言い訳を探す自分と向き合う
自分は基本恐縮して、なにかにへりくだって生きている人間だと思って人生やってきたつもりだった。
でも実は全然そんなことなくて、謙虚そうな顔してプライドが激高い。
ていうかむしろ「プライドが高いことを悟られたくない」というプライドがあるから謙虚なフリをしている。
社会人6年目、27歳の今になって、恥ずかしながらそれを痛感する出来事があったので備忘録として残しておきたい。
仕事でミスをした。
内容についての詳細な言及は控えるが、
夜勤中にやっておくべきことをやり忘れていて、日勤の人たちと患者さんに迷惑をかけてしまった。
仕事でミスをしたことに気づいたその瞬間、世の中の人たちはどんな言葉が浮かぶんだろう。
すぐに自分が悪いことに気づき、申し訳ありません、という言葉が脊髄反射のように出てくる人間でありたかった。
わたしはそういう人間ではない。断じてない。
わたしは、ミスをしたと気づいた時に、まず言い訳を探してしまう。
言い訳を探しているということに気づかないくらいに、脳がフル回転して言い訳を探す。
"わたしが悪い"ということが少しでも軽減される理由を探してしまう。
一緒に働いていた誰かがやってくれていると思った、忙しくて抜けてしまった、体調が悪かった、、、、、(自分で言っていて本当に情けないが、こういう思考が浮かんでしまうのだ)
もちろんそういう理由もある。
ヒューマンエラーは、環境のせいで生じる。誰かを責めるのではなく、ロジカルに見つめることはとても大切だ。
でも、そういう話じゃなくて、
わたしは"自分がミスをする人間だ"ということを真っ先に認めることができないのだ。
自分の罪を少しでも軽くしようとして、自分の中に立ち込める罪悪感をちょっとでも減らそうとして、自分のことを見つめずに他の粗を探す。
わたしはそんなに悪いことをしてないぜ、ということを主張しようとする。それこそ脊髄反射のようにこういう思考回路が生まれる。
これは、本当に恥ずべきことだ。
自分の中で最も嫌いなことのひとつだ。
己の非を素直に認めることができない。いつまで経っても。自分の実力を過信しているのだ。
これ、思い返すとバイトしていた時とか、小学生の頃に忘れ物をした時もそうだった気がする。
「どうしてそれが起こってしまったか」を考える前に、「どう報告すれば自分が悪く思われないか」という考えが、いの一番に浮かぶのだ。
情けね〜〜。
もう、これって、この思考回路を変えようとしても無理な気がする。
幼い頃からの性格は変えられないし、高いプライドを自分の手で折ることは、やろうと思ってできることじゃない。
だから、思うことをやめるんじゃなくて、
こう思っている自分に気づくことをしていく。
自分の中にポンポン浮かぶ、情けない言い訳思考をしっかりと俯瞰して
それは違うよ。
誰かのせいにするのは恥ずべきことだよ。
あなたを省みる機会なんだよ。
と自分に伝えていく。
ちなみに今回のミスは完全なわたしの人任せ精神、責任の所在を自分においてなかったことが原因だった。
システムとしても、ミスが起こりやすい仕組みだなとどこかで思っていたけど、変えようとしなかった。
わたしって間違えるまで気づかないんだよな。
でも間違えなかったときに戻ることはできないから、こういう自分に気付く機会だった。命にかかわることでなくて、本当によかった、と言い聞かせる。
次はミスをする前に気づく。立ち止まる。
6年目、まだまだ未熟。未熟であることを、開き直るんじゃなくって、受け止めていこう。
今日の一曲
ever since/高橋優
この曲についてのコメントで、高橋優さんは
歌の中ではダメな自分や弱い自分から目を逸らしたくないと語っていたのを思い出す。
わたしはなんのために文章を書くのかと考えたら、
いちばんは、どうしようもない自分としっかり向き合うためだと思う。
頭の中で目を背ける情けない自分も、こうやって文章にすると向き合えるなあ。
この場があって、よかった。
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