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カードの位置 @リストラーズ 

女性の多いリストラーズ推し界隈で タロットカードの話をするのは 少し
気が引ける。
本当のさわりだけなので 詳しい話は専門のかたにお任せしたい。

ざっくりの見方なのだが タロットに限らず、占い全般や自分を知るための
性格診断などの人気には 女性の特徴のひとつが表れているように思う。
 
男性のことは分からないが 女性の場合 小学生のころには もうその方面に
興味を持たれるかたが多いのではないだろうか。

 
今日の運勢  本日のラッキーカラー  幸運を呼ぶアイテムなどなど。
なぜなのか考えた場合、ひとつには見えない未来に いいものを引き寄せたいという願望。

もうひとつは
ひとはコミュニケーションの生き物だ ということなのではと思って
いる。

 
会社であっても 個人で仕事をしていても ロビンソン・クルーソーばりに
本当のひとりきりにはならない。

もし 引きこもりのような生活であっても 電気を使ったインターネットを
世界の向こう側につなぐ。

食べ物や必要なものを手に入れ、トイレに行けば水も使う。

つまり 電気も水もインターネットも 遠いところからとはいえ 誰かのお世話になっているわけだ。
究極のひとりきりというのは 現代社会では手に入らないということになる。

 

そこには 何らかのコミュニケーションがあって、そこから完全に逃れることはできない。


 
リストラーズという 6人のグループ。
一見 無個性に見せかけた スーツとメガネのおじさま集団。

この バラバラ感!と 一体感! 笑わずに鑑賞できたことは一度もない。
見どころが ありすぎます ♡ 


しかし ファンならずとも 動画をみているうちに それぞれの個性と得意技が全く違うことが分かってくる。

それに気づくと
彼らの学生時代から数えれば 20年以上の交流のなかで ぶつかり合いや
言い争いはなかったのだろうかと考えることがある。

夕陽をバックに殴り合い!

などという あまりに昭和なマンガの世界はともかく アイデアや個性的な
創造力  鋭い感性  それを支える技術力がなくては とうてい今のような魅力的なコンテンツ作りにはつながらない。


つまり そこには ぶつかり合いがありそうな気がするのだ。


しかし 決裂まではいっていない。
では いったい どんな秘訣、秘密があるのか 少し想像してみたくなった。

 
もしかすると ごく簡単な解答に過ぎず、企業人としての人生で培ったもの
からなのかもしれない。
江戸時代からありそうな「お城勤め」を生き抜く方法なども 身につけていらっしゃる可能性もある。



ところで
数年前に 「嫌われる勇気」という書籍が流行っていた。
たしかドラマもあったかと思う。
今回は この書籍の「嫌われる自由だってある」という部分に絞って考えて
みる。

 
日本人にとっては 大きな課題でもある
「同調圧力の強さ」

周りの みんなから好かれたい 嫌われたくないという気持ち
「承認欲求の強さ」

両方の部分で 参考になり 生きることが楽になったかたもいらっしゃると
思う。
 
 
ただ 本当にこれが まるっと正解なのかというのは筆者としては 疑問が
残っている。

アドラー自身にではなく この対話形式の書籍の掘り下げが 分かりやすさ
シンプルさを意識なさったのか 少し浅いように思えたのだ。

 
「嫌われたっていいのさ」と 振り切ってしまうのはいいのだが、実際
すべてをこれで解決すると 会社でも 趣味のグループでもなじめず、結果
自分が外に出ることになる。

 
しかし
コミュニケーションの生き物である人間が これに徹しすぎると 自分の成長も  周りを含む世界の成長も鈍化してしまう。

それでは 大きな意味で 「嫌われる」し、「承認されない」生き方になり
余計に苦しくなるのではないだろうか。

 
リストラーズで言えば メンバーの誰かひとりが
「嫌われたっていい」と飛び出せば、もう リストラーズではなくなるほどの破壊力につながる。

 
なぜ リストラーズは この空中分解を これまで防げているのか。
想像だけ 妄想だけとお断りして、この先を続けてみる。

 
これが 最初のタロットカードにつながる話になる。


淡い知識しかないのだが
タロットカードを読むとき 「正位置」「逆位置」と言って 上下が正しい
絵柄に見える位置と それを上、下、逆さに見える状態で出てきた場合では 読み取りかたや解釈が 真逆になるようだ。

 
ひとの性格や ひとの評価や見え方は、これに少し似ている。


たとえば
結婚前は 何でも訊いてきてくれて 「かわいいな」と思っていた彼女と結婚したあと 「自分で判断さえできないのか」 という批判に変わる。
 
いっぽう彼女のほうは
「いつも脱ぎっぱなしで わたしがいなきゃダメなのね」と世話を焼くことが嬉しかったはずが、やがて「どうして靴下くらいは洗濯機に入れないの!」と変化する。

 
実際に起こっている事実  相手の態度は全く同じなのに 「あるある」なのは何故だろうか?


意外とお互い相手の行動は ほぼ一定に近くて、自分の見方のほうが変わっただけということではないだろうか。

 
つまり
どこを見るかということより 「どちら側から 見るのか」が重要ではないかという話になる。

 
メンバーの中で 特に誰とは言わないが

「ここだけは こだわりたい」 「おおざっぱでも大丈夫」
「なんでもやってみるのが一番」 「やるなら きちんとやろうよ」

「まず 形にしたらいいんじゃないの」「時間かかるけど試してみるか」
「たのしいことが一番 成功しやすいんだよな」 など 考え方はバラバラ。
 

これらの考え方、ものの見方を 真逆側から見た場合、全く違う人物像に
なる。


正位置で見た場合と 逆位置で見た場合が
全くちがう意味になるのと 似ていないだろうか。


この真逆の見方を 自分の心のなかで コントロールできて 身に着けられたら 争いごとが減りそうだ。
仕事でも 家庭でも ご近所付き合いでも こちらの視点を変えてみるだけだから お金もかからない。 
すこしずつ 擦り合わせる練習が必要だとは思うが。


ともあれ
決められたパートの役割分担と ハーモニーを合わせるという 両面からの
学び、いちばん大切なものを 身に着けられた結果が リストラーズの長期
存続ということなのだろう。

真実は全く分からないし想像世界のお話。

 
筆者は 女性のひとりでもあるから 充分に物見高い。

もし 魔法の鏡があったら 覗いてみたいし
もしタイムリープできたら 聞いてみたい会話は 山盛りある。
 
が、今のところ そんな魔法は使えない。
 
今日も あれこれ空想と想像と 妄想の世界でだけ、コミュニケーションしたつもりになっておくだけ。


<    いつかホントに話せるときって来るのかな
                                    それとも ずっーと 空想なのかな    >

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