公立学校現場というディストピア

 来る3月下旬、私の元にあるレターパックが届いた。差出元は教育委員会。ということは中身はつまり──教員免許状である。
 
これで晴れて有資格者の仲間入りだ。とはいってもそんなに価値のあるものでもない。別に難関の筆記試験を突破したりしなくても、少し無理をして時間割を詰め込み、講義の単位を取って実習を完遂すれば誰でも手に入る資格である(そもそも、私にできる程度の努力は努力ではない)。言い方は悪いが、かなりお粗末なレベルの大学でもそれらをこなせば最終的に得られるのは同じ資格なのだ。であるからして、教員免許というものに特段希少価値があるわけもなく、せいぜい四大卒で携帯ショップの販売員にしかなれないような事態を防ぐための保険だとか、4年間頑張ったで賞としてしか機能しない。
 とはいえまあその保険としてはそこそこに役立つようで、私は今月から私立中高非常勤講師(社会・地歴公民科)として教壇に立つことになった。通信制大学の学生をやりながら大学院に進学するまでのつなぎとして働くくらいならちょうどいい塩梅かもしれない。
 とりあえず、免許をもらう前に余計なことを喋って取得取消を食らうとかそういうことはなくなったので、ここからは今まで詳細を伏せてきた、私の教育実習の話をしよう。守秘義務もあるので全てを伝えることはできないが、可能な限り多くの情報を記せるよう努力したい。

 私が実習に参加したのは去年の秋、そして場所は地元ではあるが母校ではない公立中学校である。実はもともと私は高校倫理科で実習希望を出していて、依頼をするところまではこぎつけたのだが、倫理というのがいかんせんマイナーな科目であったせいで受け入れ枠がないと断られてしまったのだ。結果、大急ぎで当初予定していなかった中学校での実習に切り替える羽目になり、母校に電話したら「うちはもう枠がいっぱいで無理なので、市内の他校の教務主任に共有して受け入れ可否を確認してみる」とのことで、すんでのところで実習校が受け入れを承諾してくれたために首の皮一枚繋がったのだった。
 そして迎えた実習期間、はじめの1週間というのは実習生らしいことはあまりしない。というのも、実習生に最初から授業をする力量があるはずがないので、しばらくは指導教諭の授業を中心にひたすら参観するだけなのである。指導教諭には教科指導と学級経営で1人ずつ、計2人が配置されており、退勤時には片方だけではなく、両名に挨拶をしないと出られない(つまり、どちらかが会議や部活の顧問などで職員室に不在の場合は、両名が揃うまで待たねばならない。これだけで完全下校時刻から軽く1、2時間は過ぎる)のがいささか面倒な以外は比較的ストレスもなく勤務していたものの、1週目末の退勤時に指導教諭が発した一言に私は耳を疑うことになる。

「来週からはこんな早く帰れると思わんほうがいいで笑笑」

 この日の退勤時刻は19時半前後だったはずだが、出勤が朝の8時すぎなのですでに11時間ほどは学校にいることになるのに、これで「早く帰れる」とはいったい何事か。しかしながら、非常に嘆かわしいことにこの発言は紛れもない事実であった
 次の週から自分が担当する授業が始まった。まあ、他の実習生も同じだと思うが、最初はダメ出しのオンパレードである。そもそも3週間でまともな授業ができるようになれというのはかなり無理のある話であって、こちらも力量不足は承知の上だ。生徒役の大学生相手に模擬授業をして得た経験値なんぞ現場ではほとんど通用しないのだから。
 問題はそこではなく、もっと別のところにある。公立学校という現場を地獄たらしめているのは、国の横暴であり、またそれらに従順な現場の教員でもある。

 アクティブ・ラーニングという言葉が氾濫している。20年ほど前にはすでに登場しつつあった概念であるからもはや最近言われだしたことでは全くないのだが、簡単に言えば「生徒の主体的な学びを引き出せて対話的な授業をやりなさい」ということで、要するに「教員→生徒の一方向的な講義形式の授業はやめろ」と言っているのである。
 そう言われると、教員らはペアワークやグループワークをやたらめったらさせたがる。そして、話し合いの多い授業が研究授業などで評価されがちになる。しかし、話し合いをさせた結果生徒が意欲的に学習に取り組んでいるかと問われれば「否」と言わざるをえない。教員側でペアやグループを指定したら苦手な者同士が組まされることは当然あり、沈黙しか生まれないこともざらである(それを知ってか知らずか教員がそのような生徒を見つけると目くじらを立てて注意するのも珍しい話ではない)。逆に仲良し同士でやらせたら授業と関係のないことをくっちゃべっていたりする。これのどこが「生徒の主体的な学び」なのだろうか
 第一、講義形式であっても生徒が頭を働かせて授業を受けていたらアクティブなことには違いないのであって、対話的である必要はどこにもないのだ。話し合い学習に割いていられる時間は本来各単元のまとめの1コマ程度のもので、必要最低限の知識も伝えず、材料もなしに料理をさせようとするほうがどうかしているだろう手段と目的の逆転も甚だしい。そういう教員にとって大事なのは授業の質そのものではなく、「やることやってます感」なのである。
 また、「ICTの導入」が口癖の教員もいる。雑にまとめれば「タブレット使え」ということであるが、半ば脅し文句である。聞いたところによると、最近の教採では模擬授業でタブレットを使わないだけで落とされるらしい。また教育委員会のお偉方が授業を見に来た時には、タブレットを使わずに授業をすると「タブレットを使っている場面が少なかったです。年に最低〇〇時間はタブレットを使ってください」などとお叱りを受けるとのことである。ヤクザか何か? まあ大学の教科教育法の模擬授業でもパワポ必須は珍しいことではなかったが、これに比べるとパワポぐらいならまだかわいいものかもしれない(そもそも、そんなにICTICTと声高に叫ぶのならば、まず履歴書の手書き強制をやめろ。アナログとデジタルの2択では常に後者を優先すべきだというなら、一般企業がワープロ打ちどころかホームページ上に設置したフォームでESを提出させて採用選考をするのがごく当たり前になってきている現在において、教育現場に蔓延るこの文化は悪以外の何物でもない。この矛盾が解消されない限り、今非常勤講師の身である私も将来教諭という道を選ぶことはないだろう)。
 
私は同世代の中では珍しく、古典的な板書形式を好む(パワポくらいは必要に応じて使うが)ので、このような風潮に忖度しながら授業をするのが正直苦痛なことこの上なかった。かといって、やらなかったらやらなかったで時代の流れに合わせようとしない怠惰だと袋叩きにされるのだからたまったものではない。そのくせ、不慣れなりに時間をかけて考えた授業はその日の夜にボロカスに言われて作り直すことになるわけで、帰るころには満身創痍、帰ってからも深夜2、3時まで実家のまともに動かない10年落ちのパソコンと睨めっこ、ひと段落ついて3時間ほど寝たらもう翌日の出勤で、ストレスのあまり週末には学校の目と鼻の先にあるドラッグストアで買った咳止めシロップを瓶単位で飲み干している有様であった。実習期間中に連日ODしながら途中で投げ出さなかった実習生というのはおそらくそこまで多くはないのではなかろうか。
 毎日こんなことを繰り返しているものだから、退勤時間は必然的に遅くなる。
生徒の相手をしている間はてんてこ舞いではあるものの彼らの活力に触れて元気をもらうこともあるので割と早く過ぎるのだが、完全下校時刻を迎える前とその後で時間の流れの早さがまるで違う。それでいて指導案の添削をしてもらおうにも指導教諭は職員室の外にいたりでなかなか捕まらないので尚更である。


この世に終バスがなくなり指導教諭に車で実家まで送ってもらうことになる教育実習があるとは思わなかった

 見て驚くなかれ。これは実習中最も遅くに学校を出た日の退勤時刻である。出勤が8時5分あたりだったはずなので、実働は脅威の14時間(実習生なのでもちろん無給)。ついでに言うとこんな日が3日もあった。これが学校教員のスタンダードなのだとしたら狂っている。まあこの日も出たとき確か職員室に半分ほどの教員が残っていたので、彼らにとっては大して不思議なことではないのだろう。公立学校という現場は実に悲惨で、こんなことを好き好んでやっている連中はただやりがいという餌に踊らされている犬ではないかと疑ってしまうが、流石に彼らもそこまで馬鹿ではなく、自分たちの労働量に見合った対価は全く得られていないブラックであること、その元凶が国であることについては理解しているようであった。しかしこの明らかに常軌を逸した現状に抗議しようと行動を起こすところまではしないあたりが極めて病的であるという理解はさして間違っていないように思われる。
 そのような環境のもとでは感覚が麻痺するのも避けられないようで、彼らの態度には時折、教育職は別にそれだけではない(実際私は児童館の学童保育でバイトをしていたわけであるし)にも関わらず、教員こそ至上だとするような傲慢さ("やりがい"による洗脳)が滲み出ていることがある。ぶっちゃけた話そんなんだから社会にネグレクトされるのではないのかと思わないこともないが、彼らだけの責任ではないことは確かである。そもそも教育実習というのは実習校側の厚意があって実施されるものであって、それによって現職教員に手当が発生したりもともとの校務分掌が減ったりするわけではないので彼らにとってはほとんどの場合手間でしかない。はっきり言って実習生という存在は仕事の邪魔なのだ。
 公立中学校の月平均残業時間がいったいどれほどのものかご存じだろうか。答えは100時間超(実際にはいくらか超過手当は出るものの、給特法とかいう諸悪の根源のせいで一般企業と同列には語れない。詳しく話すとややこしいので気になったら調べてみてほしい)。そんな職場で誰が働きたいと思うのだろうか。すなわち、若者の教員離れというのは起こるべくして起こった現象なのだ。そして、常勤講師と呼ばれる、教採にまだ合格していない免許所持者をフルタイムの1年契約で雇い、教諭と大差ない校務分掌、担任業務を任せたうえで年度末に使い捨てたりしている。採用からしばらくの間こそ教諭と大差ない給与であり昇給もあるが、一定の雇用年数を超えたらその昇給も止まる。非常勤講師はさらに薄給ではあるが、週に2~3日、校務分掌も担任も会議もなく授業の時間だけ出勤すれば問題ないため労働時間あたりの報酬という点では彼らよりはいくらか救われている。教採に受からない程度の人材と非常勤をかき集めてまで回さないといけないほど人が足りていないのが今の学校現場なのだ。

 それでも教員という仕事を選ぶのか憧れとやりがいだけで働ける段階は、もうとうの昔に通り越している

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