#375 いっぱいいっぱい

 こんにちは、鏑木澪です。

 定期的にSpotifyの公開プレイリストに自分の好きな曲を追加しています。
(最近は、「好きになりそうな曲のメモ」になっている気がする。つまりは、きちんと聴けていない)

 来週、再来週あたりに合計1000曲になりそうです。

 ここに追加している曲のタイトルとアーティスト、全てをしっかり覚えていて、頭からお尻までメロディーを口遊める曲ばかりかといわれたら、正直、そうではないのですが、好きな雰囲気の詰め合わせになっています。


 3〜4年前(?)まで、両手の指に収まるほどの曲しか知らないくらいだったのに!ッ
(義務教育の授業で習う曲は、一旦カウントから外した場合の話)

 流石にそれは言い過ぎか、もう少しは知ってたかな。笑

 興味を持って、自分で音楽を調べて聴ける環境を手に入れてからで言えば、6年経とうかというところであります。

 パソコンだとか、スマホだとか、現代人なら殆どの人が当たり前に使っているであろうもの、「使えもしない人間が持っていてもしかたがない(お前には使いこなす能力がない)。今後も使う必要はない」といわれて、子供の頃はそんなものかと思っていましたが、

 もっと早く疑って、使ってみればよかったかもしれないな〜

 身近にいた計算機屋さん(一般的にプログラマー / エンジニアと呼ばれる職業だと私は認識している)から見れば、私のような人間はこういった道具を使うに値しないのでしょうが……今日日、他にもいろいろな使い方があること、知らないのかな彼は。
(もはや、愚痴になっている、すみませぬ。ジョブズ信者なんだよね、その人)


 大学時代、MacBook Proを持っている学生は私の周りにたくさんいたのですが、タイピングすらおぼつかず、クラブ帰りに酔って踏んづけて壊したり、充電もしないで数ヶ月放置していたり……とにかく、そういうものを見てすごく腹が立ってしまいました。

 あたしゃ、学校の古いパソコン借りて課題を済ませてるんだが?
(授業のレポートや論文ならこれで十分である)

 おまいら、なんでもできるやろ、そんな良いもの持っていたら!

 なんで使わないの?
 使えるから持ってるんじゃないの?

 幼少期の刷り込みって恐ろしいですね。
 ある意味、学生時代に出会った、その、えっと……残念な人たち?(ごめんな、だが言わせてくれ)のおかげで、私なんかでもそういう道具を持っていたっていいのではないかと思えるようになりました。

 そこから、今の状態に繋がっています。

 パソコンがないと、私が今している活動は成り立ちません。
 たんなる生命機能維持の意味ではなくても平気だろうけれど、精神活動のアウトプット(?)の意味ではかなり不自由になり、もしかすると生きていけないかも、しれないです。

 なかったらなかったで、また他のものを探すのかな〜

 道具に依存してはならんと思いますが、「道具さえあれば」ということもあるので、触る機会を設ける努力をすると良いことがあるかもしれません。

 私はあったよー!
(どうせできないって思い込みは捨てようぜ〜)

 為せば成る!ッ

 もっと時間が経たないと、最終的な結果がどうなるかはわからないけれど、機会損失って許し難いものがあるのだ。

 10代の終わり頃に、とあるオーディションに申し込もうと思ったら、もう年齢的に不可能になっていたの、すごくショックでした。
(申し込んだって合格できないだろうが、資格すらなくなってたのって、驚きじゃないかい? 10代って若いと思っていたのに。笑)

 なんで親の許可がいるんや、ひでぇよ。
(要らなくなる頃には、年増扱いである←言い方)


 ……なんの話だ、あちこち行き過ぎだ。


 歳を重ねるほど、残酷なほど自分の親に似てくるという話があります。
 遺伝子には勝てないと。

 私の両親は、「自分の親のようにはならない」と口癖のように何度も繰り返していますが、私から見れば、やっていることは同じです。

 成人するまで娘(私)を育てたという意味では、親として何も間違っていない、正しかったのでしょうが……子供の目線から言えば、どんなに”良い親”だったとしても、不満ってあるじゃないですか、「もっとこうして欲しかった」「これはされたくなかった」とか。
(してもらったことは忘れがちである。ありがとうな、父さん母さん)

 理屈はわかる(わかってるつもりだ)けれど
 気持ちがまだついてこないよー!

 漠然とした将来への不安が親への不信感や嫌悪感にすり替わっているのを年々強く感じるようになり、まさに「親のようにはならない」と口走りたくなるのが……言い方はよくないかもしれないけれど、面白いなと思いました、興味深い。笑

 ただ、家庭を持つこと、人との関係を大切にすること、それらが無意味な愚行に見えてしまうのが悲しいから、私は変わりたいんだァ。

 それらの”良さ”に幻想を抱いて憧れることはあっても、いまいち理解できないんだよね。リスクのほうが大きくないか……?
(そこに安心・平穏があると思えないのだ、)

 知らない・わからないからこそ、得られるものもあるだろうから、今の私で良かったとも思っております!

 二律背反ッ
(尊敬している人が好きな四字熟語に挙げていてね、私も好きな言葉だから嬉しかったんだ)

 うん、何を言っているのか自分でもわからない。笑
 まぁ、いっかー!


 今日も歌ってみたを投稿する予定ですが、そちらの記事を先に書きました。
 投稿順が前後するうえ、同時期に出すには違和感のある内容かもしれないけれど、どちらの考えも私の中にあるの!

 うわぁあッ
(矛盾に耐えられねぇ←)

 ではでは〜


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