思考の特異点

 人間の思考は、過去から未来まで滑らかに続いているようで、実は此処其処でジャンプしています。数学においても、ある点で周囲とは全く異なるを取ったり、急に異なる値に変わったりする関数を扱ったりします。その点を「特異点」と言います。

 最近では、AIの能力が人類を超える時の事を「シンギュラリティ(技術的特異点)」と表現したりしていますが、これも

その事象が起こる時点の前後では「社会が一変」する

という意味で、「特異点」という言葉を使っています。しかし、例えAIの時代が来なくても、その前に三度もあった産業革命など、人類の歴史を見ると「社会を一変させた出来事」などゴマンとあるわけで、特異点だらけですよね。

 さて今回は、数学の話で "π" と "e" が出てきたので、

それに深く関連する、「虚数 "i"(電気では "j")」について、思考を巡らせてみたいと思います。

●実際には存在しない数?

 そもそも、何故「虚数(imaginary number)」と呼ばれているかを一応説明させて頂くと、普段の日常生活で用いる「実数」の世界では、

2乗した数は必ず"0"か正数

になります。例えば、正数であれば当然

5^2 = 5×5 = 25

であるし、負数であっても

(-3)^2 = (-3)×(-3) = 9

と正数になります。

 しかし、「虚数」は

2乗して負数になる数

すなわち、

i^2 = -1

として定義されます。これは、「実際には存在しない数」と考えられて、「虚数」と呼ばれるようになりました。

 しかし、実在しないと言えば、他にも実在しそうにない数は沢山あります。

●0も負数も実在しなかった

 数学というか、哲学史上、非常に重要な発明と言えば、何と言っても「"0"(ゼロ)」でしょう。

 考えてみれば、これも不思議な数です。何しろ

「無」という事を表現している数字

になります。

 「無」を認識する事は、どんな動物でもできると思いますが、

「無」という状態が「在る」

というのは、人間特有の概念だと思います。

 そもそも、"0"という数を発明したのは、インドだと言われています。一説によると、中国では殷の時代(紀元前16~10世紀頃)には、"0"や負数を含む算術が開発されていたと言われていますが、"0"を表現した記録が残されているのは、今のところインドが最古という事になっているようです。

 インドの古代文明であるインダス文明(紀元前26世紀頃)では、既に十進法を使って設計された、レンガの建造物が確認できるとのことです。現在、世界で広く使われているアラビア数字も、インドから西方のアラブに伝わったものでした。

 尚、インドではもともと "0" に当たる記号を "・" で表現していたそうです。これは、アラビア数字で位取りを明記する必要性から、用いられたものと考えられます。

 また、"0" そのものの概念は、古代インドの仏教やヒンドゥー教の哲学で追究された、「無の概念」に由来するとされています。

 確かに、欧州で使われていたローマ数字には、"0" の表記がありません。

 ローマ数字とアラビア数字を対応させると、

I ⇔ 1

V ⇔ 5

X ⇔ 10

L ⇔ 50

C ⇔ 100

など、

「人間の指の本数に合わせた数え方」

以上の、思想的な背景が感じられないような表記法に見えます。

 そう考えると、"0" という数字も、決して実在するものでは無く、

初めて数の概念に人工的な要素が加わった瞬間

であると言えます。これは数学史上、一つの「思考の特異点」であると言えるのではないでしょうか。

 さらに「負数」については、やはり7世紀頃のインドで

「財産」を正

「負債」を負

として表した記録があるそうです。

 インダス文明が発達したインダス川は、度々増水のため氾濫し、その度に新たに農地を開拓するという事を余儀なくされていました。そのため、農作物の収穫量も不安定であり、備蓄や貸借などの必要性が多く、このような計算手法が発達したとも言われています。

 そういう意味では、「負数」に関しても、農耕によって食物の生産を始めた人間特有の概念であると言えます。

 実際、欧州では負数の概念は「理不尽である」とされて、16世紀頃にやっと広く受容されたという歴史があります。

●「負数」と「平方根」からの飛躍的な概念の抽象化

 前置きが長くなりましたが、では「虚数 "i"」はどのようにして生まれたのかについて見ていきたいと思います。虚数を初めて定義したのは、イタリアの数学者「ラファエル・ボンベリ」であると言われています。

 ボンベリは「連分数」を用いた平方根の計算を研究していました。おそらく、16世紀に負数が欧州で受容され始めて、

「負数の平方根」

について、概念を拡張させていったものであると考えることが出来ます。

 ここで、一気に概念の抽象化が起こったことがわかります。

 「負数」までは、人工的な概念にしろ、「農耕」という人間の活動における必然性から生まれた概念でした。「平方根」も、やはり農耕を行うための、土地面積の計算から生まれた概念であると言われています。

 しかし「虚数」という概念は、「負数」と「平方根」に対し、これらを概念上で組み合わせた、非常に高度な「思考の飛躍」による産物と言えます。これは数学史上、

"0" や「負数」の発明に相当する「思考の特異点」

ではないでしょうか。

 そして、この「負数の平方根」の概念は、「直交座標」の概念を発明したフランスの数学者、「ルネ・デカルト」に否定され、

「役に立たない想像上の数」

という否定的な意味で、"imaginary number" という名前が付けられたそうです。

 ところが、その後スイスの数学者「レオンハルト・オイラー」により、虚数の数学的意味が、デカルトの発明した「デカルト座標」を用いて非常に明確に表現されることとなります。

 この続きは、気が向いたらまた書きたいと思います。

●思考の飛躍は多様性で生まれる

 ところで、これらの「思考の特異点」は、一見不連続な感じがします。しかし、よくその経緯を追っていくと、今まで別々に積み上げられてきた考え方が出会って、進化していく過程であるとわかります。

 今後、世界の環境問題や社会問題を解決していくには、「イノベーション」が必要だと言われています。イノベーションは、まさにこの「思考の特異点」により生み出されるものだと考えられます。

 その観点から、

多様な文化や考え方が出会う機会をいかに増やしていくか

が、カギになるのではないかと思うのです。

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