先を見通す力と我慢の関係
先日届いたメルマガで、頑張れる人がどうかの違いには認知機能(先の見通しが弱いかどうか)の有無の違いがあるという記事を読みました。
その記事ではこんなことが書かれています。
「頑張る」ためには、「○○になるためには、こうやったらこうなるから、そこまで頑張ってみよう」といった見通しを持つことが重要だという。ところが、こうした見通しができない人々がいる。先のことを想像するのが苦手なのだ。だから「頑張れない」。
勉強においても、いい点を取ることまでを見ている人と、もっと先のことを考えている人とで頑張れる度合いが変わってきます。
また、見通しが弱さは犯罪に繋がることさえある。
たとえばお金が必要になった時に、どこまで先を考えて行動できるかで変わってくる。先を考えられないと所謂、短絡的犯行に走ってしまうことにも繋がりかねない。
そういうことが書かれてあて、言わんとすることはよくわかりました。
先の見通しができる人なら、そもそもお金に困るケースも少なく、トラブルに落ち入りやすいというのだろうと思った。
そして先が見通せる人なら不測の事態に陥ったとしても、どう対処するとどうなるか先を予測し、行動に移すことができるはずです。
世の中は変化が激しく、特に今はコロナ禍ということもあり、先の見通しがつきにくい状況です。
こういう状況下においては、人の頑張り度合いの差がわかりやすくでるように思います。
ビジネスにおいては、先の見通しがつかない今を好機と捉えて、新しいことにチャレンジし種蒔きしている人もいます。
一方で、単に目も前のコロナ対応に終われてしまっていて本業がなんだったかわからなくなっている人もいるかもしれません。
オフシーンにおいても、どのくらい先を見通せるかで、自粛できる我慢の限度も変わってきているのではないでしょうか。
自粛を続けても何も変わらない、先も見通せないとなると我慢の意味を見出せず、楽しさを優先してしまう人が増えてきている、というのが今の状況のように思います。
こんなことも書かれていました。
普段あまり頑張らない人が少し頑張ったときなどに
この言葉をかけると、相手はたちまちやる気を失う。せっかく頑張ってみようと思い始めたのに、「もっとできるはず」と言われると、どこまで頑張れば認めてもらえるのか終着点が見えず、不安になるからだ。
1回目や2回目の自粛まではなんとか頑張れた人も、もっとできるはずと言われたら、「あとどれだけ頑張れば良いんだよ」と思う気持ちはよくわかります。
そこで辞めたらどうなるのかを見通せるかどうかが行動の分かれ目なんだなと考えさせられました。
自分がかかるかもしれない
家族や友人にうつすかもしれない
コロナ病床が増えたことで、通常の病気や怪我の治療が十分に対応できないかもしれない
自分はコロナに罹らなくても病気になったり大怪我をするかもしれない。その時コロナ優先で怪我が後回しになるかもしれない。
自分はどこまで先を見通して行動できているだろう。
仕事においてだけでなく、日頃から先を見通す訓練をしてないと
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