#266 カゴの開け方

 こんにちは、鏑木澪です。

 昨日、久しぶりに『リズと青い鳥』を観ました。

本作は『響け!ユーフォニアム』の続編でありスピンオフという位置付けではあるが、"1本の独立した映画"としても成立するよう制作されている[69][70]

Wikipedia『響け!ユーフォニアム (アニメ)』劇場アニメ-リズと青い鳥


 私は、劇中のお伽噺が物語全体を象徴するものになっている構成が好きだから、このような描き方は大好物です。

 高校を卒業したばかりの頃は、「私もこんな高校生活送りたかったな」と、思春期特有の有限性、危うさ、ある種の気持ち悪さにも憧れながら、観たような気がします。


 他の劇場版も観直しました。

 今年の8月には、特別編が公開されるそうですね。
(楽しみだ!)



 私が高校時代に所属していたのは運動部で、一応、強豪校と呼ばれるようなところだったから、全国大会に出場するのは当たり前でした。

「全国に行けるか、行けないか」で部員が団結したり、逆に対立したりすることはなかったし、「全国でどれくらい上まで行けるか」も周りを見れば、自分たちのレベルはわかるから、「あそこまでは行けるけれど、これ以上は厳しい」とわからない人は、少なくとも私が知る範囲にはいませんでした。

 かなり、冷めていたと思います。笑

 みんな一生懸命やっていたとは思うのだけど、どうしても越えられない壁が2種類あることをわかっていたのではないでしょうか。

 実力の壁
 偏見の壁

 実力の壁は、練習の質と量の差、体格など持って生まれた差に運も含めて、優劣があり、短期間ではどうしようもないところ

 偏見の壁は、人間が審判をする競技だったこともあって、学校や選手個人のネームバリューで評価が偏ること、審判員の意志や学校同士の軋轢など、業界内の力関係で公正に評価されず、個人の力ではどうにもならないところ

 このふたつの条件をクリアできる範囲、または影響してこないレベルでの試合では、勝つべき人(より優れた人)が勝ちます。

 実力の壁は、残酷だけど、納得できる

 偏見の壁は、分厚くて高い

 実力の壁と違って、納得できない、理不尽なことだけれど、それを言葉で主張したところで、何も変えられないから、「覆したいなら圧倒的実力で勝負するしかない」と思ってやっていた時期もあったけれど、厳しかったです。


 仲が良かったわけでもないのに、

 なぜか部員全員分のミサンガを編んだり
 苦手なのに大会前後の集まりに参加したり

 側から見たら、私も青春してたのかなぁ。


 わからん。笑
(少なくとも私は、自分が想像する”ザ・青春”を経験できなかったから、残念)


 自分が曲を作りたいと思って、音楽に興味を持つようになってから、「楽器を弾ける人っていいな」という気持ちが、年々、強くなっているように感じます。

 楽器を弾けない人間が、曲を作れるのか?

 そう思う人もいるかもしれない、というより、私がそうだったのだけど、案外、楽器を弾く能力と曲を作る能力は別物みたいです。

 個人的には、楽器を弾ける状態で曲を作れたら最高だと思います。

 母の友人にピアノの先生がいます。

 私のピアノの先生でもあります。

 幼稚園の頃にリトミック(?)を習ったきりで、弾く練習は殆どしないまま辞めてしまったから、私はピアノを弾けないのだけど(当時習ったことも殆ど忘れたけど)、久しぶりにその先生と会った時に、

「私は曲を作れないから尊敬する」

 そういわれて、驚きました。

 あれだけピアノを弾ける人で、生徒のレベルに合わせたり、他の奏者と合わせたりでアレンジもできるのに、「作れない」ってことはないでしょう。

 でも、その先生は「作ろうとしたことはあるけれど、作れなかった」と。

 私が楽器を弾けるようになりたいのは、「弾けたら、もう少し楽に曲を作れるんじゃないか」と安直に思っていたところがあったからでもあるのだけれど、どうやらそんなに甘くないらしい。。。

 曲を作るようになってから、私もギター、ベース、ピアノに挑戦してみたけれど、「とりあえず、音が出せる」以上のところに行ける気がしなかったから、そういうことなのかも。
(あの程度の練習で、やった気にならないでほしいけど、その時点でお察しである)

 あくまで、私の身近にある一例で、一般的にどうなのかはわかりません。

「ヒット曲を書けるか」「プロレベルの演奏か」と言い始めれば、またどんどん話が広がって、考慮すべきことも増えていくから、簡単な話ではないのだけど、


 まぁ、とりえず、私は曲を作れるんだ

 自信持っていこうや。
(時に、過剰なくらいの自信は必要←)


『リズと青い鳥』の劇中で繰り返し演奏される
『リズと青い鳥 第三楽章「愛ゆえの決断」』

 同じ楽譜で、同じものを演奏しているはずなのに、
 音楽的な素養がなくても、物語の文脈を見ていれば、

 演奏が変化していることはわかる、と思います。

 演奏だけを聴いて、
「どちらが良いか?」を判断する自信は、
 私にはないですが……

 DTMで、打ち込みで音を鳴らすと、何百回鳴らしても、全く同じ音がします。
 歌声・音声合成ソフトも、何度でも全く同じように歌ってくれます。

 一度出せた音は、基本的に永遠にそのまま何度でも同じ状態でそこにあって、「この音がうまく出せない、表現できない。前はできたのに」というストレスから、私を解放してくれるので、その点については、気が楽でとても良いのだけど、

 悪くはならないけど、良くもならない

 固定されている

 そのことに、わずかばかりの窮屈さを覚えるようになりました。

 打ち込みだって、演奏と同じように「打ち込みの技術」で音の幅はあるから、やれることはまだ、たくさん残されているし、純粋な音作りもまだまだ、やれることはいくらでもあるから、私は、そこを頑張りたいと思っています。


 でも、リアルタイムで「自分が音を出す」ってことをしてみたい


 それで、「歌いたい」と言っていたのだけど、このところ、私のTwitterのTLを見るに”歌ってみた”は、どんどんやりにくい状況になっているようです。

 私は、何をするにしても、「少し余裕(遊び)を残しておく」ことが大事だと思います。

 以前にも記事に書いた通り、”歌ってみた”は私が積極的にやりたい活動ではないのだけど、言うなれば、

 歌われてみた……?

 私の作った曲を歌いたいと思ってくださる人がいたら、それを止めるつもりはないし、歌ってくれることは嬉しいことだと思います。

 もしも、それで私よりも利益を上げていて、私のところに一銭も落ちてこないとなると、「ちょっと、待ってくれんかね?(焼肉奢れ)」とは言いたくなりますが。笑

 善意で、作品を楽しんでくださる活動なら、全然
 良いこと、嬉しいことだと、個人的には思っています。

 あくまで、現状の、私個人の、お気持ちの話です。

 著作権……演奏権、録音権、シンクロ権

 他にも色々と気にするべきところがあるのだろうけど、全てをきちんと正しく把握できる気がしないから、”歌ってみた”のハードルが非常に高く感じます。

 オリジナル曲を作って、歌えるように頑張ろう。
(それが最善の解決策であり、私の本来やりたいことである)

 マイクは買う方向で、他に必要なものも揃えていこうと考えているのだけど、暑さと湿度で、速攻で壊れる事態は避けたいから、秋くらいにしようかなと思っています。
(他にやりたいことができて、お金がなければまた先延ばしになる可能性あり←)

 現時点の妄想だと、アルバムに何曲か、自分の声が入った曲を入れられたら嬉しいなとか、考えています。

 いやぁ、現実的に考えて、マイクの使い方、自分の身体の使い方(声の出し方)を覚えるのに、時間がかかると思うから、そんなにすぐに使い物になるとは思えないのだけど、

 やるぞ。
(時間はかかるかもしれないけど)


『響け!ユーフォニアム』は、声優さんたちの演技が素晴らしいとの評判を聞いて、観た作品だったと記憶しています。

 私もそう思う。
(作画・脚本・音楽、どれをとっても、素晴らしい作品だと思う。『リズと青い鳥』は、他のシリーズとメインスタッフが違うから、少し異質な存在ではあるのだけど、個人的に好み)

 私も、自分の声で表現できることを増やしていきたいな。

 頑張ろう。

 ではでは〜


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