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年越しならずの文字たちへ

書きたいことは山ほどあるし、今にもぷつっと弾けた毛穴から言葉が垂れ落ちそうでもある。鳥肌が立ったように毛穴は膨らんでいるのに、それが外気に触れることを皮膚の硬直が許さない。一月も半ばとなり"2024年"はケロリとした顔で世間に馴染みつつあるが、わたしは今でも書類に"2023"と書いてしまい、2024年の足手纏いとなっている。毎年食べていた年越し蕎麦を食べなかったせいだろう。私のメモには2023年に産み落とされた3000字余りの言葉たちで生き生きとしており、着地場所を失ったそれらは眉毛をハの字にして宙に浮いている。言葉もまた足を引っ張っている。最近はというと、期限を引っ張ったせいで自分に嫌気が差しており、もう少しけじめをつけろと自分に釘を刺した。

またインプットをしすぎたせいか、さらに言うと私の咀嚼力が低いせいか、納得のいくアウトプットが出来ないまま一月も終盤となってしまった。インプットとアウトプットを同時に実行できる人間を私は羨ましく思っており、自分と外気を繋ぐ矢印が幾重にも重なった場合もそれらを処理・整列させる力が欲しいと思った。これらが身についた頃には、(身につくのかどうか。自分との戦いとなるだろう。)年越しならずの文字たちも噛めば噛むほど旨い、熟成された宛てとなってくれるだろう。それを肴に酒を交わし、無事2024年を終えたい。

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