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【雑記】堕落についての省察/コンビニやっぱ高くない?

コンビニに売ってるものは大体美味いのだが少し高いのが難点だ。

私は酒のつまみに、一口サイズにカットされた牛タンを食べるのが好きなのだが、食べきると「これで300円か……」と物足りなさを覚えずにいられない。

私はサンドイッチが好きだ。コンビニのサンドイッチが好きだ。でも高いから昼食に買うのは「ちょっとした贅沢」になってくる。だから仕事の関係で昼食代が出る時、サンドイッチ二つを買ってもらう事が多い。「そんなんで足りるの?」「でも、サンドイッチですよ?」

もちろんサンドイッチや惣菜が高い理由は想像がつく。サンドイッチは具材に生鮮食品、要は日にちがもたない食材が含まれてるからだろう。惣菜も作るのに手間がかかるからコストもかさむのだろう。だから高くなる。

それから物価高も影響してるんだろう。きっと世界のどこかでバランスが崩れたり、偉い人々の物事が複雑に絡み合ったりして、他なんだりして、結果コンビニの牛丼が50円値上げされたんだろう。ふざけやがって。

まあ文句を言うくらいなら自分で作れよって話ではある。つまりお弁当作ればお昼にコンビニ行く必要ないじゃないか、というわけで。

それはそれで面倒くさい。面倒くさい。

コンビニの値段を高く感じるのは、結局「自分が料理するコスト」をコンビニで余分に買ってるからだ。牛丼だって代わりに朝生姜焼きと白飯を繕って弁当に入れれば、おそらく半額くらいで済むだろう。冷凍食品を大量にストックし、それを弁当にすれば忙しい朝でも手早く終わるはずだ。

……諸氏、今あなたたちはこう思ってるだろう。

   「それが出来たらとっくにやっている」


私は、堕落しているのだろうか?

自分の生活を省みると、ここ数年の私は堕落の一途をたどっている。

酒を毎日飲み、家にいる間はずっとゲームをし、何も生産的な事もせず、何か新しい事に挑む事もせず、働かず、鍛錬せず、その結果健康診断は中性脂肪の値が常人の五倍にまでなってしまった。

小説とか動画とかも作らなくなってしまった。それを作るのにかかる時間を概算すると(それらは大体100時間を超える)、足がすくんでしまう。何より、それを作る事で自分に帰ってくるベネフィットがない。だって労働ではないのだから。収入が得られるわけではないのだから。

ならば労働に余力をも全て投入し、家ではゲームをして仮初の世界征服をしていたほうがずっとQOLがいいはずだ。

ゲームは、楽しい。これはここまでの文脈――つまりゲームにすべからく堕落すると言いたいのではない。ゲームは人生に彩りや学びを与え、時に喜びや感動を、時に苦痛や無力感を、そしてそれに抗う力を、感動を、涙を、与えてくれる。ゲームは人生を豊かにする。

ただどんな物事もやりすぎはよくない。どんな薬も飲みすぎれば毒になる。休日に14時間ゲームしてるのはすべからく病的だし、ゲームをやり続ければ実害だって出てくる。目も疲れるし電力も使うし、そして何より……見よ、私の腹を! そしてγGTPの値を……。


我々は何のために生きているのだろう。

{人類の歴史の中、数多の先人がこの命題と戦った。数多の英雄が血で文化を造り、数多の哲人が知識を遺した。数多の芸術家が作品で応え、数多の名もなき人々がその血肉を歴史にした……}(※1)

堕落とは、(※1)に対してのアンチテーゼのように思える。
だがこれらの命題に、善悪や良し悪しという定規をあてると、私は堕落が必ずしも悪の極値を取るとは思わない。(※1)によって至る物事が善であり良しであるならば、それらは必ずしも幸福に繋がり得ない。言わずもがなそれらの営みには苦難がつきものだからだ。

では幸福とは何か。我々のうちの多くの人間が「幸福」の為に生きているはずだ。しかし(※1)が幸福に繋がるとは限らない。(※1)のアンチテーゼは堕落である。ともするならば、堕落は全くの幸福の敵とは言えないのではないか。


きっと、これからも私は昼食のために早起きして弁当を作る事はないのだろう。
きっと、これからも私はゲームに打ち込み、それを趣味としていくのだろう。

それが堕落というのなら、そうだと思う。しかし、毒も適量なら薬になる。

中途半端に善くあろうとサンドイッチを買うよりも、代わりに思い切ってカップ麵で済ます方がずっと良い。

たまには……だけどね。


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