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コーヒー農園視察の旅 inベトナム (バオロク,ダラット)

 2023/01/04-09 

コーヒー農園やそこで働く人たちをこの目でみること、そしてベトナム・コーヒー社会の現状を把握するという目的をもって、ベトナムにおいてコーヒー栽培の主要地である中部高原地域のラムドン省・バオロクとダラットへ。

2023年を迎え、三が日が明けた4日早朝から空港に向かいベトナムへ渡航した。
これほどまで慌ただしい新年を送ったのは今年が初めてだと思う。
強烈なスタートダッシュとなった2023年は、なにか大きく動きだし、変化の年となる予感がする。
まぁ自分自身でそうしないといけないのだが。

なにも慌たださとは単なる日程だけを意味しているわけではない。
ベトナムに渡航した4日から帰国する9日までのスケジュールも、本当にあっという間で、いわゆる ''嵐のような"という数日を過ごした。一瞬に思えた一方で、濃密な時間を過ごせたなとも思う。
農園ツアーを企画し、このような機会を与えてくださった 8coffeeroastさん, future coffee farmさんに心から感謝している。

高揚感と疲労感、満足感、そして新鮮さに溢れたベトナム農園ツアーの日々をここに綴る。

ベトナムやコーヒーに興味がある方に、少しでも目を通していただけたら幸いです。


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朝7時過ぎに関西空港に到着。
ツアー参加者の方々とこの場所で初対面。
チェックインも済まし、両替もし、問題なく出国手続きが完了しフライトまで待機。しかし、搭乗時間になってもなかなか飛行機に乗れない。結果、1時間ほど遅延することに。順調かに思えた出国は、そう簡単にはいかなかった。
ホーチミンに到着。ところが、ホーチミンからダラットへ向かう国内線がまたしても遅延。17時にダラットに到着する予定だったのが、20時に到着。ベトナムの国内線は平気で遅延するんだと。
行きの両方ともが遅れるとは…幸先が悪いなと心の中で思ったことを記憶している。そういえば、今年は本厄だったなとも。それは関係ないか。
ダラットの空港の出口には今回のツアーの主催者の一人である農園主の方(future coffee farm のToiさん)が出迎えてくださった。ダラットからToiさんの農園や家があるバオロクまで車で送迎してくれる。その道中、フォー屋によりフォーを食べた。フォーを食べると、ベトナムに来たなと思わせてくれる。まさにベトナムのソウルフードである。
時刻は23時ごろ。その後ホテルまで送ってもらい、忙しない初日を終えた。

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ニワトリの鳴き声に叩き起こされるような形で起床。時間をみるとまだ5時。集合時間まで余裕があったため二度寝しようと試みるが、なかなか鳴き止まない。仕方なく用意をはじめる。
この日は、future coffee farm の精製所、標高750mにある農園を視察させて頂いた。さらに、農園では収穫期であるためコーヒーチェリーの収穫体験もさせて頂いた。なんと、この収穫体験でとったチェリーは我々ツアー者が初摘みとのこと。そのチェリーがなるコーヒーの木は、ロブスタ種(ファインロブスタ)を有機栽培したもので、木を植えたのが3年前、チェリーは今年初めて生ったようだ。そのチェリーを摘ませてもらえるとは。なんて貴重なことだったのだろう。
この体験をできただけでツアーに参加した甲斐があると思えるほどだ。
この日は、ベトナムで最高峰のロブスタのコーヒー豆をつくるToiさんのチェリーの収穫方法、精製方法などを直接聞き、目で見ることができ、体感できた。コーヒーチェリーから生豆に至るまで、12行程があり、そのどれもが丁寧に行われる。改めて日本で飲むコーヒーの一杯は、沢山の人が関わり手間暇をかけてできているのだなと。ありきたりの言葉ではあるが。ただ、自分の目でその光景を見ると自然とそうした感心やありがたみという感情が生まれた。
個人的に興味があったワーカーさんについても少し聞くことができた。future coffee farmでは、収穫期は20人ほどのワーカーさんを雇っている。コーヒーチェリーや豆の水分量の調整や乾燥を行っているビニールハウスに、布団を敷き寝泊まりするワーカーさんもいる。そのようなワーカーさんがテト(旧正月)の時期に帰省される間には、出稼ぎにくる山岳少数民族の人たちを雇うようだ。
ワーカーさんの労働風景だけでも見ることができたのは大きな収穫だった。

写真1. future coffee farmで働くワーカーさん
写真2. 収穫したコーヒーチェリー

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アラームで目が覚めた。微かにニワトリの声が聞こえた気はしたが、完全には起きなかった。その自分に少し驚く。もうベトナムの朝に慣れたのだろうか。
この日は、Toiさんが契約しているロブスタ農家さんの農園を見に行かせていただいた。計4農家。品質の良いチェリーを買い取り、future coffee farmで精製し、ファインロブスタとして世に出しているそうだ。いい豆(完熟)であればいい価格で買い取る。この信条を持つことが農家さんの生産意欲を向上させ、結果お互いに所得向上に繋がる。こうしてToiさんは、他のロブスタ農家を巻き込み、ロブスタ農家の価値を上げようとしている。素晴らしい取り組みである。
しかし、コーヒー栽培は天候に物凄く左右される。昨年は、悪天候ということもあり品質のいい状態で収穫できたチェリーがほとんどなかった農家さんもいた。そのため、Toiさんにチェリーを売らず従来のベトナムロブスタ同様のコマーシャルコーヒー(缶コーヒーなどのインスタントコーヒーの原料となるコーヒー豆)に使われる豆となるようだ。そのチェリーは自身で精製していた。現に農園内にチェリーを乾燥させている風景を見ることができた。

写真3. コマーシャルコーヒーになるチェリーの乾燥風景

当然、コマーシャルコーヒーとなるチェリーは、図1のようなビニールハウス内で管理され乾燥さすことはない。地べたにビニールシートをしきその上でチェリーを乾燥させている。車も通る道路わきに乾燥させているものも見た。驚いたのは、平気で地べたにあるチェリーの上を動物がのる。図3はカモがその上を歩いている瞬間だ。農園主は動物を注意する素振りもみせない。この風景が従来の一般的なベトナムにおけるコーヒー豆の精製風景である。コマーシャルコーヒーは、品質よりも量を求めるため、いくら手間暇をかけ良質なチェリーを作ろうとも、まとめて品質の悪いものと一緒くたに買い取られることがほとんどで、生産意欲がすり減り、丁寧に栽培や精製をしなくなった。安価でも低品質のものが買い取られるからだ。これが杜撰な栽培・精製環境を生んだ理由である。今でもベトナムの大半はこのような栽培方法をとっている。まだまだベトナムのメジャーだ。
"ベトナムの豆は世界で一番マズイ"と言われていたほどだ。この一般化されつつあった固定観念を変えたのがfuture coffee farm のToiさんである。互いに切磋琢磨しているようだが、Toiさんと協力農家さんの間には未だ意識面で差があるように見えた。
差があるとはいえ、品質改善に取り組む数少ない農家である。Toiさんから輪が広がり、量から質へとベトナムロブスタの過渡期を迎えているため、今後もいっそう目が離せない。
昼食は、契約農家の方々が集い我々を盛大にもてなしてくれた。ありがたい。ご飯も非常に美味しく、本当に楽しい時間を過ごせた。
午後からも、ロブスタ農家さんを訪問した。伺ったちょうどその時、収穫したチェリーの仕分けをしている最中だった。完熟チェリーの未熟チェリーを手作業で分けている。

写真4. チェリーの仕分け作業風景

農園主の息子さん(右手前)も手伝っており、他にワーカーさん(血縁関係なし)が5人ほど働いていた。仕分け後の、完熟のものはToiさんへ売り、未熟のものはコマーシャルコーヒー行きだ。
やはり、まだまだ数少ない品質を追い求めるロブスタ農家の現状を見て回れたことは、今後の自分にとって非常にプラスなことだ。

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この日は、バオロクからダラットへ戻った。アラビカ農家を訪問するために。ダラットは標高が高いことから、ベトナムでは珍しいアラビカ種が栽培されている地域である。(ベトナムでは90%以上ロブスタ種が栽培されている)
視察に訪れたアラビカ農家さんは、コーヒー豆の輸入会社でもある8coffeeroastさんと取引をされている方だ。なんと、12haと大規模なコーヒー農園を経営していた。

写真5. 一面に広がるコーヒー農園

1haにおよそ3600本のコーヒーノキが植えられているようだ。生豆換算で15トンほど。品種は、アラビカ種のカティモールとTHA-1(エチオピアのティピカとベトナムのティピカを掛け合わせ、さらにカティモールを掛け合わせた品種)。農園大規模なため、収穫期には30人ほどのワーカーさんを雇っているようで、ワーカーさんとは10年以上前から、コーヒー栽培開始当初からの付き合いなのだと。民族構成はほとんどがキン族(多数民族)ではあるが、エデ族・コホ族の少数民族の人たちも働きにきている。
農園や精製場所などを見回っていたところ、偶然にも、少数民族の方に会うことできた。しかし、なかなか彼らとコミュニケーションがとれない。彼らの話すベトナム語を理解することができず、辛うじて断片的な単語の意味を汲んで相槌をする程度。ホントに自分の不甲斐なさに嫌気がさす。
話したいことが山ほどあるのに!
現地語習得の重要性を再認識した瞬間だった。
少数民族は、ベトナム語だけでなく彼ら独自の言語も操る。少数民族の言語も習得することはベトナム語すらままならない自分にとって気が遠くなりそうなほどであるが、あのもどかしさを抱いた経験が言語学習の原動力となるだろう。

写真6. アメリカ軍が使用していた電波塔 

あれは敷地内だったのだろうか。詳しくは分からないが、コーヒー農園のすぐ近くに、ベトナム戦争当時に使用されていたアメリカ軍の電波塔があった。電波塔は明らかにその場から浮いており、ベトナム中部の複雑さを目の当たりにした気がした。現在は特に使用されていないようだが、戦争地の生々しさがそこにあり、戦争の歴史を物語っていた。

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農園視察ツアー最終日。
この日も8coffeeroastさんと関係性のあるアラビカ農家さんの農園へ。

写真7. 

農園規模は7haと、7日に訪れた農園の規模に比べれば小さいが、それでも壮大であり、管理がいき届いているのか景観が非常に良かった。
品種は、カティモールが多くの割合を占め、他ティピカ、レッドブルボン、オレンジブルボンが少量栽培されている。2000年からコーヒー栽培を始めたようだが、当時はコマーシャルコーヒー用で適切な品質管理は行っていなかった。高品質なコーヒーになるよう栽培し始めたのは2015年頃からだそう。
農園経営は、農園主とその弟さんとで行っており、収穫期には20人ほどのワーカーさんが働きにきている。

写真8. オレンジブルボンの木
写真9. 乾燥台
写真10. コマーシャルコーヒーになるチェリー

ロブスタ農園だけでなく、ベトナムで数少ないアラビカ農園も訪問できたことは非常に貴重なことだったと思う。
両者を見た印象としては、やはり依然としてロブスタ農家に比べアラビカ農家の方が生活水準が高いように思えた。ただ、Toiさんをはじめ生活水準が上がったロブスタ農家がいるのも事実であるため、ロブスタ農家の変遷を注視していくのと同時に、アラビカ農家とロブスタ農家の生活水準の差という点にも今後注視していきたい。

写真11. LÀ VIỆT COFFEE

全ての農園視察が終了したのち、渡航5日目にして今回初めてのコーヒーショップへ。コーヒーショップにいく数より農園にいく数の方が多いとは。ありがたくも珍しい体験をすることに。
ここでは、ベトナム特有の抽出器具であるフィンを使ったベトナムアラビカのコーヒーをストレートでいただいた。振り返ってみると、今回のベトナム渡航ではストレートのコーヒーしか飲んでいない。日本ではあたりまえのことではあるが、ベトナムでしか味わえない、いわゆるベトナム・コーヒーと呼ばれるコンデンスミルクが入ったコーヒーを飲まずして帰国するとは惜しいことをした気がしてならない。次回の渡航では、久しく飲んでいないベトナム・コーヒーを飲もう。

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8日の日付をまたぎ、9日の深夜便で帰国した。
ただ、ホーチミンに戻る国内線でまたしてもトラブルがあった。遅延というよりも前日に時間が変更された。フライトが2時間ずれるとのこと。その変更後の時間では、もともと4時間弱乗り継ぎ時間をとっていた国際線の帰国便に間に合わない可能性が大。変更後の時間がさらに遅延するかもしれないからだ。飛行機でホーチミンに戻ることを諦めかけていたが、一つ前の便に奇跡的にキャンセルによる空きが出たため乗ることができた。8coffeeroastさんにフライトの手配を助けて頂き、なんとか帰国便に間に合い無事日本に戻ることができた。何から何までお世話になってしまった。
こうして、トラブルにも見舞われながらも、年明けから慌ただしく始まったベトナム・コーヒー農園ツアーは幕を閉じた。


今回のベトナム渡航で、高品質なコーヒーを作るロブスタ農家・アラビカ農家の現状を自分の目で見ることができた。それにより、今後渡航する際の課題や研究をしていく上で注視する点などがより明らかになったように思う。
改めて、貴重な経験をさせていただき、ツアー開催者である8coffeeroastさん,future coffee farmさんに感謝いたします。

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