#284 全部、夢かも知れない

 こんにちは、鏑木澪です。

 2021年に亡くなった、私の好きな声優さんがCVを務めていたキャラクターの後任が決まりました。

 その作品自体、私は好きだから、新しい声を得て、キャラクターのストーリーが紡がれていくのは、嬉しいし、既存楽曲はそのまま残るそうなので、ほっと胸を撫で下ろしています。

 後任の方は、以前、別作品のキャラクターソングを聞いた時に、「この人の声、好きだな」と感じた人だったから、個人的に全く不満はないのだけど、

 代わりなんていないはずなのに、こうやって忘れられていくんだな

 声が変わっても、キャラクターは変わらず生きていくんだな

 引退や廃業で役者が変わる・変わったキャラクターは、これまでにも見たことがあるし、特に長く続いている作品では珍し事でもないはずなのに、

 この、上書きされていく感じに、何とも言えない感情が湧いてきてしまいました。

 自分と比較的年齢の近い人が亡くなって、もう声を当てられる人がいなくなってしまった状態での声優交代は、私にとって初めての経験です。

 今までは、何らかの事情で降板しても、「また別のところで声を聞ける」「違う分野で頑張っている姿を見られる」「今はどうしているかわからないけれど、幸せだといいな」と、”その後”がありました。

 ここ数年、父が子供時代に見ていたアニメの声優さんたちの訃報に、私も父の薦めで観た作品もあったから、それなりにショックを受けることはあったものの、そもそも「昔の人」という感覚が、正直ありました。
(自分が生まれる10年も20年も、もしくはそれ以上も前の作品なので)

 それほど強く感情が動くことは、あまりなかったわけです。

 父の言う「こうしてだんだんいなくなっていくと、くるものがある」の意味も、わかっていなかったと思います。


 やるせない。


 自分と歳が近いのもあるけれど、もう本当にいろいろなことにうんざりして、

「今まで私がやってきたことってなんだったんだろう」
「このまま生きていても、なにひとつ良いことがあると思えない」

 そんなことを考えていた時期に、その人の生き方を見て、すごく救われたといいますか、「私は、この人ほどやるべきことをやらずに、弱音を吐いていただけだな」と気がついて、

 まだやってないこと・やれてなかったことがあるから
 それをやってから決めよう

 そう思ったんです。

 自分のやりたいこと、身の程知らずな夢でも挑戦してみる、そんな、私にとっては大きなこともそうだし、

 日常的に、人と接する時の態度

 自分が気を使っている”つもり”なだけで、相手の目線に立てていないことも多々あったと思うし、自分が傷ついたと感じた時に怒りに任せた過剰防衛で、必要以上に言葉で相手を責め立ててしまうこともありました。

 そういうところを治すこと

 どんなに気をつけても、
 自分の嫌な部分が顔を出してしまう環境からは離れること

 私の場合、環境を変えたら、すごく息がしやすくなって、他人に対する自分の言動や行動で「何でこうしてしまうんだ(こんな自分が大嫌いだ)」と思うことが大幅に減りました。

 自分が変われたわけではなく、過ごしやすい環境で、自分の嫌な部分をできるだけ認識しないで過ごしているだけだから、こんな楽をしていてはいけない気もするのだけど、意味のない無理をしても、誰の役にも立たないから、まだしばらくはこれで生きていこうと思っています。


 ……ちょっと、今日、夢見が悪くて。
(普段から、良いほうではないが←)

 デパートの5階でライブがあったのですが、暑さのため、私の目当ての出演者が体調不良になり、1階の救護室(?)まで階段を駆け降りて知らせに行ったら、過呼吸で何も喋れなくなるし、

 伯母(現実とは異なる)と揉めてしまって、裁判をしたら、私と母のほうが勝ったらしいのだけど、逆上した伯母がナイフを持って襲いかかってきたので、近くにあった握り鋏を投げつけたら、跳ね返って私の喉に突き刺さり、

 痛みと息苦しさで、目が覚めた、と。

 喉を押さえている私を見て、伯母が「嘘よ。どれだけ間抜けなの」と笑うから、言い返そうとしたのに、傷口からいろんなものが漏れ出すから、何も音がでなかった。


「自分で歌うぞ!」と思ってから、声質や発声、話し方・歌い方を気にしながら過ごしているから、自分の声に対する不安があります。

 昨日、ちょっと祖母と喧嘩みたいなものをしてしまって、それというのも病気で耳の悪い祖母は、私が子供の頃から、よく私の話をかき消して母(祖母の目線でいえば娘)と別の話題で話始めてしまうことに対して腹を立ててなのですが、

 声が届かない恐怖よね、

 誰も、私の話なんか聞いちゃいないんだ、って。

 母も病気の影響で耳が良くないのですが、父はとても耳がいいから、母と祖母に合わせて話せば父からは当然「うるさい」と言われるし、父に合わせて話せば母と祖母には無視される(=聞こえてない)し、

 前々回の記事にも書いたけれど、家の外に出れば、私の声って印象に残らないみたいだから、いよいよ誰にも聞かれないし。

 話すのって、億劫

 その点、文字で綴られているものはいいなと思います。

 伝えられる情報は限られるけれど、とりあえず、自分の書きたいことを最後まで書かせてもらえることが多いから。

 誰にも読まれなければ、聞かれない話と大差はないのだけど、少なくとも自分が書くのをやめなければ、そこに情報が残るのがいいなと思います。

 なんだか、上の書き方だと両親と祖母が全然私の話を聞いてくれなかったみたいになっているけれど、むしろよく聞いてくれていたから、聞いてくれない時がショックで印象に残っているのだと思われます。

 口で話しても、文字に書いても、こういう前提というのか、発している人間の裏にある気持ちやら、説明が足りない部分は、反応を返してくれる人がいないと補えないところだから、ひとりでやっているとよくないですね。


 自分で声に対するトラウマ? コンプレックス?を掘り返して、勝手に怖くなっているだけなので、冷静になってみると何だか笑けてきます。笑

 スピーチコンテスト(レシテーション部門)で全国大会に出て、賞状をもらって帰っても、声に自信がつくことはなかったんだから、

 もう、逆に、私の理想はどんだけ高いんだ!ッ

 ということにして、気楽にやっていこう。

 ゴリゴリの素人だから、歌えなくて当然なわけだし!
(歌だけじゃない、音楽素人←)

 やりたいこと、楽しいこと、やりきってやるぜー!
 待ってろよー!(誰に言ってんだよ←)

 ではでは〜


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