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シンギュラリティは幸せの契機

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『今』が人類史上、最もすごい変革期である旨を以前に書きました。


その確信は、日々、強まりつつあります。
というのも、毎日のように技術革新のすごいニュースが飛び込んできますし、情報格差もドンドン広がっているからです。

最新技術に明るい人とまったく無視している人の世界観は、それこそ天動説と地動説のように違ってきています。


技術革新が加速している理由は、2010年あたりにコンピュータが指数関数的発達のニーポイントを曲がったからで、それについても以前に書きました。


ところで、情報格差は年齢の問題ではありません。
昨日、80歳になる知り合いが、Spatial入門講座に申し込んでくれて、つくづつ思いました。

「追いかける人は、どこまでも追いかけるなぁ」と 😊


そして、ふと薩摩藩に伝わる教えを思い出したのです。
それは人物評価の序列であり、次の順番になります。

一、何かに挑戦し、成功した者
二、何かに挑戦し、失敗した者
三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四、何もしなかった者
五、何もせず 批判だけしている者


このところ、わたしが入れ込んでいるメタバースに関して言えば、マーク・ザッカーバーグ氏は少なくとも『二』
そして、まだまだ『一』になる可能性が消えたわけではありません。
くだんの80歳の知り合いも同じですね。

要は、これだけ新しい技術が出てきている時代に、どのことにも関心をいだかず、(いだかないだけならまだしも)「そんなのやったって、うまくいかないよ」と批判するのは『五』だということ。


そして、落合陽一さんはシンギュラリティが「2025年に起きる」と指摘されています。


シンギュラリティに対するスタンスもいろいろですが、わたしは悲観的には捉えていません。

人間が地球上でもっとも賢い存在である(と自信を持てた)時代は終わりますが、そもそもそんな風に思い上がったのは、ルネサンス以来のここ500年だけ。
それ以前は、神や自然に対する畏怖の念がとても大きかったのです。
そして、だからこそ、持続可能なシステムが遵守されていました。

シンギュラリティが、人間を今一度謙虚に戻す契機だとすれば、むしろ喜ばしいことではないでしょうか?
無闇に虚勢をはるよりも、自分の力量を素直に認める方が、人を幸せにするからです ❣️


早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け

みんなで行くには進め方が大切ですね 😊




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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世の中に、笑顔のあふれる人を増やしたい、と思っています。

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