【掌編小説】他人の発する音に耐えられなくなった日

 ある日、急に「うるさい」と
 あらゆる音を拒絶したくなったことはないだろうか。

 私はある。

 とにかく、耐えられなかった。


 話し声とか、椅子を引く音とか。

 そういった明確な「音」だけでなく、

 呼吸音とか、こちらを見つめる目が瞬きをする音とか。

 本来、よほど注意しなければ聞こえない、もしくは注意したところで聞こえるはずのない音まで耳に届いて、不安になる。

 だんだん、腹が立ってくる。


 きっかけはなんだったかと考える。

 仕事の電話が1日中鳴り続けた後、鳴るはずのない電話の音が聞こえて夜中に飛び起きたり、聞きたくない呼び出しが聞こえた気がしてトイレの中で携帯を確認しため息を吐いたり。

 あれ、なにかがおかしい?

 そう思った時か。

 親しくもない人との食事で、自分の咀嚼音が部屋に響きわたるのを感じた時か。
 隣人が深夜に回し始めた洗濯機の音が気になって寝付けなかった時か。


 気がついた時にはそうだった。

 私に「他人」を感じさせる音、
「自分」の存在を意識して「他人」を認識してしまう音に耐えられない。


 目は、閉じれば情報が入って来なくなる。

 しかし、耳は閉じられない。

 耳栓をしたところで音は聞こえる。
 自分の心臓の音、血液がめぐり筋肉の隆起する音が聞こえる。

 とにかく、不快だ。


 こうなった時、私にできることは何かと考える。


 音を遮断するために、塞ぐべきは耳ではなく心である。

 何が聞こえても、何も感じなければいい。
 そうすれば、うるさくない。


 あれから、どれくらい経ったか。

 私のなかで、静かになった声がなんといっているのか、聞こえない。

 いや、違う。
 聞こえなくていい。

 今更、何を感じようが、考えようがなんの意味もないのだから。

 ほら、もう腹も立たない。
 きっと、これでよかった。

 もう、誰も傷つかない。

 誰も傷つけない。


 私は、そうなりたかった。

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