見出し画像

同窓会の記録

数カ月前に、中学3年のクラスで同窓会が開かれると友人から連絡があった。中学時代の友人で現在でも交流があるのはその彼女くらいで、卒業から15年、今更顔もぼんやりとしか覚えていない過去の知人とどんな話題に華が咲くのか想像もつかなかった。「あなたは多分参加しないっていうだろうけど、念のためね、声をかけないのもどうかと思って」奔放な友人が珍しく気を使ったらしかった。その時の私の心境と言えば、ただ退屈だったのだ。この15年で私の人生にもそれなりの起伏があった。では、かつてただ同じ地域の同じ年に生まれて、教員たちの何らかの意図が働いた結果寄せ集められた40人の15年の物語に興味が湧いた。私が参加の意を示すと彼女はひどく面食らったようだった。「ほんき?どういう風の吹き回しかしらないけど、ドタキャンはなしだよ」まさか、私はそんな非常識な人間ではない。

当日、私はもう数年履いているブラックのタイトスカートにマスタードイエローのニットを合わせた。最近の骨格診断によれば首回りのざっくり空いたデザインが似合うらしい。もう数年色恋沙汰とは縁遠い生活をしているので、あわよくば、という気持ちはないではなかった。もちろん季節は冬、ベージュのコートも羽織っている。「お待たせ」会場最寄りの駅前で待ち合わせていた友人がこちらに手を振ってやってくる。見事にコートの色が被る。「わっベージュおそろいじゃん!ま、すぐに脱ぐからいっか」コートだけでなく、ブーツのブラックも被っているが彼女のものには小気味よい音を立てる数センチのヒールが備わっていた。

会場は誰でもおなじみのチェーン居酒屋で、そのワンフロアを貸し切りにしていた。幹事のひとりがその会社の営業職として働いているらしく、その彼Tは学生時代の面影そのまま溌剌と乾杯の音頭を取った。「15年経って、それぞれ仕事を持って、家庭を持ってそれでもこんなに集まるなんてやっぱ最高のクラスだったってことだよね」乾杯の前、アルコールの入る前からのこの挨拶には恐れ入る。今回集まったのは20人ほど、こういった会にめったに参加しない私には多いのか少ないのか判断はつかないけれど、毎日8時間、週5、6日労働に費やす成人が私生活からこの会合のためになんとかかんとか時間を捻出したと考えると、とんでもない奇跡が起こっていると考えられなくもなかった。

最初の乾杯こそ全員で大広間で乾杯したが、その後はそのままそこで歓談しているものもあれば、のれんで仕切られた半個室に移動して、当時は会話をしているところを見かけたこともなかった男女が何やら親密そうに話しているのも見た。私に同窓会の連絡をくれた彼女もいつの間にか私の横から消えていた。「15年ぶり!あなた同窓会とか来るんだね」宴会場の端で人間観察に精を出していた私に話しかけてきたのは、クラスで一番の美人の通っていたSだった。その美貌は成長してさらに磨きがかかっていた。透き通るような白い肌に、胸元まで伸びた黒髪は艶やかで、それでいて彼女が言葉を吐くたびにふわふわと柔らかく揺れた。白いニットに黒いスキニーパンツ。彼女に装飾は必要なかった。「ねえ、あっちであなたに観てもらいたい映画があるの」同窓会で映画なんて、そんな話は聞いたことがないが、私は彼女に手を引かれて、藤色ののれんをくぐり、半個室に向かいあって座る。そこにはなぜか液晶とDVDプレイヤーが備わっており、Sは赤いレザーバッグから無印のDVDの入ったプラスチックケースを取り出す。「ほら観て、この土手の緑、素敵でしょう」画面には赤、白、紅白帽を被り、上下白の体操服に身を包んだ小学生がA川沿いの土手で楽しそうに駆け回っている様子が映し出されている。聞こえてくるのは子供たちの笑い声と、姿は映らないけれど大型犬の鳴き声、遠くにトラックが走行する不快な音も聞こえる。「無邪気だよね、私たちにもこんな時があったのかな」Sは私の方を見ずに、頬杖をつき、うっとりと画面を見ながらつぶやく。その映像が10分ほど続く。私にはSの意図がまったくわからなかったし、これが果たして映画なのかもわからなかった。手持ち無沙汰に飲み物をお代わりしようとSに声をかけて立ち上がろうとすると、Sが私の右腕を掴んだ。「ねえ、多分ここにいた方がいいと思うよ」その刹那、グラスか皿か、何かが割れる音がした。一枚や二枚ではない。数枚、いや棚から雪崩のように崩れ落ちて割れていく音。そして悲鳴。「ほら、大変なことになった」Sがその整った赤い唇を歪める。私はその表情に恐怖を覚え、彼女の腕を振り払い、半個室を出た。悲鳴、そしてかつての同級生たちは逃げ道を探すようにフロアを右往左往している。悲鳴。すすり泣き。なにが起きているのか皆目見当がつかない。大広間では、中学時代に仲が良かったグループで肩を寄せ合って、不安に身を震わせている。大地が揺れているわけでもない、それでも何かの割れる音、何か大きなぶつかり合うような轟音は止まない。「何が起こっているかわからないの、でもみんなパニックになっていて。あんたなんでそんなに冷静でいられるの」私の隣から消えていた友人がいつの間にかそこにいて私の右腕にすがりついている。彼女の続くように固まっていた女子のグループが私のところにやってきて、「耳が痛いの。おっきな音が怖いの。もうすぐ終わるよね」そう、私に答えられるはずもない質問を投げかけてくる。彼女たちは茶色の簡素な紙袋を被っていて、脂っぽくてかる唇だけが浮き上がってぬるぬると動くのが見えた。吐きそうだ。

「出口を見つけた!」Tの声が聞こえる。紙袋たちは嬌声を上げ、示された出口方へ向かう。「よかった、これで出られるね」最後に私のところに残った友人も紙袋を被っていて、咄嗟に羽織ったのであろうベージュのコートと、ブーツのヒールで彼女だと認識することができた。

外の様子は一偏していた。太陽が頭上高くで煌々と輝いている。おかしい。同窓会は18時開始。降水確率は0%だったから、今日は満月とオリオン座が拝めるはずだった。それなのに私たちは太陽と、真っ青で遠い空と迫るような入道雲が浮かぶ夏空を見た。そしてA川、土手、緑。Sに観せたれら映画のワンシーン入り込んだ様だった。「暑い」紙袋の友人はベージュのコートを脱いだ。他の紙袋も不安の声を漏らしている。汗の所為か額の部分の茶色を濃くしているものもいる。「いったいどうなっているんだろう」Tが仕立てよいスーツのジャケットを脱ぎながらいう。数人の紙袋が彼を取り囲んでいる。彼はまだ紙袋ではなかった。彼と目が合った。「あれ、君は妙に冷静だね」彼の綺麗に切りそろえられた黒髪が汗で濡れて僅かに額に張り付いている。「そういや、あの頃漫画、小説読んでたっけね。こんなSFじみた状態は慣れっこだったりして」そんなわけないだろう。しかし、そうか確かにこの状況はSFじみている。彼の周りの紙袋が私の方を一斉に見る。続いて、私の周りの紙袋も弾かれるようにこちらに視線を送ってきた。「みんな困っているよ。何か助かるヒントとかくれないかな」Tの襟足から汗で束になった髪をつたって雫が落ちた。私は自分の瞳孔が開くのを感じた。思い出した。私はTのことが好きだった。
Tに張り付けられた視線を断ち切るような閃光が走って、子供のはしゃぐ声が聞こえた。続いて大型犬の鳴き声、トラックの走行音。紙袋たちは再びパニック状態に陥る。悲鳴を上げてうろうろと動き回ったかと思うと、Tと私の足元に縋りつく。Tの左足を掴む紙袋が、火が付いたように泣き始め、手に力が入ったのかTのスーツを破いた。さらに爪を立てたのかTの細く白い脛に鮮血が流れた。私はその赤から目が離せなくなった。「ねえ。僕たちはあれから15年経って、この中には親になったやつもいるし、自分の店を持っているやつもいる。会社を立ち上げて何十人もの従業員の、その家族の生活の支えているやつもいる。僕の足に傷をつけたこいつは英語だけじゃない数か国語を身に着けて、いろんな国の人と仕事をしてるんだって。君の左手のあの子は一人で子供を育てる決意をして、国家試験合格のために猛勉強しているんだよ。みんなたくましいよな」子供の声、大型犬の鳴き声、トラックの走行音は大きくなるけれど、その姿は見えない。それにさらに不安を煽られ、紙袋たちはさらに大きな声で泣き始め、こちらに縋る力も強くなった。「君、よく見てみなよ。左腕、多分折れているよ」Tに促され、左腕を見ると肘から赤い血を垂らしてぷらぷらと揺れていた。Tは手入れせずとも整った眉をひそめて微笑んだ。「そんな風にたくましく生きている彼らも、実態のない未知の前でこんな風に泣きじゃくっている。こんなに愛しいこと他にあると思う?」Tはそういうと紙袋に裂かれたぼろぼろになった右腕を高く上げて、その先の小屋を指さした。「多分の僕の言葉は君には届かないね」彼が桃色で柔らかな唇を微笑むように歪めた。その時彼の足元の紙袋たちが彼の腰に胸に、首に頭部に被さった。

私は小屋に向かって走り出した。土手を駆けあがっていると、Tに被さる数人の紙袋を除いた紙袋たちが私の後を追っているのが分かった。もうヒールの彼女がどの紙袋か判別することもできなくなっている。やっとの思いで辿り着き、小屋の中に入る。木造のその小屋の中にはダイニングテーブルに2脚の椅子があり、その一方にSが座っていた。テーブルには液晶とDVDプレイヤーが置いてあり、先ほどの映画が流れていた。「おかえり」Sが綺麗に、丁寧に私に微笑みかけた。Sは紙袋ではなかった。「だからあの個室にいた方がいいっていったのに」凄まじい力で小屋の戸が叩かれる。いや、戸だけでない。紙袋たちは小屋の四方に散らばり、もう言葉にもならない絶叫を上げて発狂している。「もう誰が誰だかわからないでしょう。こうなってしまえば彼らの歩んできた15年も、誰のものでもない匿名の物語にしかならないね」私は彼女の向かいの座って左腕に触れてみる。重力になすがままになったそれに痛みは感じなかった。「匿名の痛みを抱きしめようとしたTはきっと死んでしまったよ。彼のことを覚えているのは私とあなただけ」紙袋たちの攻撃で小屋が軋んでいる。あまり頑丈でない造りだからそう長くはもたないだろう。「あなた、ほんとはなんでこの同窓会に参加したのかな」ガラス窓が破られる音がして、紙袋の血だらけの太い腕がその先の指を落ち着きなくくねらせている。「多分もう、あんまり時間はないと思うな。ここに果物ナイフがあるよ」Sが私にナイフを差し出した。吸い込まれるような真っ黒な瞳が私を捉えた。そうだな、もう時間はない。
私は小屋から飛びした。血の滴る左腕をぶら下げて、殺到する紙袋は右手の果物ナイフで切り裂いて、土手を下る。紙袋たちは頭部への一撃で力なく倒れた。ヒールの友人がその中にいないことを祈る余裕もなかった。私には時間がなかった。
息を切らしてようやくTのところに辿り着いた。彼に被さる紙袋は容赦なく切り裂いた。茶色い紙の残骸を除けると彼の逞しい眉、瞑った目を象る長い睫毛。整った鼻梁の先には桃色の唇があった。口元に耳を当てる。僅かに息があった。彼は生きている。小学生の声も。大型犬の鳴き声も。トラックの走行音も。如何なる喧騒もそこには存在しなかった。ただ彼の美しい呼吸音だけが私の鼓膜を揺らしていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?