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波羅ノ鬼(ハラノオニ)という存在について2.5

はじめに

6月6日にYouTubeにおいてVirtual artistである波羅ノ鬼(ハラノオニ)さんの、初めての路上ライブから1周年を記念した第3回のYouTube Liveが開催された。

その前後には、
5月26日:オリジナル曲である「トラウマ」が300万回再生を突破

5月28日:YouTubeチャンネルの登録者が10万人を突破

6月7日:Twitterフォロワーが1万人を突破

と、5月末から6月頭にかけて、波羅ノ鬼さんに関して嬉しい話題に事欠かなかった。

今回は波羅ノ鬼さんの様々な節目を記念して(記念になるかはわからないが)、2nd MVの「トラウマ」を軸にして彼女について考察した拙文「波羅ノ鬼(ハラノオニ)という存在について②」を公開した以降に、着想を得た彼女にまつわる考察を記したいと思う。

桃太郎伝説について

「桃太郎」と言えば、誰しも知っているであろう勧善懲悪の物語だろう。
しかし、「トラウマ」に登場する桃太郎は平和に暮らしている鬼たちを皆殺しにする悪鬼羅刹のような姿で描かれており、どちらが鬼かわからなくなるほどである。

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そもそも、桃太郎はなぜ鬼を退治したのか?

下記に、2018年の文部科学大臣賞の小学生の部を受賞した興味深い研究があったので紹介する。

桃太郎は盗人なのか? −「桃太郎」から考える鬼の正体−
桃太郎は本当に正義の味方なのか?理由なく鬼の宝を奪った盗人なのではないのか?幾人かの著名人が主張する”桃太郎盗人説”をより詳しく調べるために、当時小学生だったこの子は調べられる範囲の「桃太郎」を読んだそうだ。
その結果、明治29年以前の物語「桃太郎」では鬼が悪さをする描写はなく、桃太郎が宝を取りに行くために鬼ヶ島へ向かったと記載されている。一方、それ以降は鬼が人々に対して悪さをしている描写が加わり、ストーリーが異なっていることがわかった。

つまり、「桃太郎」の原典においては、鬼は悪者ではなく桃太郎こそ侵略者であると言うことが可能である。

では、実際の「桃太郎」のモデルになった史実ではどうなのだろうか?
「桃太郎」の由来は日本全国に諸説あるが、波羅ノ鬼さんが採用しているのは岡山県発祥の吉備津彦命の温羅退治伝説であると考える。

吉備津彦命の温羅退治伝説

以降はwikipediaの「吉備津彦命」のページを引用している。

吉備津彦命は第7代孝霊天皇と、妃の倭国香媛(やまとのくにかひめ、絚某姉<はえいろね>/意富夜麻登玖邇阿礼比売命<おほやまとくにあれひめのみこと>)との間に生まれた皇子である。

吉備津彦命は四道将軍の一人として西道(山陽道)に派遣された。

吉備津神社(岡山県岡山市、備中国一宮)の縁起として、吉備津彦命が吉備平定にあたって温羅(うら・うんら・おんら)という鬼を討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られる。これによると、温羅は鬼ノ城に住んで地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたという。この伝説は物語「桃太郎」のモチーフになったともいわれるが、そのことを裏付ける史料等は皆無である。

温羅は討伐される人物(悪)とされているが、一説によると温羅は渡来人であり、吉備一帯で産出される鉄を利用した製鉄技術を現地に伝え、吉備に繁栄をもたらした人物であるとも言われている。
この一説から考えると、温羅つまり鬼は悪行を働いてはおらず、むしろ安寧とした暮らしをしている一族と考えることができ、逆に吉備津彦命つまり桃太郎こそ侵略者と捉えることは容易であろう。

さいごに

最後に、明治44年に尋常小学唱歌に採用された童謡「桃太郎」の4番と5番の歌詞を引用する。

そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。

ここまで読んでいただいた貴方は、鬼を殺すことを「おもしろい」と言う桃太郎の姿をどのような姿で思い浮かべるだろうか?

4月28日に「トラウマ」が公開されて以降、私の価値観は180度ひっくり返った。ある意味で私自身のトラウマともなった波羅ノ鬼さんの物語が、今後どのように展開されていくのか期待と不安を綯い交ぜにして今か今かと待っている。


2020.06.27
Kei_Waga(@k_waretuma


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