「成功」ではなく「充足」していたい
起業して14年。
最初はずっと「成功」を目指して頑張ってきました。
今も、自分を成長させたい気持ちは変わりません。
しかし最近、「成功」という言葉に違和感を感じるようになってきたのです。
「成功」って、なんだろう?
そもそも自分は「成功」したいのだろうか?
「成功」の先で、本当に「幸せ」が待ってくれているんだろうか?
そんな思いから、今日のnoteを書きます。↓
成功と充足の違い
成功は「他社基準」
「成功」とは、コトバの意味辞典によると、以下のような意味だそうです。
「社会的地位・名声・富などを得る」ということは、「他人に評価されている」ということになります。
別の言葉で言えば、「成功者=周囲に"あの人は成功者だ"と思われている人」とも言えるでしょう。
つまり、「成功は、他社基準である」ということです。
逆に、何の功績もない(誰にも認められていない)のに、「私は成功者です」と言う人がいたら、ちょっと変な感じがしますよね。笑
充足は「自分基準」
「充足」とは、コトバの意味辞典によると、以下のような意味だそうです。
充足の根底には「満たされている」という感覚があることが分かります。
あくまで、「自分が満たされているか」にフォーカスしているわけです。
誰かが「私は充足しています」と言っても、特に変な感じはしないですよね。
つまり、「充足は、自分基準である」ということです。
逆に、他人が「あなたは充足しています」と断定してきたら、それはそれで変な感じがしますよね。笑
成功=充足、ではない
世の中には、いわゆる「成功者」と呼ばれる人たちがいます。
大金を稼いでいる
仕事も上手くいっている
高級タワーマンションに住んでいる
周りに慕われている
しかし、そういった成功を成し遂げても、「充足していない」人もいます。
心理学では、「本来の自分を失っている人」という意味で、「擬似自己」という言葉があります。
こう見られたい、こう思われたい、といういわば「偽りの自分」を作ることで、成功者を目指そうとする。
しかし、疑似自己は、満たされることがありません。
もっと!もっと!と求め続けます。
これをブッダは、次のように言っています。
世間が作り上げた「成功者」といイメージを追い求めても、自分自身は満たされません。
これは、私自身も経験したことがあります。詳しくは以下のnoteに書いておりますので、興味がある方はぜひお読みください。
これは、「成功を目指すな(成長するな)」という意味ではありません。
後述の通り、お金を稼いだり、仕事に邁進したりといった欲は、使い方次第で自分も周りも幸せにできます。
世間が作り上げた、存在しない「成功者」を目指して、自分を見失わないで、という意味です。
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一方、(言葉がアレかもしれず恐縮ですが)一般的には「成功者」とは思われていないのに、充足している人もたくさんいます。
例えば、フィジーの人々。
フィジーは、世界幸福度ランキングで第1位になっていますが、平均月収は3万円程度だそうです。
フィジーの人々は「家族がいて、一緒に笑っていれば、それで幸せ」。
雨が降っても、大の大人が大声で歌いながら上半身裸で歩いていたり。
洪水が起きても、サーフィンをして楽しんでしまったり。
こういったことをふまえると、「成功した先に、充足があるわけではない」ことが分かります。
充足(ワクワク感)を追っていこう
私は、「充足(ワクワク感)をつないでいった先に、(その人の)成功がある」と感じています。
例えば、スティーブ・ジョブズ。
ジョブズは、大学生のときに「カリグラフィー(文字をきれいに装飾する技法)」に興味を持ちました。
このカリグラフィーへの熱中が、後に、AppleのiMacに搭載される、数々のきれいなフォントを生んだ、と言われています。
またジョブズは、禅が大好きだったことでも有名です。
禅から学んだ「シンプル」が体現されたのが、無駄のないiPhoneであり、Appleの数々のヒット商品たちなのです。
このように、「ワクワクするものを追い求めることで、それらが自然とつながっている」ことが分かります。
これをジョブズは、次のような言葉で語っています。
一見まったく関連のない点たちが、「充足感」という線で結ばれて、その人の人生を導いてくれている。
私は、そのように感じます。
結局、人生というのは、「今」の積み重ねです。
どこにあるのか分からない「成功」を目指して、今を疎かにすると、「いつか成功すれば充足できる…」と、いつまでも幸せをお預けすることになります。
逆に、今が充足感に満たされていれば、人生を終えた時には、人生全体が充足しているでしょう。
私の例
私の例で言えば、私は読書が大好きです。
カフェで本を読んでいる時間が、至福のときです。
この読書で得た数々の知識が、自分自身の仕事につながっていたり、セミナーの内容をより深めてくれたりしています。
また、筋トレは、「今ここに集中する」大切さを学ばせてもらっています。
これは、後述の「禅」の考え方にもつながっていきます。
そして、私が大好きな「禅・仏教」。
この東洋的な考え方が、自分の仕事を変革してくれました。
そして今は、禅・仏教を仕事に活かす方法を、セミナーやこのnoteでもお伝えしています。
◇
このように、他人が見ると一見関連のないこれらの要素ですが、私にとっては「充足感のかたまり」なのです。
そして、これらの点が繋がって、私の人生を形作ってくれている。
言い過ぎかもしれませんが、こうやって充足感を追っていくことで、自分自身の使命を果たせている感覚もあります。
「充足=足るを知る」これは、欲を捨てることではない
仏教には、「足るを知る」という考え方があります。
これだけ聞くと、「少ないもので満足して、質素に暮らしましょう、ってことですね」と受け取る方もいらっしゃると思います。
もちそん、そういう生き方も素敵だと思います。
しかし、仏教の中のいち宗派である「密教(みっきょう)」では、欲を否定せず、おおいに認めているのです。
密教では、「小欲を捨て、大欲に立て」と言われています。
小欲:自分だけが幸せになれば良い、という欲。自分の幸せのために誰かを犠牲にする欲。
大欲:誰もが幸せになる欲。共に豊かになっていく欲。
例えば、「このケーキ、超美味しい!これは俺だけのものだ!誰にも渡さねぇ!」は小欲です。
一方、「このケーキ、超美味しい!皆で一緒に食べようよ!なんなら俺、もっと作るよ!」は大欲です。
大欲を通じて、周りに貢献していく。
周りに貢献する欲なら、どんどんやっちゃいなよ!というのが、密教の教えなのです。
自己犠牲ではなく、自利利他
貢献(他人を幸せにする)と聞くと、自己犠牲がイメージされてしまうことがありますが、そうではありません。
なぜなら大欲は、前述の通り、「誰もが幸せになる欲」だからです。
つまり、他人はもちろん、自分自身(つまり、あなた)も幸せである、ということ。
そのためには、「好きなことで周りに貢献する」のが一番です。
この大欲を追っていくと、自然と充足感に満たされていきます。
なぜなら、自分がやりたいことをしながら、周りも喜んでくれているからです。
そしてこれが、幸せにつながっていきます。
実際、アドラー心理学で有名なアルフレッド・アドラーも、次のように話しています。
大欲を満たすことは、自利利他につながります。
自分のコップが幸せに満たされ、それが自然と周りにも広がり、他者も幸せにしていく。
そのためにも、私はこれからも「好きなことを仕事にする」を実践していきます。
ちなみ、「好きなことを仕事にする方法」は、以下でも解説していますので、ご興味あればお読みください。
まとめ
それでは、今日の内容をまとめます。
成功は「他社基準」、充足は「自分基準」
世の中の、平均化された成功基準に振り回されず、自分の充足感をヒントに生きよう。
充足を追った先に、自分の成功・幸せがある
一見関連のない点は、充足感という線で結ばれ、あなたの人生を導いてくれている。
大欲を持ち、好きなことで貢献する
欲は、生きるエネルギー。捨て去る必要はなく、その欲すら活かしていく。
私自身、起業して14年目となりました。
おかげさまで、起業した頃と比べて収入も増えましたし、仕事も順調に行っています。
でも、「成功したか?」と問われると、よく分かりません。
成功ってなんだろう?という感覚です。笑
誰かは、私を見て「成功者」と言ってくれるかもしれない(ありがとうございます!)。
誰かは、私を見て「失敗者」と言うかもしれない。
でも、それは他人が決めたこと。
私の本質には、何も関係ない。
自信を持って言えるのは、「今の私は、すごく充足しています」ということ。
自分に分かるのはこれだけだし、これだけでいい。
朝2時に起きて、静かな自宅の書斎で仕事して。
ジムに行って、筋トレして、妻が作ってくれた大豆玄米オニギリを食べて。
朝7時にスタバに着いて、ディカフェコーヒー飲みながら仕事して。
午前中に仕事を終わらせて、午後はカフェで大好きな本を読んで。
土日は、息子たちとポケモンカードやサッカーをやって。
これからも私は、充足感を追って生きていきます。
それが、私も周りも幸せにすると確信しているから。
今日のこのnoteが、あなたの気づきにつながったら、とても嬉しいです^^