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Vol.120 太宰治「トカトントン」を読んで

幻聴の「トカトントン」。どこからともなく聞こえてくる「トカトントン」という金槌かなづちの音。発狂ギリギリまで追い詰められた26歳の復員青年の耳に響く「トカトントン」。創作とか仕事とか恋愛とか、何かやる気が起きると必ず「トカトントン」が聞こえる。そうするとすぐにやる気が失せる。

どういうことなんだろう。

僕なりに考えた。

この小説は、戦後の虚無感に悩まされている復員青年の「私」の心情を書いた手紙と、その手紙を受け取った「某作家」からの往復書簡体で構成されていた。

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「火急の用事」としながらも、どこか切迫感を感じない「私」の手紙。玉音放送、復員、新円への切り替え、民主主義の提唱、総選挙、共産党の合法化、労働者のデモ、文化国家の建設といった問題もふんだんに盛り込まれているけど、どこか軽い。

だけど、知らない人からのそんな手紙にもちゃんとこの「某作家」は、返信する。その短い返信内容に、太宰の思いが込められているように思った。

「拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ」とまっすぐに受けて返す。「・・・いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、知恵よりも勇気を必要とするものです」と、含蓄のある言葉を続ける。さらに新約聖書のマタイ福音書10章28を引いて「このイエスの言に、霹靂へきれきを感じることが出来たなら、君の幻聴は止むはずです。不尽」と温かい返信をする。

敗戦から2年、無条件降伏の戦後、何とか生き抜いて、これから新たな生き方を模索しようとする青年の心情をおもんばかっている太宰を想像した。

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マタイ10章28を検索した。『からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい』とあった。

なんだか恐ろしい言葉が並んでいるけど、「肉体は滅びても魂があれば復活する」ということなのか。

僕なりに小説の文脈から考えてみた。

民主主義の提唱から文化国家の建設まで、経験したことのない変化に戸惑うかもしれないけど、人間の本質は変わらないのだからそんなに恐れることはないよ。それよりも問題なのは、ニヒルをまとい、何も動けない心を恐れるべきだよ。考えるよりも、勇気を出して踏み出せば、きっとまた復活するよ。その時は、かっこつけの虚無感などは吹き飛び、「トカトントン」も聞こえなくなるよ。だから、前を向いて生きなさい。

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若い人にそう言いながら、太宰自身は2年後に自殺してしまった。

おわり

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