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vol.111 谷崎潤一郎「刺青」を読んで

前回から1ヶ月以上も空いてしまった感想文、ようやく書けました。自分を追い込まず優先順位をつけながら、今後も投稿を続けます。

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惚れ惚れするような文章が、奇妙な内容をさらに際立てていた。

谷崎潤一郎をそんなに読んではいなけれど、どれも浮かんでくる映像は、どこか妖艶で耽美的な、それでいて狂気じみている。この作品にも、肉体を傷つける残忍さと自虐的な快楽があった。

あらすじ
「すべて美しいものは強者であり、醜いものは弱者であった」ころ、浮世絵師から堕落した「清吉」は、評判の良い刺青師だった。彼の心には、「刺青を彫られる男たちの苦しきうめき声を発するほど、快楽となり、いつか美しい女に己の魂を刺し込むという宿願」があった。
ある日「清吉」は、深川の芸者の卵で美しい「娘」を麻酔で眠らせ、一昼夜かけて己の魂を打ち込み、女郎蜘蛛を「娘」の背中に彫りあげる。
眠っていた「娘」の意識が戻ると、激しい苦痛に身悶える。やがて晴れやかな表情で「私は臆病な心をさらりと捨ててしまいました。お前さんは私の肥料になったんだね。」と「清吉」に告げる。「朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした」でこの作品は閉じる。

自分の快楽のために、若い娘を麻酔で眠らせて、背中に一生消えない刺青を入れるという、相変わらず谷崎の小説はぶっ飛んでいる。

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国内外で高い芸術性を評価されている著者のデビュー作をどんなふうに読もうか・・・刺青を入れられた「娘」の変身ぶりに興味がいく。

この小説が発表された明治43年、翌年には与謝野晶子が「山の動く日きたる・・・すべて眠りし女、今ぞ目覚めて動くなる」と女性誌に投稿していた。家に縛られることを当然とされた女性の生き方に、ようやく社会的権利を主張できるころだった。

個をつき詰めることに夢中な谷崎に、政治的な意図があるとは思えないけれど、どこか女性の生き方に光を当てようとしている作品にも読み取れる。

「美しさも強さも、今は男が中心だけど、女こそが、美しく強く生きていける」明治末期にそんなことを込めたのかもしれない。

さらに、女郎蜘蛛は、交尾後に雄蜘蛛を食い殺すことがあるらしい。

背中に一生消えない女郎蜘蛛の刺青を入れられた「娘」は、男の魂を吸い取って、より美しく、たくましくなっている。おまけに、自己を主張する生き方や、深川で生きていく覚悟も燦爛とした背中から感じる。

谷崎に女性ファンが多いのは、女の美しさにひざまずき、忠実に下部となる男を描いているからなのかもしれない。

でも僕は、谷崎潤一郎のマゾヒスティックなこだわりや、どこか奇妙な美意識についていけないところがある。

僕は、人の肌をキャンパスのように描く刺青を、美しいと思ったことがないし、身近に感じたこともない。刺青が芸術なのか、反社マークなのか、ただ背中に女郎蜘蛛は怖気づく。・・あぁこれは文学作品だった。

おわり

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