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Fall 2022 授業振り返り

 1学期目、終了!大学最初のセメスターで選択したクラスは、私の興味関心の主体が社会であることが如実に現れる形になった。でも、授業を受けていく中で、また新しい環境で過ごす中で、思考のパラダイムシフトがあった。ただ、一言で総括すれば完全に不完全燃焼。授業の選び方、学び方、関わり方、使い方、手探りであったと言えども本当に良くなかった部分が残る。なので、反省するところは今ちゃんと反省して、1月下旬から始まる次のセメスターに繋げたい。


今学期に取った授業はこちら。

Introduction to Sociology(社会学入門)
Introduction to Peace and Conflict Studies(平和学入門)
First Year Seminar_Malcolm X and Martin Luther King Jr.(1年生セミナー)
Small Business today (ビジネス)

授業スケジュールはこんな感じ。授業だけで見ると本当にスカスカ!


①Introduction to Sociology

・社会学は、日本の大学に行ったら学部で出願していたであろう自分の興味ととても近い分野なので真っ先に取った。週2回の75分授業で教授が最初から最後まで喋り倒すレクチャー型授業。

・中身としては、社会学の基礎的なコンセプトをミードやマックス・ウェーバー、ダーカイムの著作を引用しながら理解していくという形。約3週間に1度自分の言葉で習ったコンセプトを説明する課題が出て、その作業が一番頭を使ったし勉強になった。
(具体的に習った内容はこちらのリンクにまとめてある;https://docs.google.com/document/d/1yP21uFyqyZeFYM4gMeMyg1zF9ZH8Z3-7Q54q6aKHF4I/edit?usp=sharing

・前半は自分が元々知っていた内容も多かったしリーディングもそれほど苦労しなかったので特に問題がなかった。(英語は発音要因でめちゃめちゃ聞き返されたけど。)でも秋休み明け、自分のエネルギーの低下と反比例の質と量の後半の内容に自分がついていかなくなっていて、授業に出て課題を出すのがやっとやっとという状況だった。そういう時こそOffice Hourを活用してキャッチアップしてもらうべきだった。

・留学という形でこれまで属していた社会が相対的になったのも相まり、社会の構造や成り立ち、個人と社会の関係により客観的になることができたのは良かった。社会学をやっていると、世の中がこんなに問題だらけなのは日本のせいでも社会のせいでもなくて、人が集団で生きることを選んだということが全てなのだと悟ってくる。だって一人で全て完結する暮らしをそれぞれ営んでいたら格差とか平等とかいう概念自体がいらないし。社会の構造的に必ず生じるもの(集団心理、社会階層化、イデオロギー等)を分かっていると、怒りの対象になるべきものが絞られて生きやすくなる気がする。

・社会学という学問は、あくまで社会を科学的に観察することが目的であって、どう変えたら社会は良くなるだとか、そういう方法論は全く問わない学問なのだなと思った。社会学者の役割は調査を通じて社会の知見の材料を増やすこと以上でも以下でもない。社会に対して何かをしたい人が知っておくべき知識の土台であれど、その研究自体は自分の手段にはならないだろうなと思った。それと、古典的な学者の関心はヨーロッパでの封建社会と資本主義社会の比較が中心になっているから、キリスト教圏以外にどれだけ適応可能なのかは疑問。時代もかなり違うので、もうちょっと近現代の社会学をそのうち勉強してみたい。





②Introduction to Peace and Conflict Studies

・政治学は専攻に考えていたので、入口として良さそうだった平和学を選択。週2回、レクチャーとディスカッションが半々くらいの授業。たまにゲストスピーカーが来ていた。

・内容としては、平和とは何か?という定義やPeace Makingにまつわる理論、現実世界で起こっている問題、今実践されている解決手段を本や映画から学んで、それについて話し合うといった感じ。教授のコンテンツのチョイスは面白かったし勉強になった。ただ、授業はあまりオーガナイズされていないという印象も強くて、ディスカッションがただのお喋りになってしまうこともしばしば。

・この授業で一番腑に落ちた内容は、military-economics complexという概念。経済の派閥や優先事項が政治の軍事的な決定に影響を与えているということ。これまで、なぜたかだか石油のために政府が戦争を起こすのかが分からなかったけど、政治と経済と軍事が一体化するというコンセプトはその疑問の完全な答えだなと思った。ここは社会学とも被る。

・政治学は、政治的な事象を体系として整理したり分析したりすることが目的で、政治のあるべき姿とか、政治を通して何ができるかとかは学問の対象ではなかった。政治哲学だったらまた少し方向性が変わってくるかもだけど。巷では○○学者の人たちが日本の未来や世界の未来を論じてるけど、学問自体が人間が取るべき行動とか未来を教えてくれるなんてことは社会科学では絶対にないんだなと思った。問題はどうやって解釈するかで、そこの思考の外注はできないし自分でやらないといけない。アカデミックの世界と実践の世界は相互に影響を与えているけど求められる能力はかなり違うなという印象。



③First Year Seminar_Malcolm X and Martin Luther King Jr.

・FYSは1年生が取ることが推奨されているゼミのような小さなクラスで、社会運動家の個人へのフォーカス+留学生活の中での人種差別含めアメリカの近代史の理解の必要性から一番魅力的だったこの授業を選択。Malcolm XとMLKの自伝を中心に、ドキュメンタリーや映画を通して、Civil Rights Movementの全般について学ぶ授業だった。3回のペーパー提出が課題の中心だった。

・教授が具体的な何かを教えることはほとんどなくて、授業のうちのほとんどがメディア視聴とディスカッション。メディアは過去のスピーチが多くて、結構分からなくて苦労した。ディスカッションも、一年生だから全員があまり上手くないのもあってトピックが飛びすぎで、よく理解が追いつかなくなった。

・社会的弱者に強制的にされてあらゆるチャンスを奪われた黒人の人と当初からの優位性を守ろうとする白人の人の非対称性をよく認識できた。何も知らない人から見ると過激に見えるマルコムの運動も、彼らに残されている手段の少なさを考えるとすごく切実さが理解できるし、エリート家庭出身のMLKの非暴力運動だけではなくて、そのほかの沢山の活動全てがあってのCivil Rights Movementの成果だったのだと分かった。キング牧師だけを褒めたたえる風潮こそが暴力的。

・アメリカの人種の構造的な差別の問題は本当に複雑。そういうセンシティブな内容だからこそ、大学というトピックだけを気にしていられる環境を利用して本質に踏み込んだ議論がしたかったけど、どこまで触れていいのか分からない怖さで皆んなが黒人側の視点しか出せなかったのが心残り。権力者が人道を無視しても差別の利益を取った背景とか、白人の人々がそこまでして守ろうとしたものの価値とか、正直今も対してメインストリームの考えは変わってないんじゃないんですかとか、そういうところまで話せたら良かった。




④Small Business today 

・福島沿岸部でインターンをしていた時に湧いた地域の担い手として、各々の自己実現の手段としてのビジネスへの興味と、そこに何か還元できるものがないかと思って取ってみた授業。地域のビジネスオーナーに対して、コンサルタントのような立場でファイナンスや新規事業をグループで提案するという内容。正直この授業はとてもイマイチで、クラスとしてあまり体系化されていない感じだった。

・ほとんどのクラスがグループワークで、私のチームは5人だった。そのメンバーが、野球部のアスリートが2人、まじめな女の子が1人、ちょっとヤンキーな子と私だったのだけれど、あるプレゼン課題でヤンキーがから回っちゃって5分中3分話し倒すという事件があって以来アスリート達がその人をハブったりあからさまに悪口を言ったりと雰囲気が最悪だった。こういう陰湿でクスクスと笑っている感じ、もう止めようよと思っていても首謀者に言えない感じ、日本だけはなくてアメリカのティーンの間でもしっかりあるんだなと実体験。

・コンサルタントの真似事のようなことをしていて、口出すだけ出してその後に責任を取らないのって最悪だなと思った。3年後までの計画出しても10年後にはどう転ぶかは分からないし、そこまで伴走しないのに人生かけて挑戦してる起業家にああだこうだと文句を垂れ流すのはどうなんだろうと。実際のコンサルタントはその辺りはどうなっているのだろうか。それと、何もやっていない観客席の人があれが悪いここを直せと意気揚々に批判するのはアメリカでも変わらないなと思った。アメリカは 起業したことがある人が数的に多いだけで(その集団がいい環境を一部に作っているだけで)突飛な個人に対する冷笑の集団心理は日本と何ら変わらないように思う。




まとめ

 こうしてみても、それぞれ違うディスプリンにある授業を取っていたけれど学びや考えは凄く似ているところに収束している気がする。私はこれまでどこかで、社会は努力次第で皆んなに取ってのユートピアにできるって思ってた。そして、そのための革命的な、破壊的な手段に渇望していた。でも、社会学で知った集団が生まれた瞬間に生じる欠陥、平和学の権力の一体化とイデオロギーが形成される必然の仕組み、ビジネスの授業で実感したいじめの普遍さ。マルコムXやキング牧師が言動だけの力で社会を変えたように見えても、政治家との緻密な交渉や巧みな世論誘導が果たした役割は大きい。

 腹立つことは色々あるけど、今の社会が今の社会の形をしているのはそれはそれで理由があって、まるっきり否定していてもどうしようもないなと思った。世の中は既得権益がより得をするように作られてるし、社会は悪いし、権力者も悪い。でもそれも、裏を返せば人間がクソというだけの話。だから、世界の幸福度を増やすために本当に必要なのは爆発的な社会改造でも革命を起こすリーダーでもなくて、いかに個人単位の幸せを個人にあげられるかにかかっている気がしてきた。社会には対処療法くらいしか施せないけど、その対処療法が誰かに届くになら、結果的に社会で幸せになる人は増える。

 だから来学期は、「皆んなが幸せになってほしい」を人間一人一人の暮らしや小さな文化へのフォーカスから再考したいと思っている。それと、一市民としての視点ではなく分配がキーワードになる経済学にもチャレンジする。今学期を通して思ったのは、授業は自分の思考の指針だったりマイルストーンにはなるけど、それだけでは深まりも広まりもないということ。だから、Spring 2023の一大テーマは交流!授業をベース基地としながら、他の生徒や教授との関わり、課外活動やニュース視聴、読書を通じて、知識の吸収ではなく思考習慣の変化に繋げられたらいいなと思う。引いては、自分が更に今後進みたい方向性を見出すヒントを得られたら。





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