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『音楽は自由にする』| 読書記録

2023年3月、1人の音楽家の生涯に終止符が打たれる。いや、彼は音楽家なのか。生前に彼が残した自伝には、一人の人間が “ 坂本龍一 ” となるまでのいろいろがとてもていねいにまっすぐに綴られている。

ちょっとしたはずみで、こうして自分の人生を振り返ってみることになりました。本音を言えば、あまり気が進みません。記憶の断片を整理してひとつのストーリーにまとめる、というようなことは、本当は性に合わない。

p9|はじめに

彼の自伝はとても謙虚に(消極的に)始まる。しかしすでにそこに彼の人柄が滲み出ていて、一瞬で心を掴まれてしまった。本屋さんで、続く文章を読み、私はすぐにこの本をレジに持っていくことになる。

 でも、ぼくがどんなふうに今の坂本龍一に辿りついたのかということには、ぼくも興味があります。なんといっても、かけがえのない自分のことですから。自分がなぜこういう生を送っているのか、知りたいと思う。
 現在ぼくは、音楽を職業としています。でも、どうしてそうなったのか、自分でもよくわからない。音楽家になろうと思ってなったわけではないし、そもそも、ぼくは子どものころから、何かになるとか、何かになろうとするとか、そういうことをとても不思議に感じていました。

p9|はじめに

買ってから、ものの数日で読み切ってしまったのですが、なかでも印象的だった文章を引用しながら考えたことを読書記録としたいと思います。「p○」は、令和5年に初版が発行された、新潮文庫のページ数です。


 たとえば、今(2006年)レバノンで戦争をしていますが、戦争で肉親が死んだとします。あるレバノン人の青年が、イスラエルの空爆で愛する妹を失ってしまう。そしてその青年が、悲痛な思いを、音楽にする。でもそれは、彼が音楽にしている時点で、どうしても音楽の世界のことになってしまって、妹の死そのものからは遠ざかっていく。
 きっと文章もそうでしょう。何かを文章にする時点で、文章としての良さ、文章としての美しさ、文章としての力、そういう、文章の世界に入っていかざるを得ない。音楽もそれと同じで、妹の死に本当に悲痛な思いを持っているにもかかわらず、音楽を作っている限りにおいては、音楽という世界の問題に入っていってしまう。

p21|音楽の限界、音楽の力(1952-1969)

作曲することにとことん向き合うと、こういうことを考えるのかぁと唸ってしまった。そして、そのときまで私が抱いていたもやもやを綺麗に言語化してくれたような気もした。というのも、社会人になってから求められる文章はある種の役割や目的が乗っかっていて、それらを窮屈に思っていたことがよくあった。文章だけが独立することも、書くきっかけが独立することも、文章ときっかけが結びつき表現された瞬間、それが誰かに解釈されてしまう瞬間、それぞれの独立した何かはいろんなものが絡みついてしまう。坂本さんの書いていることを完全に理解したなんて言えないけれど、ここで書かれていることは、読まれるべきタイミングで私の前に現れてくれたように思います。

親しい人が死ぬと、いかに人間と人間は遠いか、いかに自分はその人のことを知らなかったかということを思い知らされます。生きている時は、お互い適当にしゃべったりすることもできるから、なんだか相手のことを分かったような気になっている。でも、その人が死んだとき、まったくそうでないことがわかる。いつもそうですね。僕の場合は。

p153|時代の変わり目(1970-1977)

日本が豊かになってきたころ、知人を相次いで亡くしたことへの文章。その後も、大学時代からの友人で、個人事務所を一緒に立ち上げたり、海外での映画撮影にも同行してくれたり、坂本さんが長い時間を一緒に過ごしてきた“生田くん”が自動車事故で突然亡くなった際にも、同じようなコメントが残されている。「何年も毎日一緒に過ごしてきたのに、彼が本当はどういう人間だったかということを、ぼくは知らなかった。その、人間と人間の越えられない溝の深さに、打ちのめされました。」自伝にはたくさんの人が登場しますが、坂本さんは人生の中でどれだけの出会いと別れを繰り返してきたのだろうと思わざるを得ませんでした。

もうそろそろ、坂本龍一という名刺を持ってもいいかな、とそのとき思いました。誰かのための半端仕事を続けるのではなく、「俺はここにいるぞ」ということを示すような何かを作るほうがいいんじゃないか、という気持ちになりました。

p164|ソロ・アルバム(1978-1985)

俺はここにいるぞということを示すような何か、それは俗に言う軸だとか信念だとかそういったものを包括していて、坂本さん自身の意思が感じられるところがとてもかっこいいなと思いました。応えることができてしまう方だからこそ、この何かを持っているかいないか、その後の活動において重要な分かれ目だったのではないかとも思います。

ぼくはそれまでずっと、自分はこういう方向性で生きていくんだ、と思い定めるようなことはなるべく避けていました。できるだけ可能性を残しておく方がいいと思ってもいた。でもそのときロンドンで、「この形でいいんだ」と思った。自分の進むべき方向を、そうやって自分で確かに選び取ったのは、実はそれが初めてのことだったかもしれません。

p172|そうだ、これでいいんだ(1978-1985)

YMOのワールドツアー中、ロンドン公演で自分のソロ・アルバムからの曲「ジ・エンド・オブ・エイジア」を演奏していたとき、ステージ前のダンスフロアでカップルが踊り出す。それを見ながら「こんなカッコいいカップルを踊らせているんだから」と恍惚感を覚える瞬間だった、というエピソードがなんだかカッコいいなと思わせられる一節です。進みながら、その道を自分のものにしていく坂本さんらしさが私はとても好きです。

映画というものには、何か現実と虚構の境を飛び越えてしまうようなところがあると思います。そういう強い磁力みたいなものを映画は持っていて、撮影現場で人が死んだりすることもある。「現実」とか「虚構」というのはあえて境界を設けるための言葉で、もともと現実は虚構で、虚構も現実で、境目はないんです。そういう言葉の境界を越えた本当のことが、映画には映ります。

p228|甘粕大尉の亡霊(1986-2000)

世界の映画音楽にも携わってきた坂本さん。明日公開される映画『怪物』が本当に楽しみです。観るの、なんか緊張する。

ずっと考えていることなんですが、自分ができてしまうことと、ほんとにやりたいことというのが、どうも一致しない場合が多いんです。できてしまうから作っているのか、本当に作りたいから作っているのか、その境目が、自分でもよく分からないんですね。

p273|ポップ路線(1986-2000)

何も考えないで作ったものが一番売れたり、降って沸いたようにできた曲が自分の好むものなのか分からなかったり。誰かから求められる、認められることと、自分が求めること、それらが一致することよりも、試行錯誤しながら音楽を作り続けていたことがとても重要だったんだろうなぁと思います。

考えてみると、自ら進んで始めたことなんて、たぶんあまりないんですよ。うしろ向きの人生ですよ。

p302|行きがかり上?(2001-)

300ページ読み進めた後でこの文章があることに驚き、そのことがとても面白いなぁと思ってしまいました。うまく言えないけれど、何かをすることへの大義名分や志は、あとからついてきてもいいよなぁと思わされました(もちろん、必ずしもそうではないのですが)。音楽家になろうと思っていたわけではない、そんな坂本さんの人生は、気づけば音楽の道を歩んでいた、そして切り開いていた、そんな感じ。でもやっぱり、坂本さんは流れるままに生きていたというより、きっと人を集め動かすエネルギーを持っていて、自分の人生をしっかりコントロールしていた人だと私は思う。そしてそのさっぱりとした生き様がとてもかっこいいなぁと思うのである。

 人々が57年間、ぼくに与えてくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えている。それを考えるときいつも、一人の人間が生きていくということは、なぜこんなにも大変なことになるのかと、光さえ届かない漆黒の宇宙の広大さを覗き見ているような、不思議な気持ちにとらえられる。
 同時に、自分はなぜこの時代の、この日本と呼ばれる土地に生まれたのか、そこになんらかの意味があるのか、ないのか、単なる偶然なのか。子どものころからそんな問いが頭をかけめぐることがあるが、もちろん明解な答えに出くわしたことはない。死ぬまでこんなことを問うのか、それとも死ぬ前にはそんな問いさえ消えていってしまうのか。

p322|あとがき

坂本さんの、こうした自分の人生の捉え方、問いの持ち方がとても好きだ。謙虚で、感謝の気持ちを忘れず、考えた先で満足しない。そんな人が作る音楽が、世界中で誰かの耳に届いていることに希望を感じる。

坂本さんの葬儀では、最後に「坂本が好んだ一節をご紹介します」として、「Ars longa,vita brevis. 芸術は長く、人生は短し」とラテン語の言葉が添えられたそうです。坂本さんが残してくれた芸術は、きっとたくさんの人の胸の中で生き続けるのだろうな、と思います。

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