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これからの時代の2種類の態度

メタバースに関わって善かったと思うことは、いくつかあります。

・興味や傾向を同じくする人と出会えたこと
・知らなかった技術や知識を習得できたこと
・新しいビジネスの発想が生まれたこと


そして、それらに増して善かったのは、『時代に対して考える切り口ができたこと』です。
ただし、時代性の反映はメタバースに限ったことではなく、本来どのジャンルにも『その時代にしか起こり得ない発想』は、存在します。

要は『時代固有の発想をどんな風にキャッチするか?』で、何に反応できるかは人によって異なります。
わたしの場合は、それが『メタバース』だったという話。

というのも、わたしは小さい頃からずっと『遠近法的に絵を描くこと』にこだわってきましたが、そのあたりの思索がメタバースに出会って一歩進んだからです。
逆に、メタバースにとっても、遠近法という切り口はおもしろいアプローチと言えるでしょう。


たとえば、座標軸の取り方が、BlenderやUnityなどの3D制作アプリとSpatila/メタバースで違っていることは、とても興味深い現象です。

BlenderやUnityは、X軸とY軸を床として考え、Z軸で高さを表します。
建築物をイメージしていただくと、しっくりくるでしょう。
最初に平面的な土台が築かれ、そこに建物が立ち上がっていく感じです。

一方、Spatialはとても絵画的で、X軸が水平に取られ、Y軸は垂直に立ち上がっています。
そして、Z軸が表しているのは奥行きです。


これは、どちらが正しいとか、優れているという比較ではありません。
世界の捉え方やつくり方の違いで、その多様性がおもしろいんですよね。

そして、わたしはSpatialから始めたからこそ、メタバースの特徴を『無限後退する遠近法的空間』として把握できたのだと思います。


近代は、X軸とY軸でつくられる平面的なフレームで世界を切り取ろうとしましたが、コンピューターがZ軸の奥行きを(原理的には無限に)加えたことで、世界は再び人間の手をすり抜け始めました。

東浩紀さんが落合陽一さんとの対談で語られているのも、そのことです。


人は、再び『不可能性』という豊かさを取り戻しつつあります。

今後は、その現象に腹を立てる人や『負けた』といって嘆き悲しむ人と、『あるべき姿に戻った』と笑える人に、分かれていくことになるでしょう。

その枝分かれは、わたしに上皇后陛下の逸話を連想させます。
ホルモン療法の影響でピアノをうまく弾けなくなってきた上皇后陛下は、「今までできていたことは授かっていたもの、それができなくなったことはお返ししたもの」と、受けとめられているそうです。

わたしは、その穏やかさをとても美しいと感じます。


早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け

みんなで行くには進め方が大切ですね 😊




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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世の中に、笑顔のあふれる人を増やしたい、と思っています。

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