感した。感じたことを記し残すこと。それがこのnoteを始めた理由の一つである。最近は出来ていなかった。

疲れた。おやすみなさい。

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