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The Best Books of 2021(2021年振り返り:書籍編)

2021年に読んだ本から、特記しておきたい10冊の本を。

今年は『こここ』や『壌(JYOU)』といった、福祉をテーマとするメディアサイトの仕事に携わらせてもらったこともあり、自分のマジョリティ性への無自覚さと無知さを知る機会が得られたのは、まず大きかったと思う。
仕事を通じて、学び直しのきっかけが与えられる事ほど嬉しいことはないし、こういう機会はなるべく今後も増やしていきたい。
後は、よりプリミティブな信じる心や祈りがもつ、有無を言わせない強さをストレートに伝えられた本に惹かれた傾向があった。

『豚の死なない日』 ロバート・ニュートン・ペック

手に取って読みだした途端一気に引き込まれてしまい、そのまま最後まで数時間で読み切ってしまった。
にも関わらず、剛速球の重い直球が胸に投げ込まれたような、ドスンと腹に来る、そして胸が締め付けられる読後感。

「これが大人になるということだ。これがやらなければならないことをやるということだ」

心の芯まで温めてくれる、まっすぐで骨太で優しい、父と息子にまつわる物語の金字塔のような小説。アメリカの素朴な良心が、まるで結晶のようにギュッと凝縮されたかのよう。
この本に出会えた事自体が、うれしい。

『大奥』 よしながふみ

1巻から最終巻まで、何度も涙しながら一気に読んだ。
まさに『侍女の物語』の反転であり、コロナ禍からコロナ後の世界を描くものであり、そしてジェンダーからセクシャリティ、障害とあらゆる「ちがい」を超えた、あるべき未来の社会の姿を照射する奇跡のような物語だった。
なぜ、コロナなど起きる予兆すらない連載開始当時から、これほどまで未来が予見された「今の問題」を作品として描くことができたのだろう。
今を正しく見ることが、未来を見ることにつながっている。
きっと、そういうことなのだろう。
素晴らしい作品をありがとうございました。

『クララとお日さま』 カズオ・イシグロ

胸が締め付けられる思いで、一気に読んだ。
AIロボットと少女との友愛をテーマとしながら、そこで描かれているのは「人間にとって、祈りとは?」や「信仰とは?」への誠実な問い直しだ。
「信じる」とは、ある意味人間にとって最も矛盾に満ちた行為。
それを、AIロボットであるクララが「少女を助けたい」その一心でただ祈る。祈り続ける。
その希望に満ちた光景の描写力。この映像的とすら言える祈りのシーンの鮮明さは、カズオ・イシグロでしか得られない読書の喜びがあった。
そして、最後の「心とは?」という巨大な問いへの、誠実な解答。
まるでクララを照らす柔らかな光のような、穏やかで暖かな気持ちになれる読後感だった。

『密やかな結晶』 小川洋子

ただただ静かで澄んだ孤島のようなその世界の中で、一つずつ記憶が奪われ、消失していくさまの、気が遠のくような美しさは何なのだろう。
読んでいる最中も、読み終えた後でも、心はぼおっと浮遊したまま。
奪われたのではない、それは解放だったのだ。
そう一言で言い切れたら簡単なのだけど、喪失が持つ哀しみ以外にある、「奪われる事自体に寄せる、静かな期待や不自由さへの微かな喜びのような感情」がない混ぜになった倒錯性が、心を浮遊させ、気を遠くにさせる。
この複雑な感情を物語として引き込ませ、共有できてしまう小説という存在の不思議さ。そして面白さ。

『ホエール・トーク』 クリス クラッチャー

体育会的で、白人至上主義的で、ミソジニーとマッチョイズムに囚われた男たちが世界の中心であること。
日本語版の出版が2004年とやや一昔前の物語であるにも関わらず、社会のルール自体は(特に日本では)正直さほど変わっていないように思える。
そのひたすら窮屈で閉鎖的なマジョリティ側の世界から外れた、あらゆる「ちがい」をもったバラバラすぎる登場人物たち。
それが『七人の侍』よろしく、高校水泳チームを作るために一人また一人と集っていく過程は、ワクワクと痛快さがあり、そして風の通るように爽快でとにかく居心地が良い。
でもこの本の魅力は「ちがい」を持つそれぞれのメンバーたちが持つ、心の痛みが背景として丁寧に描かれている事。
だからこそ、僕らは連帯する。
そして少しでも前向きに生きていくことで、人生を肯定していく。
物語は、それぞれの痛みを、痛快さとやさしさで包んでくれる。
僕らが生きる社会は、この本のようでありたい。

『飼い喰い 三匹の豚とわたし』 内澤旬子

本のタイトル通り、自ら三匹の豚を飼い、名を付け、豚小屋を建て、育て、食べあげるまでを綴ったルポタージュ。
この本の面白さというか不思議さは、やはり三匹の豚と自身との間にある、「ペット」と「家畜」と「食料」との境界線が曖昧になっていく過程の描写の鮮明さにある。
その境界が溶けていく様は、こんな体験は自身が出来ないだけに、そして著者自身が楽しんでそれを行っている事が伝わるだけに、はっきり言ってめちゃくちゃ面白い。
単純化できないこと/単純化しないことの、愉快さと、痛快さと、味わい深さ。
豊かさとは?の答えの一つを知りたい人は、きっとこの本を読むといいです。

『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』 タラ ウェストーバー

両親のカルト狂信により、出生届けすら7歳まで出されず、トイレ後に手を洗う習慣はなく、学校にも、病院へも行かせてもらえない。
そしてその閉鎖環境の中では、当然のように暴力が日常的に振る舞われている。
そんな家族環境に囚われてしまった世界の中で、光が当たるのが「教育」。
教育こそが世界を広げ、自分に備わる力を肯定させ、人生をより豊かなものへと変える力を持っている。
学ぶことは、誰にも奪えない。
学び続けることだけが、自分の人生の力になりえる。
彼女の壮絶な人生の語りには、この真理を全世界へ信じ込ませる力がある。
学ぼう。

『医療の外れで』 木村映里

もし体調が悪いなら、まずは病院へ行く。
これを当たり前と考えている事自体、どれだけ自分がマジョリティの立場にいる事だったのか。
この本は平静になんてとても読めなかった。
自分の能天気な無邪気さと、世界への無知さに寒々としながら、恥ずかしい思いで居心地悪く読んだ。
読めて良かったし、読まないといけない本だったし、もっとこんな本に出会い読んでいかないといけない。
自分の無知を知るために、本はある。

『精霊に捕まって倒れる』 アン・ファディマン

モン族のシャーマニズムと、西洋思想が前提となった現代医療。
このあまりに違いすぎる両者の価値観が、1人の子どもの病気をめぐり衝突する様を描くドキュメンタリー。
「精霊に捕まって倒れる」とは、現代医療で言えば「癲癇」にあたる病気のこと。
が、モン族にとっては、将来シャーマンになりうる「精霊に見いだされた人」と理解されているため、一概に病気と位置づけられるものではない。
子供を救いたいという気持ちは、モン族の一家も、医療者たちも変わりはない。でも出発点からして、これだけの決定的な価値観の違いがある。
そして解決法も全く違う(例えば輸血なんてまず考えられない)
さて、どうするか?
これだけ「多様性」「共生」「共創」のような言葉だけが溢れている今、君にはどれだけ「違い」を尊重し、歩み寄れる覚悟はあるか?を問う本でもある。
対立の先、最終章で描かれるモン族一家の祈りの描写。
それは前述の『クララとお日さま』に通じる、「信じている人」だけが持つ祈りの力の強さを垣間見させてもらったような奇跡的なものだった。

『Humankind 希望の歴史』 ルトガー・ブレグマン

人間なんて、放っておけば、あるいはいざとなれば、簡単に悪へと転換してしまう。人間の性悪説に囚われていない人は、ほとんどいないだろうと思う。自分ももちろんそうだ。
そもそも今の法や社会制度とは、人の性悪説を前提とされてきた歴史の積み重ねの結果でもある。
この性悪説バイアスを、「本当にそうなのか?」と一つずつ反証していきながら、人間の性善説に目を向けさせ、伝えていくベストセラー本。
人の心を挫くニュースばかり届く毎日では、今と未来へネガティブな偏りをもたらす思考に陥る事は避けられない。
だからこそ「ニュース」からは一歩引き、「事実」に目を向ける事で、正しい認知を取り戻す必要がある。これは数年前のベストセラーである『ファクトフルネス』にも通じる、大切なアプローチだろう。
正直、下巻の自己啓発本的な帰結には詰めの甘さを感じるし、この本を通じ自分自身の価値観が大きく変化したわけではない。
ただ「事実を見て」「人を信じる」ことからはじめ直す事を、今の時代に改めて説くことの意義はとてもあると思う。


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