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長屋への引越し/いつもの日曜日

「うちうみさーん」と呼ぶ声で目が覚める。日曜日の朝8時半。並びに住んでる兄弟の末っ子のTだ。寝室にしている2階は狭い路地から3メートルほど引っ込んでいるので、窓を開けても彼の姿は見えない。
「おはよう、どうした?」
「朝ごはん食べる?」
「作ってくれるの?」
「うん。パンやく。」
「ありがとう。うちで食べるんでしょ?1階片しとくわ」
窓を閉めて羽織るものを探す。

「うーちうーみさーん」よく通る声がもう一度響く。普段は呼び捨てなのに、呼びかける時だけ「さん」がつく。
「なんですかー」
「パン何枚食べるー?」
「んー2枚くらい?」
「2枚も食べるの! 多くね?」
「じゃあ1枚」
「わかったー」
わざわざ戻ってまで聞くことじゃないと思うが、それこそが愛おしい。僕が初めてこの町に来た頃、遊び疲れて床に転がっていたのが2歳の彼である。もう8歳になったそうだ。6年近く通っていることになる。僕が近所に来るのが嬉しかったらしくて、掃除も引っ越しも手伝ってくれた。

1階に降りてエアコンとこたつのスイッチを入れる。関東大震災と戦災を生き残ったと言われている古い長屋だが、2,3年前まで別の方が住んでいたそうで、それなりのメンテナンスはされた状態だった。エアコンがついているのは前の方のおかげである。近くの同年代の家にはほとんどついていないらしい。もちろんいろんなところが傾いたり壊れたりしているが些細なことで、空き家だった間のほこりを払えばすぐに住める状態になった。

しばらくして突然ガラッと玄関の引き戸が開けられて、パンが届けられる。「お邪魔しまーす」という声には邪魔をしているという遠慮が全く感じられない。「あとでにいちゃんが飲み物持ってくる。Fさんも来るって。」

前に2年間住んでいたのはここからせいぜい徒歩5分のアパートだったから、近所の人にリヤカーを借りて荷物を運んだ。5往復で済んだ。手伝ってくれた子たちは、その見返りの当然の権利として、自分の家の延長のように出入りしている。町で一緒に活動してる仲間たちもふらっと訪ねてくれるようになった。実家でも前のアパートでも、こんな頻繁に、しかもいつ来るかわからないような状態はなかった。先日お話を聞いた、自宅のコレクションを私設ミュージアムとして公開している方が、家を半分公開すると、人通しのいい、身だしなみの整った家になるからいい、と話していたのが、その通りだと思った。

子どもたちは押し入れに入ってはしゃいでいる。おかげさまで床板が抜けかけていることが判明した。割れた床板を剥がすと、暗く湿った床下があらわれる。月面のように静かに積もった土や、いつからそこにあるのかわからないごみや、つぎはぎされて束石になんとか乗っている柱が見える。押し入れが突如、隣り合った異世界への入り口となった。
どうするの、と聞くので、板貼って本棚にでもしようと思う、と話す。読んでくれるなら、実家に置きっぱなしの図鑑とか持ってくるからさ。
「きなこが入って来れなくなっちゃう」
「きなこ?」
「うちの猫。床下から入ってくるの」
きなこ。黄土色の猫。確かにいる。路地でたまに見かける。飼ってたのか。
僕の少し前から並びの長屋に住み始めたFさんも
「こないだうちにも勝手に入ってね、こたつであったまってたんよ」
と言う。
そうは言われても、冷気のかたまりが上がってくるし、天井裏にはねずみの気配もするし、塞がないわけにはいかない。猫が通れるくらいの扉、つけとくか。

何人もが手を加え、痕跡が残り続けている家である。自分で修繕や多少の改修はしていいと言われているので、押入れの本棚化に始まり、壁に板を貼ったり絵を掛けたり、照明を変えてみたり、少しずつ手を加えている。数年来建築に関わってきた身としては恥ずかしい限りなのだが、家というものの全体が、自分が手を加えうるものの延長であるという感覚を持ったのは初めてだった。実家だと少し大きな建物の一部だったので見えないところも多かったし、当たり前すぎてあえて変えようとは思わないものがたくさんあった。普通の賃貸アパートだと痕跡が残るようなことはできない。今回の特殊な物件で初めて、電球のひとつから家全体までがグラデーションとして繋がり、そしてそのグラデーションは長屋のお隣や、音も空気も筒抜けの前の路地や、その先の表の通りにまで広がっていくような感覚がある。

表の通りは日曜の11時から16時まで歩行者天国になる。晴れた日の日中は家の中より道の方が暖かい。人が少ない時は通りにある日当たりがいいベンチに座って1人で本を読む。この時間がいちばん捗る。
でもだいたいは、11時を過ぎても何もしないと、並びの兄弟や、少年野球の練習から帰ってきた子や、通り沿いの飲食店の子に、今日は何もしないんですか?とか、早くこたつ出せー!とプレッシャーをかけられる。
ご近所さんの伝手で譲り受けた畳を路上に敷く。スタートはだいたい2枚、人が増えてくると最大6枚まで増やせる。その上にうちの1階で使っているこたつを置く。電源は裏口から電ドラ1ロールで届く距離だ。

前から「スープの冷めない距離」程度のところに住んで頻繁に通っていたが、「電源が届く距離」にまで近づくと、関わり方の感覚が変わって、自分でも驚くほどだった。家と同じように、この道も、自分が手を加えられる場所になりつつある。すぐ器や本も持ってこれるし、洗い物やトイレも困らない。遊んでいる子どもたちを眺めながら本を読んだり何か書いたり、ご近所さんと昼ごはんを持ち寄って食べたり、時折りこたつがひっくり返るようなじゃれあいに巻き込まれたりするのが毎週日曜日の過ごし方になった。

近所の子が書いてくれた「誰でも入れます」という貼り紙(僕が引っ越す直前に勝手に長屋に貼られていたもの)を看板にして、たたみに立てかけておく。そうすると通りがかりの人がそれを見て、話しかけてきたり写真を撮ったりすることがある。こたつに誘うと入ってのんびりしてくれることもある。子連れの人だと、子どもが横に広げられてるおもちゃに夢中になってる間、親はこたつで眺めていられるから好評である。おもちゃは近所の子どもたちが自分で持ってくるもので、前は知らない子が来ても入れてあげないことがあったが、最近は少し成長したようで一緒に遊んでいる。自分が組み立てたレゴをばらされて怒るようなこともない。僕は彼らの父親と間違えられることもよくあるが、違うというと驚かれる。ボランティアなんですか、などと聞かれると、友達ですね、と答えることにしてる。「うん、ともだち。タメじゃないけどね!」なんで子どもたちも言っている。

16時の10分か20分前になると、そろそろ片すかと誰かが言い出す。いくつかの家から持ち寄られたものが、それぞれの定位置に帰っていく。あっという間にもとの道に戻る。名残惜しがる子はものを運ぶのを手伝ってくれたままうちに上がり込んでおしゃべりしたりするが、それも帰ると、ようやく1人で落ち着いて、結局昼間に集中して読めなかった本を読み返したり、夕食の買い物に出かけたり、次の客のために掃除をしたりする。そんな暮らしが始まっている。


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