【雑記】近況報告;20200315
最近は何事もなく日々が過ぎていく。仕事に精を出し、帰ってきてからDCGを鬼ほどプレイし、
時々気が付いたように文学や動画製作に手を出す。将来の不安を明日来る仕事の苦しみへの予感と、酒を飲み、時々完全に喧嘩別れてしまったサークルの友人たちや、恋をしていた人の事に思いを馳せる。
朝起きれば無理やりにも身体を動かして仕事の準備をする。適当に着替え、鬱な気分を引っ張り上げ家を出発する。比較的短い通勤時間で某大学のバイト先まで向かい、指示に従って色んな事をする。大抵の場合、時間が流れる感覚はひどく遅い。座り仕事だし楽な仕事の部類ではあるのが、単純作業ばかりで気が滅入ってしまう。でも複雑な仕事というのは、単純なタスクにまで分割して対処するものだ、と自分に言い聞かせ、やる。電車内ではずっとハースストーンというゲームをやっている。本を読むのなんて一週間にいっぺんくらいだ。仕事から帰ってくると疲れ切っているのでてきとうな飯を作って食べる。食べた後はまたハースストーンを鬼回する。疲れてきった頃に睡眠薬を飲めばすぐ寝落ちする。
平日、というか仕事がある日はまだ何とか身体を動かせているのだが、休日は鬱というか、双極性障害が顔を覗かせてくる。とにかく休日は、だるい。朝は何にもできないし文筆活動もまともにできない。やるのは延々とゲームばかりだし、それすらできない事もある。鬱っぽい感情で満たされ、無気力な気分になって布団の上でただただぼおっとする。
それでも、何とかやっているという事だけは確かだ。
文芸にはとんと力を入れてないけれど……・
小説の方はあまり進んでいない。これまで続けていた長編小説の方があまりうまくいってない。この長編小説は多分長年寝かせ続けすぎたから、もうお話というところに関心が持てないのだろう。やらかしてしまった。まあ短編小説の「種」と放置気味になっている「ペン魔法剣」が思った以上に長引いたというのもあるのだけれど……最近また新しい短編小説のほうを書き始めてしまった。自分の能力を確認したいがために。でもまあ、多分いい小説になりそうな予感がするから、いいんじゃないかなと思う。
ただこの淡々とした日々が、続いてくれればと思う。私はこの生活に満足していると思う。週3から4日くらい仕事をして、帰ってきてからは文筆活動をし、時々思い出したふうにゲームをする、そこまでいったらもう言う事はない。しかしこの平穏な日々も、長くは続かないだろう。
仕事を辞めて新しいところに就く予定だ。仕事はとある業界の採用担当で、そこを任されながら徐々に業界の事を学んでいき、オウンドメディアに手を出させてくれるとの事。すなわち本格的にお仕事としての物書きを始める事になる。
これは私の夢の一つだった。些細な事ではあるが「物書きで飯を食っていきたい」と考えていた。その第一歩として、このアルバイトがうまく行ってくれればいいな、と思う。何となく嫌な予感がするのだが(結局人事の仕事ばかりでメディアに携わらせてくれないんじゃないかという事とか、、、)初出勤日の前はどんな時もこんな気持ちになるので、暗くなっても仕方ないと腹を括っている。
時折ものすごく悲しい気分になる。今の仕事の事だ。仕事を辞めるのが、悲しい。やりたい事の為に転職するという意味ではこれは素晴らしい事なのだが、それでも今の人達と離れる、仕事をしなくなるというのはとても悲しい。詳しい事は話せないけど、今のアルバイト先は端的に言って最高だ(賃金が低い事は別として)。仕事は楽な部類の方。社員登用もある。何より人間関係がいい。
この会社には去年の九月、半年前に入社した。当時は精神病の事があって多く働けず、それに初めての長期労働だったのでとても緊張していた。「社会で仕事するなんてとても無理だ」と嫌な気分になる事もたくさんあった。だが職場の人達はとても優しい人ばかりで、何にも知らない社会不適合者の私を温かく迎え入れてくれた。仕事内容もミスをして落ち込む事もあるが、基本的には何とかやっていけそうな部類のタスクで構成されていた。「ここならやっていけそうだ」と思えたし、実際働けた。
だからこそ社員の皆さんには感謝しているし、離れがたい。会社を辞める事については前々から考えていたが、その時は「まあ笑顔で辞める事ができるだろう」という楽観的な気持ちがあった。だが今は、送別会の時にむせび泣いてしまうかもしれない。というか、後悔の念を抱いてしまう可能性があるような気がする。だから時々とても辛い気持ちになる。もうこの人達と二度と会わんのか……と思うとひどく寂しくなるのである。
さて、私はこの仕事先で、徐々に社会復帰できていたのだと思う。だが、それは母の一助によるものが大きい。これも感謝すべき事ではあるが、去年の十月下旬、私は半年間いた新中野(中野区)から赤羽(北区)の川沿いへと住まいを変え、母と二人で暮らす事となった。理由は単純に私の貯金が尽き、収入も足らず家賃が払えなくなりそうになっていた事と、私一人ではどうにも「危険」だという事があった。「危険」というのは、私には当時自殺衝動、自己破壊衝動があり、つまり母曰く「一人にはしておけない状況」だったという。今思い返せば確かに大変な状態だったと思う。そこで、母に説得され結局二人で住む事となった。最初は「母親と住むなんて!」と何となく嫌悪感というものがあったが、母と私は似た者同士なので家でもあまり接触がなく、家族というよりはルームシェアのような感覚で生活が始まった。ただやはり食料や少しばかりの家事は援助してもらっている。
ただ、こんな生活が十数年間続くかどうかというと、不安が残る。私は嫌ではないのだが(まあ自立したいというのが本音だ。私は今のところ母に飼われている大きなペットでしかない)、しかし母の人生としてはどうだろう?
これはバイト先の十歳上の人に諭された事なのだが、母は今のところ独り身だ(私に隠れて、誰か男がいるかどうかはともかくとして)。父は再婚したから老後の事は心配しなくてもいいが(どうせ新妻とその子供が面倒見てくれるだろう)、母はどうだろう? 私がいる事で母の新しい生活相手探し、要は新しい夫を探すのを邪魔しているのではないだろうか? 私の存在は今後の母の人生に悪影響を与えるのではないだろうか?
あるいは私にもそれが言える。私もいつかはパートナーがほしい(それができるかできないかは置いといて)と思うし、将来は結婚もしたいと考えている(子供を作るかどうかは悩ましいところだが)。そういった時、いつかその人を母に紹介しなければいけない時が来るし、二人で住むか三人で住むか選択しなければいけない時がくる。
まあ三人で住むという選択肢はないが、息子としては母の人生は、今後は恵まれたものであってほしいと願う。長くなるから省くが、結婚してからの母の人生はあまりいいものとは言えない。いつか新しい人に出会えれば、それが好転するかもしれない。ただそれには息子である私の存在が邪魔だ。いつか選択しなければいけない時が来る。自立するために、私も頑張らなければいけないという事か。
色々話が左右したが、とにもかくにも、人生は変わっていく。私は転職してまた鬱に逆戻りしてしまうかもしれないし、未来には解決すべき様々な問題がある。様々な不安が残るが、それでも人は前に進んで、自分の人生を選択していかなければならないのだと思う。皆さんもコロナウイルスにはお気を付けください。ここまで読んでくれてありがとうございます。貴方の人生に幸運を、貴方の自我に祝福を。
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