#354 どひゃあ…(奇声)

 こんにちは、鏑木澪です。

 昨日も、なんだか”お気持ち”というか、暗い感じの文章になってしまったのですが、今日もそちら方向です。(すみませぬ)

 訃報が続いていますね。

 私にとっては、もちろん有名な人だから知っているけれど、世代ではないし、個人的に強い思い入れのある人でもないから、直接受けるショックは大きくないです。しかし、「あの人に影響を受けて……」と話すクリエイターのコメントを見ていると、私がその人たちの作品を好きだからというのもあって、なんだか2次的にダメージが入ります。


 あの人がいなければ、この人たちも何かを作ることはなかったんだな。

 繋がっているんだな、と。


 眠れないので、深夜にX(Twitter)を眺めていました。
 ……そんなものを眺めているから眠れないのかもしれない。←

 AI生成系の話で、顕著に被害に遭っているのはイラストレーターというイメージがありますが、声優や歌手(声を生業にしている人)の被害も、私に見える範囲ではよく発生しています。

 また、個人的には子供の頃、イラストや音楽よりも早く、小説・小説家が被害に遭っているのを見て、ゾッとした記憶があります。
(自分も”作ってみたい”と思っている界隈の狭い範囲にしか目が届いていないので、悪しからず)

 現在の、私個人の考えなので、あまり大きく捉えないでほしいのですが、人間だって、誰かの影響を受けるし、最初は真似から始める人が大半だと思うから、「AI学習=悪」「AI生成=悪」ではないと思います。

 しかし、自分が真似される側になると、状況によってはかなりモヤっとします。

 偏見ですが、人間が一生懸命時間をかけてやってきたことをAIが一瞬で模倣しているように見えることから、「許せねぇ」と感じる人もいるのでしょうが、私は人間にそれをされた経験があります。


 英語のスピーチコンテストでのことでした。

 スピーチコンテストと言っても、私が出ていたのはレシテーション(暗誦)部門で、指定された文章を暗記し、正しい発音で適切に伝わるようにパフォーマンスするものです。

 基本的にどの大会でも、留学経験・海外滞在期間などで出場が制限されます。

 ネイティブの英語に触れている時間が長いほど有利であることから、このようになっているわけです。

 これを掻い潜ってくるのが、和人とその他の民族を両親として生まれた人、つまりはハーフの人たちです。

 日本にいながら、親との会話は英語が中心で日本語のほうが不自由そうな参加者もよく見かけました。

 今はどうかわからないけれど、私が大会に出ていた頃は「(親が英語圏の)ハーフじゃないと入賞できない」といわれるほど、両親が日本人の参加者には不利な部門でした。

 各都道府県で行われる予選の優勝者、1名だけが参加できる全国大会があります。

 通常、発表(パフォーマンス)の機会は1大会1度きり、一発勝負。もし、途中で噛んだり、文章が飛んでしまったりしたら、入賞の可能性はないと言って良いです。

 この大会は”ファイナリスト”制度があり、1度目の発表で12人が選ばれ、昼休憩を挟み、2度目の発表で12人の順位が決まります。

 私は、ファイナリストに選出されたわけですが、1時間程度の昼休憩を今でも少し恨んでいます。

 1度目の発表順は、当日のくじ引きで決まります。
 私はわりと後ろのほうでした。

 ファイナリストの発表順もそれに倣うので、最後から数えたほうが早い順番になってしまった私は、はっきり言って運が悪いです。

 その上、私の直前に発表する人の選んでいた原稿が、私と同じものでした。
(原稿は4つあって、その中から参加者が好きなものを選んで良い)

 それでも、私と彼女の読み方は全然違う。
 大丈夫、練習通りにやればいい。

 ……あれ?

 なんだか、聞き覚えのある読み方が、、、

 まるパクリされたんですね。
 私が校内選考の時から何ヶ月も練習してきた読み方を。

 昼休みの、たった小1時間の間に。

 その時、私が思ったのは「直後に同じ発表をする私のほうがパクリだと思われる」でした。

 もう冷静ではないから、舞台に立って話し始めると審査員も観客も「ん?」という顔になっているように見えます。

 人生で初めて、舞台上で文章が出てこなくなりました。
 自分の文章・読み方が間違っていると思って、一瞬止まってしまったのです。

 誰のせいでもない、自分の弱さです。

 ファイナリストで噛んだ人も、文章が出てこなかった人も、私以外いません。
 すごく惨めでした。

 私の読み方をまるパクリした人はハーフでしたし、入賞者も全員ハーフでした。

 自分のミスが原因なので、入賞できなかったことについて悔しさは感じませんでしたが、「勝ち目などないのだ(積んできたものが違う)」とわかってしまったので、その後、同じ大会に出ようとは思いませんでした。


 私の数ヶ月が、たった1時間で無意味になった。


 その人は、昼休みの間に私の1度目の発表を録音したものを聞いて練習していたそうです。

 そんな短時間で模倣されると思っていなかったし、逆の立場で私が他人の読み方をその程度の時間で習得できるかと言ったら、できないから、

 その点相手が上だった
 私は負けて当然だった

 でも、やっぱりモヤっとしてしまって、今でもよく覚えています。

 翌日は運動部のほうの大会だったので、落ち込んでもいられませんでした。
(スポーツの特待生だったので、こちらが本業←)

 そう、本業でもないことの大会に勝手に出た挙句、ベスト12程度で帰ってきたせいで、風当たりは強かったですよ。笑

 チームの輪を乱してるとか言われてね。
(どうせ個人戦なのにと言い返したかった←たぶんそういうところ)

 スピーチコンテストに出ることを理由に、練習をサボったことなんか一度もないのに……そんなに悪いことしたかな。

 ねぇ、学生時代の話なのに、消化できていないから、未だに思い出して「なんで?」と思ってしまいます。

 基本ひとりで動いていたから、話を共有できる人もいないし……いえ、母は私がやりたいことをできるように助けてくれたのだけど、当然、してくれるのは準備までなわけで、やるのは私だけ

 一緒に練習した
 一緒に大会に出た

 どんなことを思った

 そういう話をできる仲間とか、友達とか、いたらよかったのにな。


 違う、ここに着地したかったんじゃない。
(無計画に文章を書くから!←深夜テンションで書いているので許してください)

 程度の差や状況は加味すべきだけれど、やはり「真似されるのは、その程度のこと(他人が再現しやすいこと)」であるし、そうして生まれたものに価値を見出す人がいるのはどうしようもないから、

 動揺しないように!

 自分に言い聞かせておこう!

 そう思っています。


 もしかしたら、以前もこのスピーチコンテストの話をしたかもしれないし、していなかったとしても何度もしようとしてボツにした内容なのだけど、
(人種差別的な内容ととる人がいるかなと思って……でも、私が言いたいところはそこじゃない、わかってくれ)

 深夜に眺めていたXで、「歌い方をAI学習に使われた(パクられた)」といったことを目にしました。

 なんだかな、もう、何を書いても誤解されそうなのだけど、声そのものをとられるより、使い方をとられるほうが、今の私にとってはつらいです。
(別に、大した使い方もできていない現状だけど、大事なものはあるのよ)

 部分的に真似されるくらいなら、真似してもらえるほどになったんだと状況によっては喜ぶこともあると思うけど、

 まるパクリは、無理だ。
 堪えられない。

 うわぁあああ゛
(されるほどになってから心配しなさい←)

 心構えだけしておかないとね、自分のために、と。
(相手が誰か、何かはそれほど重要ではない)


 んー、個人的に立てた目標で、実現の可能性はあるけれど、今は遠いところにあるのが「自分の作った曲を自分で歌う」だものでね。

 私はボカロの音(声)が好きだけど、楽譜も読めない弾ける楽器もない状態でひとりで曲を作ろうと思ったら、全部打ち込みになるから「本当にこれは私が作っているのかな」と感じることがあります。

 同じ道具で同じ設定をすれば、誰でも出せる音。

 実際は、全く同じ音に聞こえるように設定を合わせるのはかなり難しいし、音色が違うだけで印象が大きく変わることもあるから、

 ”私の音”があると信じたい

 決定的な何かがほしい

 あかん、なんかもう寝不足を言い訳にするけど、すごい気持ち悪いこと書いてる気がする。←
(おまけに長い。3500字が見えてんでー!)

 終わろう、寝ます。
(オチはないんかい←ないよ。だって、私の中で落ちてない話なんだもん)

 ではでは〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?