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日本の科学/技術はどこへいくのか

「環境」という言葉が現在のような意味で広く使われるようになったのはそれほど古いことではない。1970年代までは、むしろ「公害」という表現の方が普通であった。60年代、日本では高度成長の矛盾によって各地で産業公害が激化し、水俣などを代表とする公害訴訟が頻発。70年のいわゆる「公害国会」では、公害対策関係14法案が通過した。しかし、その翌年に発足した公害対策の行政機関が「環境庁」という名称を与えられたのは、時代の転換を予示するものだった。

国際的な環境意識の高まりを象徴するのは、1972年6月、ストックホルムで開催された「国連人間環境会議」であろう。そこでまとめられた「人間環境宣言」では、環境汚染の問題を踏まえながらも、今後の課題として、生態系の保護、天然資源の管理された利用、再生不可能な資源の枯渇回避と公正な配分、有害物質や熱排出の抑制、適正な人口政策の実施、低開発国の開発支援などが宣言に含められた。

『成長の限界』と題されたレポートが刊行されたのは、この会議とほぼ同時期のことである。それは、世界各国のエリートの集まりともいうべきローマ・クラブが、マサチューセッツ工科大学のD・H・メドウズらに委嘱してとりまとめたものだ。このレポートの重要な結論の1つは、世界人口の増大、工業化、汚染、資源利用の趨勢が変わらなければ、100年以内に地球上の成長が限界点に達し、その結果、人口と工業力が突然制御不能となりかねないというものだった。

地球の限界を前に、私たちは何をすればよいのであろうか。それを考えるヒントを与えてくれるのが、E・U・ワイツゼッカー、A・ロビンスらの著した『ファクター4』である。これは、72年の『成長の限界』と同じく、ローマ・クラブに対する報告書である。

この本の主張の要点は、まえがきにあるように、「資源生産性がファクター4、つまり4倍に上昇するなら、今の豊かさを2倍にし、環境に対する負荷を半分にできる。資源生産性を4倍にすることは技術的には可能であり、巨大な経済的収益をもたらし、個人や企業、そして社会の全構成員を豊かにする」というものだ。世界人口や経済の成長を考慮すれば、それは現状の環境負荷を増大させない程度のものにとどまる。しかし、持続可能な成長にとって、ファクター4の達成は重要な一歩であり、地球の有限性に対する1つの回答となる。

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