原子論とキリスト教

 どうでもいいですけど、最近まで「アボカド」の事を「アボガド」だと思っていました。「いばらき」なのに「いばらぎ」って言うようなもんでしょうかね。(知らないよ)

 ということで、熱力学の歴史なんですが、前回の記事は

熱そのものは物質ではなく、

「熱の本質は運動にある」

ということがランフォード伯によって示されたわけです。

 ここまで読んで、たいていの人は意外に思うかもしれないですね。それは、「物質の原子論」が、紀元前5年にデモクリトスにとって唱えられているからです。

 もう原子論が出ていたのであれば、熱の正体がその原子の運動であるという予想は、もっと早くに出ていても良さそうなものですよね。実はこれには、キリスト教と深い関わりがあるのです。

 この頃の科学は、現在のような応用重視の「科学技術」ではなく、物質とは何かを追求する、純粋な「自然哲学」でありました。そしてデモクリトスは、それまでの「唯物論」を体系化し、「原子論」を完成させました。

 しかし、それはアリストテレスによって否定されました。その後、アリストテレスの考察は、ヨーロッパにおいて中世まで多大な影響を与えることになりました。

 アリストテレスは、かの有名なアレキサンダー大王を教育した人物です。当時のあらゆる学問を体系化して、「オルガノン」(論理学)、「動物誌」、「自然学」、「形而上学」、「ニコマス倫理学」、「政治学」、「詩学」などの有名な著書を残しました。

 そして、アリストテレスの見解はキリスト教にも認められ、絶大な権威があったのです。彼の考え方は、神を世界の創造主と認めるのに、非常に都合が良いものだったからです。

 アリストテレスは、エンペドクレスの四元素論(「火」「土(地)」「風(空気/気)」「水」)と、プラトンの輪(物質の循環的変化)の考え方を組み合わせ、「温・冷」「乾・湿」という状態変化により、あらゆる物質が形成されると主張しました。そして、神の意志により、4つの元素は互いに転化し、状態変化をするという考えを示したのです。

 その後、キリスト教は長年にわたり、原子論を追放しました。キリスト教が地動説を禁止していたのは有名ですが、物質の構成に関する理論にも影響を与えていたのですね。

 神による創造を認めるには、なるべくシンプルな理論である必要があったのでしょうか。しかし、これは私見ですが、素粒子の研究を深めた現在、一番有力視されているクオークモデルや、超空間に存在する超ひも理論の方が、よほど神の存在を示唆するのにふさわしい気がします。

 閑話休題、それから「物質の原子・分子論」が復活してきたのは、なんと19世紀に入ってからなんです。

 1801年にジョン・ドルトンが混合気体の「分圧の法則」を発見し、1803年にそこから、「気体はある質量を持つ最小の粒子でできている」という概念に到達します。

 ところが1804年、ヨセフ・ゲイ=リュサックが、気体の化学反応について、

反応する気体と生成する気体の体積の比が「整数」になる

ことを発見します。これは、ドルトンの原子論に反するものでした。

 例えば、水素と塩素を化合させて、塩化水素を作ることを考えましょう(下図)。

画像1

 ゲイ=リュサックによれば、

水素"1"体積 + 塩素"1"体積 → 塩化水素"2"体積

と整数比になります。しかしドルトンの原子論によれば、水素原子"1"コと塩素原子"1"コが反応して塩化水素が"2"コできるには、原子が半分に割れなければならなくなります。

 これは、

「原子がこれ以上分割できない、物質の最小単位である」

ということに矛盾します。

 そこで1811年、アメデオ・アボガドロが、

「物質は原子と原子がくっついた、分子という形で存在しているのではないか」

という「分子論」を発表して、この矛盾を見事に解決しました。

 しかし、この説は数十年間、その真価が見出されず、この考え方が科学者達に認められたのは、なんとそのまた約50年後でした。それほどに、キリスト教による原子論の追放は、科学に絶大な影響を与えていたのですね。

 そして1860年、ドイツのカールスルーエで行われた国際化学者会議において、イタリアの化学者スタニッサロ・カニッツァーロが、「分子量・原子量」の概念を説明して、この考え方が広く受け入れられるようになったのです。この会議には、ロシアのイヴァノヴィッチ・メンデレーエフも参加しており、彼が「元素の周期律」を発見するきっかけにもなりました。

 つまり、それまで科学者の間では、物質は原子と呼ばれる非常に小さい粒子で構成されている事や、その運動によって熱が発生していることに気が付いていたのかもしれません。しかし、それが正式な科学の見解となっておらず、熱力学的現象を説明するのに、そこを避けるための努力が必要だったようなのです。

 何か大きな権力や組織に忖度するため、真実の追及が捻じ曲げられ、複雑な理屈が出来上がるというのは、科学においても例外ではないのでした。

 ということで、次回は気体の分子運動論に入ります。

 

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