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vol.84 向田邦子「あ・うん」を読んで

子どもの頃、父親が会社の仲間たちを毎週のように家に連れてきて、酒飲み会をしていた時期があった。その度に母と姉がてんてこ舞いをしていた。次の日、父が「俺の血を売って牛肉をもらった」といって、母に自慢をしていたことを覚えている。そんな家族の風景があったことを思い出した。人と人の関係が密な時代だった。

概要

つつましい月給暮らしの水田仙吉と軍需景気で羽振りのいい中小企業の社長門倉修一との友情は、まるで神社の鳥居に並んだ一対の狛犬「あ・うん」のように親密なものだった。仙吉の妻で、門倉が密かに想いを寄せている水田たみと、仙吉夫婦の一人娘で18歳の水田さと子を含め、戦前の東京下町を舞台に描かれた家族の風景があった。(文春文庫帯参照)

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戦前の、「昭和の日本人」の家族を想像しながら読んだ。

昭和には、戦前の昭和と、戦中の昭和と、戦後の昭和があると思う。戦前の昭和は、人と人のつながりも濃くて、世代ごとにそれぞれの役割があって、家長制度に依存しながら、泣き笑いを明るくやりすごす時代だったように思う。

幸福の形もわかりやすかった。目標も手段も複雑でなかった。友情とか愛情とか風習とかを前面に出せば、あとは、個人の我慢で問題を片付けていた。

また、物事をグレーにしたままの方が、家族が上手くいく。恋愛もうまくいく。親子が上手くいく。「あ・うん」という曖昧な呼吸で、煩わしい手続きなしに、物事を進めていた。

この小説を通して、そんな昭和の市井の家族の情景を想像した。

そんな日常の中で、水田さと子は感じていた。「一番大事なことは、人にいわないものだということも判った。白い歯を見せてサクサクと青りんごを食べる母も、父も、門倉のおじさんも、みな本当のことはいわないで生きている。」(文春文庫p95)そして、「おとなは、大事なことは、ひとこともしゃべらないのだ」(p117)

このさと子の思いが、戦前の「昭和の日本人」の風景だったようにも感じる。「大事なこと」を語らなくても大人たちの世界は「あ・うん」の呼吸で済んでいた。むしろ語らないからこそ、相手をよく観察し、相手の気持ちを想像しようとしたのかもしれない。

この戦前の「昭和の日本人」が暮らす家族の中で、夫には、父と男があった。男の甲斐性という言葉でわがままが許されていた。妻にも、母と女があった。女の意地は、男に対するものだった。娘は新しい恋愛を模索していた。自分に正直に振る舞うことが新しいと思っていた。そこに、抑圧的な影が忍び寄っていた。それが戦前の家族の風景だった。

そんなことを思った。

・・・・・・・

今、向田邦子が『新たな日常』を描くとしたら、どんな家族の風景を描くだろうか。リモートでは「あ・うん」というわけにもいかないだろうし、人人が薄くなるぶん、「優しい想像力」を膨らませたい。

一日も早く平穏な日常に戻りますように。

おわり

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