サイコパスの友情2

私の幼馴染には他人の感情が理解出来ない。
いや、結局のところ人間がアウトプットしてるものは全て主観なのではないだろうか。うん、そうだ。主観だ。
動物と比べてよう。
ほとんどの動物の行動は本能によるもの。そうか。
そしてそこに少しだけ解釈が加わり変化を起こすものが理性。
理性が強く働くのが人間。その理性を操る為に用いるのが言葉。
その言葉を操れるのが人間。
昔見た研究でゴリラが人の言葉を理解し、ゴリラが機械を使って人間と意思疎通してるものがあって、その中にゴリラが「他者の死」を理解し「悲しむ」というものがあった。
私はそれを見た当初、動物にも心があるんだなぁと安直に情報を処理していたが、改めて考えて見るとその感情と言うものも結局のところ自分の目の前にある出来事を理解しそれに反応していることへの反応(アウトプット)であって、ほとんどの動物が持つ「怒り」と言う本能的な感情とは少し違う高次の「悲しみを理解する」と言うことなんだなと。
この動物実験ではゴリラが言葉を理解できるかと言うのが焦点であったので、他の個体の感情に対する反応などと言う複雑な実験はされていなかったが。
じゃあ人間はどうか?
回りくどくなってしまったが、話を幼馴染に戻すと
先にも言った様に私の幼馴染には他人と共感する能力がほぼ無い。
俗に言うサイコパスと言われる人達や、一部の発達障害の方達に見られる症状(とは呼びたくないが)と非常に似ている。
しかしそれが前者なのか後者なのか、それとも先天的なのか後天的なのかすらも彼の幼稚園時代のホームビデオを見ていて混乱する。
当時3歳の私も写っているお遊戯会のダンスの場面で
みんなが上手に周りに合わせて踊っている中、ただ一人だけ飛び跳ねて異質な行動をしている彼が写っていた。
彼はそれを見ながら「俺ってやっぱり主張が強いよね」と言いながら笑っていた。これははどっちの、どっちなんだろうか?
しかし彼は今普通に接客業をやっている。しかももうすぐ社長だ。
高校も進学校に進み、過酷な部活と勉強を両立させ大学院まで進んで遊び呆けていざ経営者になろうとしている。
恐らく、彼の代で潰れるだろう。彼には見えて無くても私には良く見える。
統計的に3代目がよく潰すと言う要因も有るが
そもそもが黙ってても代々社長なので人の下に就くと言う事が無く非常にプライドが高くて承認欲求が強い。
「あの人は〇〇出身だから」などと言う差別用語もよくする。そしてこのご時世に紛うことなきなき男尊女卑。
建前と本音が分からないので(言いにくかった)本音を直接言われるとキレる。
金遣いが荒く人に媚びることはプライドが許さず、逆に恩義せがましく接し傲慢でめんどくさい事極まりない。
こんなヤツはやがて自然淘汰される。
だが不思議な事にこんなめんどくさいヤツでも私は嫌いでは無い。
これだけ分かりきった相手なので逆にある程度思考を利用出来る。
これは本当の意味で「相手の立場になって考えてみる」事。
しかし言うは易く行うは難し。私はちゃんと深掘りした。
みんなよく簡単に「相手の立場になって考えてみな」とか言う。
まぁ「どうやったらキレるか」などは誰でも分かる。
でも「どうキレさせたら」「この人なら具体的にどうするか」まで考える人と言うのはどの位の割合で居るのだろうか。
特にうやむやで終わった見えない結果についてはどうか?
行動には結果が伴ってくる。因果応報。
でもその過程については様々であり、端的に見ても見えそうな情報はいくらでも存在しているのにそこに気づかず自分の価値観だけで簡単に、そして大雑把に他人を評価し理解したつもりになって勝手に結論を出していないだろうか。
そんでもってその勝手な解釈で「相手に親切をするぞー」と心の凶器を振り回す事はないか。それはもしかしたらそれは傲慢なのではないか。
多くの人はそれらが本当に「相手の気持ちを思いやって出来てる」と信じてるからタチが悪い。
もしかしたら安直にプレゼントなんて贈ってないだろうか?
プレゼントを贈る行為自体がそもそも自分の中の「絶対的善」として存在している事に疑問も持たず、プレゼントの内容ばかりに気を取られてないだろうか。
相手の気持ちになって考えた時に、もらう側の「気の毒」と言う感情をスルーして無いだろうか?
それを自然と感じ取れる心の持ち主こそが「本当に相手を思っている」のではないだろうか。
めんどくさいね。そう、だから型に嵌める。
人間にはそのめんどくさい物を方程式にしてくれる。
これは一見便利だけど、形式科学みたいに「これはこう」みたいなある程度整った共通の答えを持ち合わせて無いから状況的に変わると言う点では一長一短でもある。
私の専門は統計学だが、統計学と言うものは数学であり、経済学に使われるが、経済学もまた逆に統計学に組み込まれると言った存在であり、経済学にも数学が含まれていて最終的には未知の数値を叩き出す人間心理と言う複雑怪奇な物が加わり決断を下す。
経済学は社会科学(日韓で言う文系)扱いになる事が多いが、恐らくそれはその心理学や政治学、法学、地政学だったりの要素が強いからだと思われる。
何が言いたいのかと言うと、長いあいだ統計学と言うものに触れていると結局最終的に「大衆の行動心理」に帰属すると言う事。
この大衆の行動心理と言うのはマクロ(大きく見た)経済などの事で、ミクロ(個人の心理)の集合体である。
故に「統計学を学ぶ」と言う事≒「人の心理を読む」=必然的に相手の気持を客観的によく考える人になる、と言う事。
「この人にこうすればこうする」そしてその時々の相手の喜怒哀楽まで考慮し次の手を打つ。と言うか既に選択肢が有る状態。それで初めて「想定内です」とか言える。
心理戦や次元思考なんかは将棋やチェスみたいだけど似てる様で学術的には全然違う。
私はその心理戦で幼馴染に嫌われる事を選んだ。

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