【自己紹介】年商10億を諦めてステイスモールしたら、幸せだった話
2010年4月。
私は、大学卒業と同時に起業しました。
起業当時の私の目標は、「年商10億!社員100人!」。
会社は大きくするもの、売上は上げ続けるべきもの。
周りの先輩社長たちも、上場を目指すような熱い方が多かったので、「会社=大きくすべきもの」という考え方を、信じて疑いませんでした。
しかしある時、自分の幸せは、拡大ではないと気づきました。
もちろん、拡大することが使命で、心から充実感を感じてやっている人もいます。
でも私は、そうではなかったのです。
なぜ私は、年商10億を目指してしまったのか?
そこには、幼い頃の、とある体験が影響していました。
原体験とは?
あなたは、「原体験(げんたいけん)」という言葉を、ご存知でしょうか?
実は、この原体験が、私が年商10億を目指してしまった原因だったのです。
以下に、私の原体験をシェアさせていただきます。
(大林の原体験)いい子にならなきゃ…!
私は5歳くらいのころ、川崎病にかかりました。
川崎病は、全身の血管の炎症によって引き起こされる病気です。
主に、乳幼児に多い病気で、1000人に対して3人の割合で発症するそうです。
発症数は年々増加しており、具体的な原因はまだ分かっていません。
この病気の怖いところは、子供なのに心筋梗塞を引き起こし、命を落とす可能性があるということ。
血管がボロボロになり、つまってしまうのです。
私の場合は、母が早めに気づいてくれたので、早期に治療でき、命にかかわるほどではありませんでした。(母には、本当に感謝しています)
ただ、入院は必要でした。
この入院が、本当につらかった。
喉が痛くて、何も食べられないのです。
点滴が嫌で、病院から逃げ出そうとしたこともありました。
入院中、いつも母がそばに居てくれるわけではありません。
荷物を取りに家に帰ったり、病院の面会時間の関係ですぐ会えなかったりで、会えない時間もありました。
私は、心細かった。
ママに会いたい、そばにいてほしい。
これは後日、祖母に聞いた話なのですが、夜中に、点滴をガラガラ引きずりながら、病院の公衆電話に歩いて行って、自宅に電話をかけていたのだそうです。
今でも、病院の暗くて緑がかった廊下を覚えています。
それくらい当時の私は、心細く、その記憶が深く刻まれたのだと思います。
こんな経験があり、子供の頃の私は、こう思ってしまったのです
病気になんかかかる、悪い子だから、こんな目にあったんだ。
もっといい子になろう。いい子なら、母のそばにいられる。
大人から見たら、筋が通っていない、よく分からない考えですよね。
でも、子供の時の自分にとっては、変な思い込みだとしても、それが真実でした。
「もっといい子になる人生」の始まり。
そこから私の、「もっといい子になる人生」が始まったのです。
部活も勉強もそつなくこなし、文武両道
成績も良かったので、大学も指定校推薦で、入試もパスして入学
会社に勤務することもなく、大学卒業後すぐに起業
10年で9割以上が廃業すると言われる中、曲がりなりにも14年目
表向きには、とても良い子。
しかし、心のどこかで、「いい子にならないと愛されない」と思い込んでいる。
そんな、評価ばかり気にしていた子供でした。
結局、起業当初の年商10億!社員100名!という目標は、私が思い描く「いい子」の成れの果てだったのです。
起業して数年間は、この思い込みに気づかず、脇目も振らずに、全力疾走していました。
しかし、ふとしたキッカケで受けた心理カウンセリングで、この原体験に気づけたのです。
結果、私は、いい子になるレースから降りることができました。
そして、心から納得して「小さな会社でいよう」と選択できました。
いい子になった先に幸せがあるんじゃない、と気づけたのです。
親になって、やっと気づけたこと
私自身、今は、3人の息子に恵まれています。
親になってやっと気づけたのですが、親は、子供が笑って毎日過ごしてくれていれば、それだけでもう、幸せなんですよね。
テストの数字や、文武両道できてるか?どんな仕事をしているか?なんて関係ない。
ただただ、子供を愛している。
自分が親になって、この感覚がやっと掴めました。
つまり、私の父も母も、私がいい子になることなんて、何も望んでいなかったのです。
ただただ、私が笑顔で過ごしていれば、それでよかった。
この気づきがあって、私は、大きな会社になることを手放し、「小さな会社(ステイスモール)であろう」と決意できました。
ちなみにこれは、妻も同じでした。
私が目標に疲れ果て、妻に相談した時。
妻は、「こうすけが、好きなことして笑っててくれたら、それで幸せだなぁ」と言ってくれたのです。
この一言で、涙が溢れました。
ああ、数字とか、会社の規模を気にしていたのは、自分だけだったんだな(笑)と、やっと気づけました。
結局、自分のエゴを満たすためだけに、規模の拡大を目指していたんだな、と。
このタイミングで気づけて、本当に良かったです。
足るを知る者は富む
今思えば、「なぜ10億という数字を目指していたのか?」も分かりません。
今、10億稼いで何をしたいのか?と聞かれても、何も出てこないんですね。笑
結局、いい子を証明するための道具に過ぎなかった、というわけです。
(そんな証明、する必要もないのに。)
そして、人間の欲は終わりがないので、きっと10億を達成していたとしても、「まだ足りない、もっともっと!」と、キリがなかったでしょう。
「足るを知る者は富む」という言葉がありますが、まさにそのとおりです。
自分のサイズを知り、そこに幸せを見出す。
これは、ネガティブな意味での「諦める」とは違います。
諦めるは、もともと仏教の言葉で、本来は「明らかにする」という意味があります。
Give up(ギブアップ:諦める)ではなく、clarify(クラリファイ:明らかにする)、なのです。
自分のサイズが明らかになったことで、大きな会社になる目標を手放し、小さな会社でいよう(ステイスモールで在ろう)と決意できました。
今の私の会社は、私を含め、メンバーは5人。
そのほとんどが、在宅で働いてくれています。
私は、この規模でいい。
いや、この規模がいい。
今は、この小さな会社で在れることが、本当に幸せです。
放せば手に満てり
禅語に「放せば手に満てり」という言葉があります。
「手放せば、すでに満たされていることに気づける」みたいな意味ですが、私もまさにそうでした。
売上をどんどん増やして、お金を手に入れれば、もっといい子になれて、幸せになれる。
そう思っていましたが、これを手放したら、十分なお金と時間があることに気づけましたし、家族がいることの有り難さを今まで以上に感じられるようになりました。
まさに、放せば手に満てり、だったのです。
まとめ
こんな紆余曲折を経て、私は、年商10億を諦め、小さい会社でいられるようになりました。
このお話は、拡大思考を否定するものではありません。
拡大することが使命で、そこに心から喜びを感じられる人も、きっといるはずです。
そういう人は、ぜひ拡大を目指してほしい。
きっとその先に、幸せが待っているはずです。
でも、私の場合は、そうではありませんでした。
「良い悪い」ではなく「合うか?合わないか?」の話です。
私の場合は、今の会社のサイズが、ちょうどいいのです。
人それぞれ、体格も正確も価値観も違うように、会社も、十人十色です。
その会社に合うサイズが、必ずあります。
だからこそ、あなたにも、「諦める」をポジティブに捉えてほしい。
そして、今あなたが(もしかしたら)執着しているものを諦める(手放す)ことで、あなたらしく成長し生きてほしい。
そんな願いをこめて、このnoteを書かせて頂きました。
あなたが、執着を手放し、軽くなり、心の平安と自由に満ちた毎日を過ごせることを、心から願っております。
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以下、私の簡単なプロフィールです↓
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大林亨輔(おおばやし こうすけ)
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【趣味】
・筋トレ:高校時代から継続中。本記事の執筆時点で、20年継続。
・読書:年間150冊ほど。ビジネス書を中心に、最近は禅・仏教的な考え方も好き。
・ディズニー:大学時代は、ディズニーランドのキャプテンフックス・ギャレーというピザ屋さんでキャストやってました。
【誕生日】
1987年5月9日
【経歴】
2006年3月:千葉県立東葛飾高等学校 卒業
2010年3月:早稲田大学 理工学部 機械工学科 卒業
2010年4月:大学卒業後、起業
【家族構成:本記事の執筆時点】
・妻:3歳年上
・長男:小学2年生(サッカー、ポケモンカードが大好き)
・次男:年長さん(戦隊モノが大好き)
・三男:2歳(ゴリラが大好き)
【夢・Wish List】
・本を出し、「禅の考え方を、ビジネスに活かす方法」を伝えること。
・5年後も10年後も、妻とずっと手を繋いで歩くこと。