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【連載小説】「きみの手、ばりきれい」#9-2

 集合時間はとっくに過ぎたのに、待っていても依然ほかのメンバーは一向に集まらない。さすがに少し焦燥を覚え始め、食堂の出入り口付近を振り見たところ、かなり目立つ格好で目につく動作をしているやつがいた。俺は自然と目が留まり、そいつに目を凝らした。

 真黄色のジャンパーを着た、長身の男だった。それも、今しがた登山にでも行ってきたかのような大きいリュックを背負い、さらに鯉柄の風呂敷包みを抱え、それを泥棒みたく首に巻きつけている。
 そんな怪しさ全開のやつが、入り口のあたりで所在なげに右往左往しているのだ。その一挙手一投足を見れば、注目するなと言われようが、気になるに決まっている。

 彼は俺と目が合うと、こちらの存在に気づいたのか、小走りで近づいてきた。その途中、彼は何度か転倒し、起き上がってはまた転倒を繰り返す。その度に周囲から奇異な視線を向けられるにもかかわらず、特に気にする素振りも見せず、彼は少しずつこちらに向かってくる。

 俺たちがいる席に辿り着いたときには、彼は息も絶え絶えに、

「ハァ……ハァ……、ま、待った……?」

 と、満身創痍まんしんそうい風体ふうていで、力なく声を発した。

 遅れてやってきた尾倉おぐら一瞥いちべつするなり、俺と西谷にしやは無言で視線をそらした。
 有り体に言うと、一刻もはやくここを離れたかった。周りの学生たちから嘲笑のような視線を向けられていると思うと、かなり気恥ずかしい。

 当の尾倉は何も考えていないのか、息を整えながら、ノロノロと俺の斜向はすむかい、西谷の隣に着席した。

「全員揃ったの?」

 このうちでは、唯一部外者であるはずの明坂が、あたかも関係者のような口振りで、隣にいる俺に尋ねる。
 俺がうまく言葉にできずためらっていると、尾倉が、掛けている眼鏡を片手でクイッと持ち上げ、不審げに目を細めて、正面の明坂をじっと見た。

「……誰?」

 尾倉もようやく明坂に気がついたらしく、ちらっと俺に疑問の視線を送る。
 なぜ俺にだけきいてくるのかわからなかったが、西谷のときと同じように、俺は明坂のことを彼にも雑に紹介してやった。

「ただの知り合い。英語のクラスが一緒で、今日グループの集まりがあるって言ったら、見学したいとか言ってついてきた」

「君にとって、僕はただの知り合いかい? 僕はこんなに君と親しくしたいと思ってるのに」

「黙れ。マジで追い返すぞ」

 そんなやり取りを見て、尾倉も大体の要領は把握したようで、口端に苦笑の色を浮かべた。

「見学してもいいけど、多分、何も面白くないよ。何を話すかも、まだ決まってないし……」

 尾倉は明坂に忠告したが、

「大丈夫。邪魔はしないから。進めてよ」

 と、明坂はあっけらかんとしている。
 歓迎されないとわかっていながら、何食わぬ態度で居座り続ける彼には、この俺さえも素直に賞賛を送りたいと思った。この類の馬鹿は見たことがない。

 尾倉は少々やりにくそうだったが、俺や西谷に目を配りながら、話を進める。

「え、と……、今日、ほかの人の予定、誰か知ってる?」

「摂津さんは急に委員会の仕事が入って、来られないらしい」

 俺は、図書館で本人から聞いたことを要約せず、そのまま伝えると、尾倉が遅れて登場してきたときもゲームにいそしんでいた西谷が、いきなり顔を上げた。

「は? あのダイコン足、来ないんかよ。勝手に俺ら呼び出したくせに、自分は」

 摂津さんの傍若無人に対して不平をこぼす彼の隣で、尾倉も渋い表情を作る。

「このミーティングを企画したの、たしか摂津さんだったよね」

「あと、誰がいるんだ?」

 残りのメンバーについて俺が質問すると、尾倉は「えっと……」と言いながら、鞄から手帳を取り出し、名簿を確認する。

玉城たましろさんと春崎はるさきさん、あと、橋田はしだくんもだね」

 手帳を繰りながら、尾倉は一人ひとりの名前を読み上げる。そして、こう付け加えた。

「そういえば、玉城さんはこれからバイトが入ってるから、今日は来れないみたい」

「あとの二人は?」

「聞いてないけど……共有してた時刻から結構経ってるし、もう来ないんじゃないかな」

 腕時計を確認しつつ、尾倉は半ば諦めた語調で話す。

「三人しか集まらないんじゃ、役割分担にしたって、勝手に決めるわけにはいかないよね。どうしようか?」

 このままここにいてもこれ以上『葵祭』のメンバーが集まる見込みは薄いから、今日はひとまず解散しようと尾倉は主張した。

「みんなには、僕のほうからチャットで連絡するからね」

 西谷は「せっかく来たのに」と言わんばかりに、

「はよ帰りたかってんけどなあ」

 と、独り言のように語気を強めて文句を言った。

 俺は詳しい内容についてほとんど何も聞かされていなかったので、確認する意味も込めて、尾倉に尋ねた。

「具体的には何をすればいいんだ?」

「『葵祭』について、みんなで分担して調べるんだよ。例えば、概要、歴史的概観、日程、各行事の歴史とその内容……」

 尾倉は手帳にメモ書きした内容をもとに、大まかな流れを口に出した。

 それから程なくして解散という流れになり、俺は学生棟から屋外に出た。後ろから、明坂もいそいそとついてくる。明坂は俺の隣に並ぶと、囁きかけるようにして、

「いつもあんな感じなの?」

 ときいてきた。

「知らん」

 俺は短く答える。実際に知らないのだ。通常授業以外の集まりには基本的に参加しないし、同学科の学生ともゼミや授業内でのコミュニケーション以外では、あまり話さないようにしている。自分で選んだ道ながら、いつも基本的に一人なのだ。そう、基本的には。

 俺は半分明坂から逃れるように早足でバス停まで歩き、バスに乗り込んだ。半日の予定が、何の成果もなく徒労に終わると、気持ち的に疲弊が消えない。

 ◯ 
 
 尾倉とは、ゼミのクラスは異なるものの、入学式の数日後に開催された新入生歓迎会の一環のリクリエーションで同じグループになり、顔見知りになった。インタビュー形式で自己紹介をし、互いのことを深く知ろうという催しで、俺はそこで尾倉や西谷と知り合うことになる。

 尾倉は、前述した通りの妙ちくりんな風貌に加え、黒縁眼鏡を掛け、癖の強い髪は、海面に漂う和布わかめのごとくうねっている。それはよく言えば不審者、悪く言えば超不審者である。念の為に言っておくが、これは彼の外見に対する俺の所感であり、人目も意に介さないほどの豪胆で奇抜なファッションへの礼賛らいさん的表現であり、決して彼本人を馬鹿にした意図はないので、誤解しないでいただきたい。

 たしかに見た目は不審者のそれだが、眼鏡を外すと、かなり整った顔立ちなのがわかる。色白だけれども、目元はくっきりとつぶらな瞳を隈取り、高い鼻梁びりょうに加えて形のよい唇。普遍的価値観を備えた世の中の女子が、俗に「イケメン」と称する類の男であるということは、俺もなんとなく見抜いていた。それだけに、その不審者めいた身なりが残念に思えてならない。

 また、高身長ということも彼の存在感を強めるのに一役買っており、登山者のような格好のくせにひょろりとしており、一見不健康そうに見える。それから、蝋燭ろうそくのように白く、痩せていて無駄に背が高いことから、初めて彼に会ったとき、擬人化した京都タワーかと思った。

 俺の偏見の話になるが、眼鏡を掛けていて、なおかつ根暗な印象を受けると、「オタク」ではないかという懐疑が、どうしても脳裏にちらつく。そんな勝手なイメージから、最初は尾倉がオタクに見えていたのだが、実は驚いたことに、彼は本当にオタクなのである。アニメや漫画、ゲームにボーカロイドまで、サブカル系のコンテンツに幅広く通暁つうぎょうし、夜通し語り続けてなお語り足りないほどには、驚くべき量の知識を有している。

 セミナーで、同じグループにいた女子が「ねえ、尾倉くんの趣味は何?」という質問を投げかけたところ、導火線に火が点いたように、彼は今季の深夜アニメの話や、昨今の漫画界隈のどこか胡散臭い陰謀論の噂などを、持論を交えて熱心に語り始めた。それでグループ内の空気は、一気に興醒めムードに誘い込まれた。

 俺を含め、五人中三人くらいは口を開けてポカンと呆けていたし、うち一人(西谷のことだが)は欠伸をしたり、頬杖をついて虚空をただ見つめていたりした。真面目に話を聞いていたのは、彼に質問した学生だけだった。それは今にして思うと、「質問してしまったからちゃんと最後まで聞いてあげないといけない」という、義務的同情だったかもしれない。

 俺もアニメなどについては全く詳しくないし、彼の話に特段興味もわかなかったので、意識半分に尾倉の弁舌を聞き流しながら、例の儀式を心の中だけでしめやかに執り行っていた。

 尾倉の二の腕から指先にかけては総じてきれいで、特に目立った痣やシミもなく、モチモチとした弾力が見ただけで伝わってくる。手の甲の形状もなめらかで、意外と指も長い。色白がかえって超然とした感じを与え、素手で鳩を捕まえることも容易そうな清らかさがある。
 ただ、俺の中でそれはあくまで「普通の手」に過ぎない。特筆すべき特質があるわけでもなく、なんとなく面白味に欠け、飛び抜けて美しいということもない。
 以上のことを踏まえ、手偏差値は六十五と、やや控えめの評価ジャッジを下した。それでも、これまで見てきた男子のうちでは、なかなかの高水準と言える。

 そんな属性てんこ盛り、盛りすぎてともすると皿からあらゆる要素がこぼれ落ちそうな尾倉であるが、実は交際中の彼女がいるという噂を俺はあとで聞いた。「聞いた」というより、「無理やり聞かされた」と言うべきかもしれない。そのことを教えてきたのが明坂で、あの集まりの後日、面白がるような調子で俺のもとへ来て囁きかけ、俺を胸底から戦慄せんりつさせた。
 どこからそんな情報を仕入れるのかという疑問より、初対面の相手のプライベートにも平気で土をつけるという下衆ぶりを見せられたことが、俺に強い忌避感を催させた。

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