雑記:散歩の話;20191110


 休日の日、時々散歩をしている。休みの日になるとトイレに行くのすら面倒になる私だが、あまりひきこもっていると精神的に健康に悪い。運動不足で身体にも悪いので面倒な気分でも頑張って外に出るようにしている。だけどどれだけかったるくても、歩くととても清々しい気分になっている。不思議だ。

 
 あまり詳しく話すと身バレの元になるからぼかすのだけれど、私は現在荒川の近くの住宅街に住んでいる。まるで貧民街を思わせるような街並みだ。道が細くて、背の高い建物は無く、反対に汚らしい家屋が並んでいる。
 

 川の近くというのは大雨など水害が絶えないから、あんまり人が住みたがらなかったのだろう。人が集まらなければ家も新設されないし、リフォームもされない。結果として古い家ばかりが残るし、澱んだような空気が街全体に広がっていく気がする。
 

 だけれど、最近はこの街が段々好きになってきた。最初は街並みのあまりの澱み具合に「ここにこれから住むのか」と絶望した。だが細い路地を通る時は子供時代にトンネルを探検するかのようなわくわくした気分になるし、ざるの目のように細かく集まる家々も、小さな生き物が身を寄せ合って必死に生きているようで親近感が沸く。個人的には庶民的で気取った感じが無いのが性に合ってるような気がしている。
 

 そういう細かい道を縫うように進むと、やがて道を阻むように緑色の巨大な土手が現れてくる。土手傍の階段を上ると一転して視界が開ける。
 

 眼前には大きな川と自然が広がっていて、広大な所に出る。これがとても気持ち良くて、太陽の光はさんさんとふっていて、どこまで走ってもぶつからない長い道が芝生と共に、視界の端々まで伸びている。時折大きな橋がかかっていて、巨大な建造物といった感じで機能美的な美しさを感じる。そしてそれよりも巨大な川が流れていて、土手を降りていけばその水面まで近づく事が出来る。
 

 大量な水が流れているのを見るのは私は好きで、大学時代はよく川の傍を散策したものである。水面近くに行くのは異世界に来た感じがして面白い。そもそも大量に水が流れているというのが巨大な自然を感じられて面白いしスリルが得られる。水面を覗き込めば藍色がぐらぐら動いていて凄まじさを感じるのは私だけだろうか。
 

 水面近くはコンクリートばかりに見えて草木とか鳥とかが以外にたくさんあって、飛んでいく鳥は流線形がとても美しくて好きだ。たまにクラゲとかゴミとかが浮いているので飽きないのもいい。
 

 川の近くを歩く事もあるし、土手の上側を歩く事もある。こちらも中々非日常感があって、特に今は綺麗な紅葉が見られる事もある。はちゃめちゃに広い青空の下を歩くのは気持ち良いし、見下ろせば陽の光を反射して川がきらきら光っていてこれもとても綺麗だ。
 

 太陽の下で歩くのはめちゃくちゃ気持ちいいし精神的にも健康にいいのでおすすめする。好きな音楽を聴きながら(今聴いていて好きなのは「ずっと真夜中でいいのに。」というグループの《正しい偽りからの起床》というアルバム。spotifyは神なので皆も是非加入しよう)歩くのもとても楽しい。特に引き込もりがちの人には気分転換になるのでやってみてほしい。みたいな話でした。ここまで読んでくれてありがとうございます。貴方の人生に幸運を、貴方の自我に祝福を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?